« 2017年3月 | トップページ | 2017年5月 »

2017年4月

2017年4月29日 (土)

キリスト教が同性愛を嫌がるわけだ!

毎年、お中元や、お歳暮の季節になると、一番先に豪華なハムなどを送ってくれる人がいた。
 
それは三原橋で泌尿器科の医院を経営しているお医者さんからだ。
 
 
 
ぼくは『薔薇族』の巻末の「編集室から」にこの医院を紹介していた。性病のことや、肛門にゴルフのボールを入れて、とれなくなってしまったなどの電話がかかってくると、三原橋医院を教えてあげていた。どれだけの電話がかかってきたことか。
 
 
 
藤田竜さんは、この先生から「男と男の医学教室・16のギモン」」と題して、とんでもない質問をして、回答してもらっている。
 
「精液は栄養になるか?」の質問。
 
 
 
「飲んじゃったんだけど、大丈夫でしょうかという電話がよくあるらしいですね。精液というのは普通の人で4CCぐらいですよ。
 
ティスプーンで2杯ぐらいのものだし、そのうち90%は水分で、残りの10%がタンパク質みたいなものだと考えていいと思うんですよ。カロリーからいうと、タンパク質1グラムは4カロリーだから、16カロリーぐらいで栄養的にみたら問題にならない。
 
だからそんなのは栄養的に考えてもどうってことはないし、飲んでも別に差し支えないと思いますよ。
 
ただ、その人が淋病なんかを持っている場合、その人の精液を飲んじゃったということであれば、精液が出てくる時にどうしても尿道を通って出てくるので、淋菌も一緒に出てくるわけですよ。
 
例えば扁桃腺のひどいのとか、口内炎みたいなのを起こして、顎の下が腫れるとか、どうも治りにくい扁桃腺だとかいうこともあるようです。
 
 
 
だけど胃へいってしまうと、胃というのは胃酸が猛烈に強いんで、そういうばい菌なんかも、ほとんど死滅しちゃうんで、そこから下の淋病というのはわりにないようです。淋病のある人の精液を飲んでもですね。
 
だから精液を飲むということは、べつに害はないと思います。むしろ、タンパク質をちょっと飲んだ、卵の白身の何分の一かを飲んだという程度のものでしょう。
 
 
 
面白いのは精虫というのが、1CCの中に7千万ぐらいいるんです。オタマジャクシが泳ぎ回っているわけですね。だからそれが4CCとすると、2億から3億ぐらいの原虫を飲んだことになるね。1回の射精でそんなに出ちゃう。2億の大群を飲み込むという感じになりますからね。その精虫に色でも付いていたら、気持ちが悪くって、ちょっと飲めないだろうけど、単純な白いものだからね。
 
水っぽいのとか、ドロっと濃いのとかがあるのは、作る場所を考えるといいと思うんですよ。精液というのは睾丸でできると思うでしょうけど、そこはむしろ精虫だけなんです。
 
オタマジャクシだけと、考えていいわけ。
 
あとは前立腺というところと、精嚢で、ほとんどができるわけです。
 
 
 
前立腺というのは、いわゆる水っぽい液を出すところだし、精嚢というのは、いわゆるゼラチンみたいなものを出すところなんです。
 
精虫だけで泳ぎ出してくるわけではなくて、精虫を動かす働きをするために、そういういろいろな水が出てくるわけです。
 
だから一晩に何回もやると、第1回が4CCなら、第2回は2CCとか、ぐんぐん減るわけです。
 
ですからマスターベーションなんかやってますと、頻度によって精液の量はずいぶん違うと思うんです。
 
 
 
禁欲していれば、ドロリとするということもあるし、液の量も多いですね。もちろん虫も多いですよ。」
 
 
 
こんなこと医者に聞く人もいないだろうし、真面目に答える医者がいたなんて?
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月28日 (金)

次回「文ちゃんと語る会」のお知らせ

次回「文ちゃんと語る会」は5月20日(土)開催です。
 
日時・5月20日(土) 11時~13時
場所・下北沢南口から4分、カフエ「織部」
住所・〒155−0031 世田谷区北沢2—2—3
電話・03—5432—9068
会費・コーヒー代のみ
 
★お話を聞きに来るだけでも大歓迎です。どうぞお気軽にご参加下さい。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2017年4月24日 (月)

