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2017年3月27日 (月)

廓からの脱出の道は死しか!

時代劇をみていると、吉原がたびたび登場してくる。
 
これは祖父の伊藤冨士雄が、救世軍の婦人救済係として活躍していた大正時代の話だ。
 
「幕府の売春政策を継承することによって、見事な公娼制度が確立され、富国強兵策を裏側から支えた。
 
公認された廓は全国140数カ所におよび、鑑札を受けて肉体を売る娼妓は5万人を超えようとした。
 
廓と社会をつなぐ出入り口は一つしかなく、そこにある交番の巡査の許可なくしては、娼妓は廓の外に一歩も足を踏み出すことはできないのだ。
 
年期が明けるまで廓の外に出たことのない娼妓は少なくなかった。
 
檻に閉じ込められた娼妓は、どんな理由によっても、年期が明けるまでは、体を売ることをやめられなかった。
 
悲惨な娼妓の悲しい話を紹介してみよう。
 
東北の山村から桂庵に売られ、吉原の一力楼の春駒となった高橋久子は、客から業病(おそらく梅毒だろう)を背負わされた。
 
「じきに治る。今度から病気をもらわないように気をつけな」と、楼主は冷淡な態度で、検診(医者に性病の検査を定期的に見てもらうことが義務付けられていた。)は換玉でごまかして働かせた。(当時はコンドームをつけることなどしなかったのでは)
 
 
やがて春駒の髪の毛が不気味に抜け始めた。
 
「あたし、怖い。何とかしてください」春駒は泣いて楼主に訴えたが、「お前には銭がかかっているんだ。休まれてたまるか。稼ぎやがれ」と、楼主は春駒をにらみつけた。
 
 
 
そのうちに春駒の頭に一本の毛もなくなってしまった。
 
それでも楼主は、カツラをかぶせて春駒に客をとらせた。
 
 
 
みじめな自分の境涯を手紙にしたため、春駒は「命に関わりますから、1日も早くお救いくださいまし。」 と救出を訴えた。
 
すぐに救世軍婦人救済係の伊藤冨士雄が駆けつけて相談に応じた。
 
一刻も早く、春駒は廓を出たかった。
 
しかし、髪の毛のない自分の姿を思うと、人の助けを借りて、廓を出る勇気がくじけそうになった。
 
弱気になって決行が遅れ、楼主に見つかり、春駒は見せしめのリンチを受けて、それでもなおも客を取らされた。
 
 
 
「もう生きていたくない」
 
春駒が漏らした一言に、希望のない日々を送っている客が同情して、「俺だって、生きていていいことがあるわけじゃないさ」とつぶやいた。
 
二人は洗浄室に備えてある消毒液をあおった。
 
大正5年3月21日の夜も明けそめる頃だった。
 
脱出の道は死しかなかったのだろうか。
 
 
 
廓という金縛りの牢獄に閉じ込められた春駒のような女たちを救出するために、命を張った男もいたのである。」
 
 
 
大正3年8月2日、伊藤富士雄は洲崎病院におもむいた。
 
米河内楼の歌之助と、中野楼の信子を洲崎署に連れて行って廃業させるためであった。
 
急報で洲崎遊郭の旦那衆が、200名に及ぶ応援を連れ「待ちやがれ」と、口々に叫びたてる。
 
その中を伊藤は怯える二人の娼妓を両脇に守り、門を出ようとした。
 
 
 
「足抜きにされてたまるか。やれっ」
 
旦那衆の声で200人もの男どもが襲いかかってきた。
 
血にまみれた伊藤は気を失って路上に倒れ、娼妓は連れ去られたが、目の前の洲崎署は傍観し、一人の巡査も出てこなかった。
 
翌年にも洲崎遊郭で半殺しの目にあったが、このように体を張って実に987人の娼妓の廃業を助けた。
 
祖父、伊藤冨士雄はすごい。
 
B
違法な野外でござを敷いて性をする売春婦

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