竜さん、ひとりで作った『青年画報』

男性同性愛雑誌『薔薇族』の良き相棒だった藤田竜さんは、40年も一緒に住み、内藤ルネさんの蔭の存在として仕事をしてきた人だ。
 
『薔薇族』は竜さんにとって、初めての親分としての仕事だったに違いない。
 
創刊から3年間は表紙を描き続けてぼくにルネさんを紹介しなかった。
 
 
 
竜さん、ひとりで全てを作り出したものに、『薔薇族』の別冊『青年画報』がある。
 
№1を出したのが、1979年の夏のことだ。「あとがき」に、こんなことを書いている。
 
 
 
「だんだん校正刷り上がってくるに従い、エゲツなさが色濃くなって、それを狙ったとはいえ、我が品性が如実に見えるわけだから少しうんざりです。
 
モデルから記事まですべて僕の好みでまとめました。」とある。
 
 
 
山川純一の顔が長い、髪の毛が長い、劇画の中に描かれた男が、嫌で嫌で仕方がなかったのは、表紙のモデルを見ればわかるというものだ。
 
20170420b
 
 
『青年画報』の中の「竜さんの酒場こぼれ話・オレたちって、おしゃべりね」の頁から面白い話を紹介しよう。
 
「ヒロシがまた中学生をひっかけたんだ、映画館で。
 
あいつは体育部のお兄さんって感じで、ガキはホイホイだもんね。
 
そばで見てたことあるけど、触ったりなんかぜんぜんしないよ。からだをロコツに見せるピチピチのTシャツに、オチンコぐりぐりを、まず遠目に見せつけといて、あとでそばにいって、低い声にしちゃって「メシ、一緒に食うか」これだけ。少年はふら〜っと、ついて出ていっちゃうもんね。
 
それで、また連れ出しました。メシ食ったかどうかは知らないけど、かわいそうに、いたいけな坊やを犯したと思ってくださいね。
 
せっせ、せっせとはげんでた。坊やが足を肩に乗せてね。そうしているうちに坊やは顔を紅潮させ、息荒く、もだえるんだって。
 
ヒロシは鉱脈を探し当てた気分だって言っていたけど、うしろ初めての子らしいわけ。それがこんなに感じるなんて、これは仕込みがいがある、と、ね。
 
 
 
そのうち、出ちゃうよ、出ちゃうよって、少年が言うんだって。
 
ヒロシ、もう、せっせと腰を使いながら、うん、出せ、出せ。少年は、ああ、いいの? 出しちゃっていいの、と、あえぐんだってさあ、ね。いいから出せ、思いっきり出せって言ったら、ヒロシの上にウンコ出しちゃったんだって。
 
物理的、生理的にそういうの可能かどうか知らないけどさ、本当なんだってば。
 
ベッドの奥にまで、臭いが染み込んじゃって、今でも臭うんだって。
 
そんなときはもう心臓とまるかと思ったって。
 
教訓含んでると思わな〜い?」
 
 
 
なんともエゲつない話。今なら犯罪だ。
 
40年も前の酒場での話。本当の話かな?
 
そろそろ夏がやってくる。『薔薇族』誌上で海岸でのハッテン場情報を何度も載せたことがあったけど、今どうなっているのかな。
 
「おととい、海に行ってきた。そう、あそこ。あんなにいるとは思わなかったね。新宿で電車に乗るときから、そうだなってのがいて、それが同じ駅で、案の定、降りるんだものね。
 
ハデにやっちゃってくれちゃって、もう。
 
茂みのぞけば、バラバラ見えちゃうの。いいの、あんなでさあ。人が見てたって平気だもんね。スッパダカ同士で…。まっぴるまから。
 
もっとも一応は肌焼に行くんだから昼間で仕方ないんだけど、店やってる人は、3時になると仕込みもあるし、去っていなくなるんだって。」
 
 
 
竜さん、『薔薇族』の仕事、楽しかったのかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月22日 (土)

大正時代のゲイたちはどんな?

大正時代にゲイの人たちが、どのように生きていたかは、あまり知られていない。
 
前川直哉さんは『<男性同性愛者>の社会史』の中で、大正時代の文献を探し出して論じている。
 
「日本では大正期に流行した性欲学により、「同性愛」および「同性愛者」概念が成立した。本書では大正期においてこの新たな概念が日本に導入され、当事者たちが受容していく過程について検証する。」
 
学者の書いていることって難しい。
 
1922年5月に創刊された『性之問題研究の最高級雑誌・變態性慾』(日本精神医学会発行)
 
「雑誌『變態性慾』の読者投稿は、1巻5号(1922年9月)から、2巻5号(1923年5月)までの9号に延べ16通が掲載された。そのうち同性愛関係のとこは12通にのぼる。またその中の8通が、当事者男性すなわち「男性同性愛者」が自らの「同性愛」について語った投稿である。
 
(中略)
 
『變態性慾』に掲載された読者投稿は、数自体は少ないものの1つの投稿あたりの分量が長く、また男性同性愛に関する豊富な語りを含んでいる点で貴重である。
 
(中略)
 
「私はこの雑誌を手にしだしてから、自然私は変態性欲者であることを自覚してまいりました。
私は同性愛者で、また女性的男子であることを明らかに知ってきました。」」
 
 
 
大正時代のゲイたちは、自らも変態性欲者だと思っていたということだ。
 
投稿者の1人は、
 
「自分が「女ばかりの姉妹中の1人息子」であることを語り、「そのための細胞が常の男子とは組織が違っているのかもしれません。自分では確かに先天的だと思っています。」」
 
ぼくが男性同性愛の本を出そうと思いついた『ひとりぼっちの性生活』に寄せられた読者からの手紙にも同じようなものがあった。
 
「そして悲しいことには男の浴場に参り、男の……を見ることを大変喜びました。
 
屈強な人力車夫の偉大なる……あたりを見ると、……でもやられてみたいようなことを考えるようになりました。」
 
いつの時代でもゲイは男のアソコに目が注がれるのだ。それとゲイの悩みは、今とたいした変わりはない。
 
 
 
1つ目は自らの欲望や心情を周囲に打ち明けられないという「悩み」である。
 
それと、「好きな相手」「欲望の対象者」に自らの気持ちや欲望を打ち明けられない、という「悩み」である。
 
 
 
男性同性愛者たちの語る最も切実な悩みの一つは「相手探し」だった。
 
もう一つの「悩み」は、結婚に関する苦悩である。
 
『薔薇族』の時代になってからも「結婚」の問題が一番の「悩み」だった。
 
大正時代では、もっと、もっと深刻な問題だったと思われる。
 
 
 
雑誌『變態性慾』に寄せられた読者の投稿からしか、この時代のゲイの人たちの生きている姿を知る方法はなかったのでは。
 
 
 
その後に『變態心理』が、1923年に発行され、同8日に風俗壊乱として発売禁止処分を受けたとある。
 
「いずれにしても重要なのは、そもそも『變態性慾』誌は、「男性同性愛者」に語りの場を提供することを本来の目的としていたわけではないという点である。
 
そこに読者投稿が掲載されたのは、あくまで読み物としての掲載価値を認められてのことであり、同じような投稿が続きマンネリ化すれば、読者投稿の投稿は減っていたとも予想できる。
 
『變態性慾』が、発売禁止のリスクを冒してまで、「男性同性愛者」の投稿掲載を続ける理由は、どこにもなかったのである。」
 
 
 
『薔薇族』の出現が、いかに輝かしきものだったかは、この本を読めばわかることだ。
 
20170420

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月17日 (月)

桜の古木と同じように、ぼくも一花咲かせるか!

3月19日で85歳の誕生日を迎えてしまった。
 
親友のカメラマンの中嶌英雄君が経営する銀座のMUSIC&BAR「まじかな」で「文ちゃん85歳の誕生を祝う会」を開いてくれた。
 
身内はひとりも出席してくれなかったが、ネットの予告を見た人達が、20名を越え、にぎやかに祝ってくれて、楽しいひとときを過ごすことができた。
 
 
Party_2
 
 
85年、太平洋戦争を体験し、食べ物が全くない、ひもじい思いをして生き抜いてきた。
 
駒大時代も暖房も、クーラーもない教室で講義を聞いた。冬はオーバーを着たまま。かじかんだ手をこすりこすりだ。
 
 
 
ぼくは青山の隠田に生まれた。
 
生後間もなくして、世田谷区北沢5丁目1-75に、親類の金持ちが、貸家を建てたので、木造二階建(家賃は25円?)の家に越してきた。
 
祖母と両親、姉と赤ん坊のぼく、妹2人はこの家で生まれた。
 
その頃は田舎の川と同じように、自然のままのきれいな水が流れていた。
 
父が撮ったものだと思うが、川に沿った道をぼくは母親に抱かれ、誰だかわからない2人の女性が歩いている写真。
 
そこには植えられたばかりの桜が、倒れないように丸太で補強されて、桜並木になっている。
 
苗木から育ったとすると、90年近くになるのでは。
 
 
 
東急バスの車庫のある「淡島」から、環状7号線の道路まで、両岸に植えられている桜は何百本あるのだろうか。
 
ソメイヨシノの桜の寿命は、6、70年と言われているから、すでに1年は通り越している。
 
 
 
世田谷区の公園課は、古木の桜が強風で倒れて、通行人がけがでもしたら大変と、根元が腐ってきたりすると、情け容赦なく切り倒してしまい、また若木に植えかえている。
 
ぼくと同じ歳の古木は、あと何本残っているのだろうか。もう半分に満たないのではないか。
 
 
 
今年もお花見が、あちこちで開かれている。
 
その日は暖かい日だった。
 
以前住んでいた家の近所で、桜並木に面した家に住んでる金子さん。
 
嫁いだ娘さん、2人のご主人と小さなお孫さんが来ていて、バーベキューをやっていたところへ通りかかった。
 
金子さんのお母さんは、ぼくの母親とも仲良しだったが、すでにこの世にいない。
 
娘さんの小さい頃、よく写真を撮ってあげたことがある。2人とも結婚して子供までいるとは。
 
金子さんは、若い頃、ハワイに渡って、事業を起こし成功した人だ。今でも年に何回もハワイに行っているそうだ。
 
肉に野菜、いろんなものを焼いて食べさせてくれた。昔話に花が咲き、楽しいお花見になった。
 
 
 
切られずに残っている桜の古木、幹にコケが付いている。
 
この姿を見ると、同じ時代を生きてきたぼくとしては、もっともっと生き抜いて、春になれば見事に花を咲かせて、見る人を楽しませてほしいと思う。
 
この桜の古木が植えられた頃のこと覚えてる人は少ないだろう。ましてや誰がこの桜並木を植えて寄贈したのか。知っている人は、ぼくしかいないかもしれない。
 
この桜並木を斎藤茂吉や、横光利一などが散歩していたのも知らないし、若い人は、森茉莉さんのことすら知らない。
 
スマホを見ることに熱中している若者たち、苔むした桜の老木が必死に生きている姿を見てほしいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月15日 (土)

初めての近代日本の(男性同性愛者)の歴史!

51wbedl1mgl_sx345_bo1204203200_ 『<男性同性愛者>の社会史』(作品社刊・定価2400円税別)サブタイトルに「アイデンティティの受容/クローゼットへの解放」とある。
 
カバアの真ん中に、『薔薇族』の表紙写真が載っているではないか。パラパラとページをめくってみたが、商業誌として『薔薇族』が引用されている。嬉しいことだ。
 
 
帯には、
 
「大正、昭和、そして戦後。同性愛がタブーであった時代―、いかに彼らは自らを認識し、何を悩み、そして生きてきたのか? 秘密メディアや風俗雑誌、投稿などの肉声をもとにまとめた、初めての近代日本の<男性同性愛者>の歴史」
 
とある。
 
このような本が出版されたのは、日本では初めてのことで、まさに快挙というべきだ。
 
 
 
今の世の中、本を出版するということは大変なことなのだ。
 
この本のあとがきの最後に「本書の刊行にあたっては、「京都大学平成28年度総長裁量経費 人文・社会系若手研究者出版助成」を受けた。」と書かれている。
 
ぼくの長男もお世話になった京都大学、ありがたいことではないか。
 
ぼくは出版の仕事を長いことやっていたから、出版界の内情を多少は知っているが、新聞の書評欄に載ったりする頃には、すでに書店は返本してしまう。
 
じっくりこの本を読んでいては、書評らしきものを書くとしても時間がかかってしまう。
 
少しでも早くブログに書いて、この素晴らしい本を知ってもらわなければ・・・。
 
 
 
図書館には何としても置いてもらいたい。
 
図書館に行かれるようだったら、購入するように頼んでほしい。
 
大学の図書館にも置いてもらわねば。
 
口コミで広げていかないと本は売れない。
 
 
 
前川直哉さんという方、ぼくは面識がない。
 
「あとがき」の最初に「私は研究者であると同時に「男性同性愛者」の当事者でもある。」と、はっきり書かれている。
 
『薔薇族』の読者でもあったに違いない。
 
 
 
「著者紹介」を読むと、
 
「1977年、兵庫県生まれ。東京大学教育学部卒業、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(人間・環境学)(京都大学、2015年)。灘中学校、高等学校教諭を経て、現在、東京大学大学院経済学研究科特任研究員。2014年より福島県福島市に転居して、一般社団法人ふくしま学びのネットワークを設立、同法人の理事・事務局長も務めている。「本書は、2015年に京都大学大学院人間・環境学研究科より学位を授与された博士論文「近現代日本における「男性同性愛者」アイデンティティの受容過程」を加筆修正したものである。」
 
と。
 
 
 
学者って多くの参考文献を読み、長い時間をかけて論文を書くのだから、どんな頭脳の持ち主なのだろうか。
 
あまり研究者が日本にない「男性同性愛」の研究を指導してくれ、博士論文の主査の小山靜子先生のような方がおられたということは、京都大学ならではのことだろう。
 
 
 
「石田さんという偉大な先達がおられなければ、決して本書は完成しなかった。本当にありがとうございました。」とある石田君は何度も会っている人だ。
 
石田君が論文を書いたときも応援した記憶がある。
 
 
 
まずはこの本が出版されたということを少しでも世の中の人に知ってもらいたいという思いから急いで書いた。
 
前川直哉さんのように、男性同性愛を研究する人が続々と出てほしいものだ。
 
 
 
「アイデンティティの受容」なんて、なんのことだか理解できない、ぼくのような人間には、この本の書評はとても書けそうにもない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月10日 (月)

山川純一作品の劇画よ、永遠なれ!

『ウホッ!!いい男たち2 ヤマジュン未発表作品』(2009年11月20日発行。(株)復刊ドットコム刊・やらないかバンダナ付き・定価3675・本体3500円・5%税込)
 
もう刊行されて8年になるとは。消費税が5%の時代だった。
 
『ウホッ!!いい男たち・ヤマジュンパーフェクト」(復刊ドットコム刊・定価本体4800円+税)574ページでの値段だから高くはないのだろう。若い人たちがこんな高い本をよく買ってくれたものだと、今さらながらにヤマジュン劇画の魅力と人気の続いていることには驚かされる。
 
2003年に初版を刊行したのだから、なんと14年にもなる。
 
 
 
ヤマジュンの未発表作品は4作だ。
 
顔が長い、髪の毛が長いということだけで『薔薇族』スタッフ、と言っても2人だけだが、「載せるな!」と、あまりうるさく言うものだから、載せるのをやめてしまった。
 
ヤマジュンはぼくが支払う原稿料だけで生活しているのだから、止めてしまったら生活できない。
 
こんなに辛いことはなかった。彼に死ねと言うのに等しい。載せなくなっても作品を持ってくれば、原稿料をあげていた。
 
彼にしては耐えられなかったのだろう。ぷっつりと現れなくなってしまった。
 
未発表の4作品、それと1作を加えて刊行したのが『ウホッ!!いい男たち2』だ。
 
バンダナ付きとはいえ、100ページにも満たない本が、3500円とは、ちょっと高いのでは。
 
 
 
印刷製本はシナノ書籍印刷株式会社とある。
 
戦時中、大本営も長野県に移るということで、巨大な地下壕を掘ったそうだ。
 
その頃、空襲を逃れて、印刷会社も長野に工場を移したという話を聞いたことがある。
 
シナノ書籍印刷という会社、印刷製本を安く作るということで有名な会社だそうだ。
 
本の奥付を見ると、この会社の名をよく見かける。部数が少ない自費出版の歌集まで作っている。
 
東京よりは人件費も安いのだろうが、かなり大きな工場を持っている会社に違いない。
 
今の時代、何もかもネットで事足りてしまうのだから、活字を1本、1本ひろって組んでいた時代に出版の仕事をしていた人間には想像がつかない。
 
 
 
話が脱線してしまったが、4作品をしばらくぶりに読んでみたが、発想がすごい。
 
1作目の「絆」は、緋堂組というヤクザの世界を描いている。
 
「くどいぞ! 俺は2代目として親父のかたきをとらねばならんのだ」
 
「殴りこみは予定通り決行する!」
 
「関竜組に殴り込みましょう! が、その前に若にある儀式を行ってほしいのです」
 
若には大学生の男がいる。
 
「何の若のためなら秀も喜んで抱かれまする。
 
その真珠入りの巨根を思い切り使いなすって」
 
それからの2人のセックスシーンが派手に。
 
兄弟でがっちりと手を組んで殴りこみに。それが「絆」だ。
 
 
 
2作目は「義父」。
 
出産のために妻が実家に帰っている。
 
東京の出張の帰りに俺の様子を見てきてくれと、妻に頼まれての訪問。
 
その義父とのセックス。
 
「君のことは前から可愛くて仕方なかったのだが、してはいけないことだった、あんなことは」
 
 
 
3作目は「ショーボーイ」 同棲相手のとおるとのセックスをお金を取って、オッサンたちに見せるという話。話の展開が面白い。
 
 
 
4作目は「疾走する獣たち」 暴走族の話だ。
 
 
 
しばらくぶりに山川純一作品を読んでみたが、長い間、若者たちに愛されているのが、よくわかる。
 
これからも愛され続けるだろう!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月 8日 (土)

なつかしき「少年の部屋」!

『薔薇族』の中の「少年の部屋」という中高生の投稿ページ、なんという文字の小ささだ。こんな小さい文字を読んでいたのか。
 
85歳のぼくには、老眼鏡をかけて、その上大きな虫眼鏡を使って見なければ読めやしない。
 
その当時(今から30年も前)の中高生の想いがびっしり詰まっている。
 
 
 
「僕は16歳の高校2年生です。
 
昨日、初めて新宿2丁目というところへ行ってきました。
 
すごい人がたくさんいて、みんなホモなのかと思うと、ちょっと怖いような気がした。
 
 
 
店の中でも歩いてる時も、何人かに声をかけられたんだけど、変な人たちばかり。
 
嘘つきが多いって聞いたけど、ホントらしいね。
 
店の人とか、オネエ言葉使っているのには驚いた。
 
 
 
最初に声をかけてきたのは、28歳(?)の旅行関係の仕事をしている人。「もう年だから」を連発してた。だったらDCブランドなんか着ないでほしいよ。家賃が10万円のマンションに住んでるって、自慢にもならないことを自慢げに話していた。「給料の3分の1がちょうどいいって言うだろ」だって、残業ばかりで忙しいって言ってたな。ということは、そのうちのほとんどが残業手当なんじゃないんですか。女にモテた話とか、ペラペラとにかくうるさかった。
 
 
 
それから23歳の人は、S 大学出身で今は親の経営している会社で働いているって言うんだけど、実は僕、S大の付属に通ってて、姉もS大に通ってるんで、そのことは言わないで、いろいろ突っ込んだ話を聞いたんだ。
 
おかしいんだよね。S 大出身なんて、まるでウソ。最初はびっくりしたけど、嘘だとわかってほんとに腹が立った。なんか、おばちゃまぶってたけど
きっと転職のないプータローだろうな。
 
 
 
あと、40過ぎの汚いおっさん。
 
僕より一つ上くらいの子を口説いていて相手にされないと僕のところに来て、「君みたいのが本当のタイプなんだ」だってさ。さっきの子と全然違うんだけど、どういうこと?
 
 
 
高校生らしき人たちもいたけど、みんな遊びなれているようで、話しかけられなかった。目が合いそうになっても、わざと視線を逸らしちゃった。
 
 
 
行かなきゃよかったような気もするけど、行ってみて、実際どんなところかわかったような。みんなも知らないで行くと怖いよ。」
 
 
 
初めての新宿2丁目ルポ。よく書けているね。それからどうなったのかが心配だな。
 
 
 
「僕は高校2年の17歳です。
 
僕は小学校に入った頃ぐらいから、男に興味があったんです。そして中3の頃から好きになった同級生がいるんですよ。
 
そいつ中2の時に大阪から越してきて、2年の時は知らなかったんだけど、3年になって同じクラスになって、ひょんなことから友達になったんだ。
 
そいつなかなか、かっこいいんだよ。体格もいいし、性格もいい。顔まで俺の好みなんだ。
 
そいつ水泳やってて、高校に入ってからも同じ学校になったんで、そいつの行っているスイミングクラブに誘われて入ったんだ。
 
そいつの体ったら、もう最高! 思わずボッキしかけちゃったよ。
 
 
 
そのクラブの方針が自分の性格に合わなかったんで、1年足らずでやめてしまったんだ。
 
もったいないことしたと思ったけど、仕方がない。それで、それからそいつともあまり話をしなくなっちゃって、それきりなんだ。
 
時々会っても挨拶を交わす程度。どうしたらいいのかなあ」
 
 
 
なんか、つまらない話だけど、こんなことでいいのかな。
 
さわやかな話でよかったのでは……。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2017年4月 3日 (月)

残り少ない人生を男の世界で!

「私が『薔薇族』を知ったのは12年前の夏だった。
 
夕方ぶらっと街へ出て、何気なく書店で本を引き抜いて手にとって見た時、美少年がふんどしをもっこり盛り上げているイラストに、思わずごくりと唾を飲み込んだのでした。
 
裏にはこれまた男性美あふれる三島剛さん描く毛むくじゃらの男!
 
パタンとページを閉じて、レジへ向かう時、53歳の私の胸は早鐘を打っていました。
 
 
 
幸いに店員さんは無表情に、カバアを付けて渡してくれました。
 
急いで家に帰り、自分の部屋の鍵をかけて、グラビアをむさぼるように見たのでした。
 
 
 
妻は私よりも3歳年上でしたが、娘に孫が生まれると、私をひとり置き去りにして娘のところへゆき、3ヶ月も過ごしてきました。
 
 
 
その夜、久しぶりに妻を抱きました。
 
妻も3ヶ月も留守にしていたので、仕方がなく私のなすがままにしていましたが、一向に燃える気配もなく、「さあ、早くして終わってほしい」という素振りがありありと見えました。
 
私はいきり立つものに、つばをつけて妻の上にのり、定めた位置にあてがって、腰をつき出した妻が、「ああ、お父さん、痛い、やめて」私はその言葉を聞かぬふりをして、腰を使って、溜まっていたものを一気に放出しました。
 
 
 
妻から離れてひとり精液にぬれた己のものを拭いていると、妻が「お父さん、お願いがあるの、私はもうセックスする気にならないの。孫の顔を見て過ごした3か月、楽しかったのよ。もう私たちも孫のいる歳になったんですもの…セックスするのやめましょうよ」
 
私は妻の言葉に、まじまじと顔を見た。(中略)
 
私はこの時、はっきりと夫婦がもう冷え切っている事を悟りました。
 
 
 
そんな時に『薔薇族』と出会ったのでした。
 
告白手記、小説、そして呼びかけの声、どれもこれも初めて知る未知の世界でした。
 
男同士が愛し合う、しかも、お互いのペニスを舐め合い、そして精液を放出してのセックス。
 
さらに愛が深まれば、お互いの肉体の中へ入れ合うセックスを知ったとき、私は驚きと喜びの入り混じった複雑な気持ちでした。
 
そのときふと、戦時中に兵隊同士が、弾の降る戦場で、今宵限りの命と思って、男同士でマスをかいたり、尻の穴へ入れたりして快楽にふけったことを小説で読んだことを思い出しました。
 
それからというものは、ハッテン場へ行き、年下の男をハントしてはふたりっきりの部屋の中で、男の宴を開きました。
 
 
 
ドロドロの愛の中に真実を見つけたとき、私は長い間の夫婦生活の中になかったものを体得しました。
 
私はよろこびに打ち震えました。
 
残り少ない人生を男の世界に生きていこうと決心しました。
 
 
 
上野のスナックにも通いました。
 
今度はどんなパートナーに会えるかと胸をときめかせてドアを開けるときの心境は、たとえようもなく新鮮で、私いっぺんにタイムトンネルの中を走り抜けて、若い頃に思いを馳せて、若返り、ハツラツとして人生がまさにバラ色になりました。
 
相手が女だと妊娠ということもありますが、相手が男なのでそんな心配もいらず、心ゆくまで自分の気の向くまま、思いっきりやりたいことやりながら今日を迎えました。
 
 
 
私は65歳、年金生活ですが、アパートを経営していますので、贅沢さえしなければお金に困ることはありません。」
 
 
 
この人、堅実な仕事をしてきたのだろう。
 
奥さんも幸せ、アパートを経営していて生活にも困らない。
 
羨ましいような生き方ではないか。
 
『薔薇族』読者の優等生だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月 1日 (土)

河北新報の佐藤純さんがいい話を!

仙台に本社がある河北新報の東京支社は銀座にある。その東京支社長の佐藤純さんと、ぼくの友人のカメラマン、中嶌君が経営する音楽バア「まじかな」で知り合った。
 
その後、ぼくが主催するパーティに、佐藤さんはお忙しい中を必ずといっていいほど顔を見せてくれていた。
 
佐藤さんが4月から本社のある仙台に転勤が決まったそうだ。
 
3月24日(金)夜7時からの「文ちゃん・85歳の誕生日を祝う会」をまじかなで催した。
 
 
 
ネットだけの予告だったので、10人も集まってくれればいいと思っていたら、ネットを見て初めての人も多く、20人を越す参加者が集まってくれた。
 
なによりもうれしかったのは、若い女性が10人近くも集まってくれたではないか。
 
ぼくの身内は誰1人いない。
 
すべて他人様ばかりなのに、こんなに楽しかった誕生日を祝う会はなかった。
 
みんな心やさしい人ばかりで、プレゼントも用意してきてくれていた。
 
 
 
新橋の5番出口を出て、まじかなに向かう途中の店で、小さい店だが梅干を専門に売っているお店がある。
 
ウインドウにかめに入った梅干が飾ってある。
 
梅干とはいえ高いんじゃないかなと思いながら、いつも通り過ぎていた。
 
その2、3軒先には、お香の専門店もある。
 
その梅干を5個ほど入ったプレゼント持ってきてくれた女性がいた。
 
ハンカチ、靴下、佐藤さんはシャンパンを。
 
 
 
亡くなられた団鬼六さんの奥様は、キングレコード専属の歌手で、戦後にヒットした「リンゴの唄」「青い山脈」などを歌ってくれた。
 
「青い山脈」の歌は、青春を蘇らせてくれる。
 
 
 
セクシーな太めの女性で、子供の頃からオナニーをしていると、あけっぴろげにしゃべってくれた女性もいた。
 
早速、「愛の潤滑液ラブオイル」をプレゼントしてあげた。
 
 
 
若い女性たちと話がはずんで、時計を見たら11時を過ぎてしまっていた。
 
肝心の話は、河北新報の佐藤さん、送別会を抜け出してきてくれて、大事な話をしてくれた。
 
 
 
東日本大震災から、早くも6年が過ぎた。
 
テレビで見る限り、あまり被害地に、家が立ち並んで元に戻ってるようには見えない。
 
佐藤さん、こんな話をしてくれた。
 
実際に被害に遭った人たちの体験談だ。
 
東京だっていつ地震にも襲われるかはわからない。
 
 
 
災害に備えて水や、食料を備蓄する家庭は多いが、一番の問題は、トイレだそうだ。
 
避難場所に行けば、飲み物や、おにぎりなどはすぐに届くが、問題がトイレだそうだ。
 
今はどこの家庭でも水洗便所だ。
 
地震が起これば水は止まってしまい、トイレの水は流れない。
 
男は小便なら外で済ませられるが、女性はそうはいかない。
 
なんとしても大便は始末が悪い。
 
 
 
断水や停電があっても、家庭の被害が少なければ、避難所より安心できると考え、自宅にとどまった人が少なくなかったようだ。
 
そのためには家庭のトイレ対策は欠かせない。
 
すぐにできることは携帯トイレを用意しておくことだ。
 
ネットで注文して買えるようだ。
 
そう高価なものではないから、7日間分ぐらいは備蓄しておくべきだそうだ。
 
使い方は簡単で、断水で水洗機能が使えない場合、ポリ袋を便座にかぶせ、次に携帯トイレをセット。
 
排泄後、携帯トイレだけを交換する。
 
 
 
我々は便利なものに、慣れすぎている。
 
それが使えなくなったら、どうなるのだろう。
 
ぼくは携帯電話を持たないからいいが、これが使えなくなったら。恐ろしい。
 
妙なことを考えさせられた、誕生を祝う会だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2017年3月 | トップページ | 2017年5月 »