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2017年5月

2017年5月29日 (月)

次回「文ちゃんと語る会」のお知らせ

次回「文ちゃんと語る会」は6月24日(土)開催です。
 
講師・2代目『薔薇族』編集長 :竜超
        「少年を愛することは罪ですか?」
 
日時・6月24日(土) 11時~13時
場所・下北沢南口から4分、カフエ「織部」
住所・〒155−0031 世田谷区北沢2—2—3
電話・03—5432—9068
会費・コーヒー代のみ
 
『薔薇族』 423号・2017・Spring
定価700円 発売中! ⇢ 販売ページ 
 
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学園闘争の激しかった時代の匂いが!

日本で初の同性愛誌『薔薇族』の創刊へと、いきなりたどり着いたわけではない。
 
小さな出版社はエロ本で生きるしかないと、昭和37年(1962年)に、武野藤介さんの『わいだん読本』を最初に、ナイトブックス(騎士と夜をかけたもの)と称して、新書版で60冊ものエロ本をひとりで出し続けた。
 
昭和41年(1966年)秋山政美さんの『ひとりぼっちの性生活=孤独に生きる日々のために』を刊行、これがヒットし新しい読者の存在に気づき、方向転換して男性同性愛者のための単行本発行に切り替えた。
 
 
 
20冊ほど雑誌を出す前に、同性愛者向けの単行本を出し続けたが、その時代、1冊の本の原稿を書ける人は少なかった。
 
一番最初に原稿を持ち込んでこられたのは農上輝樹さんで『薔薇の告白・女を愛さない男たち』で、自ら裸になってモデルになり、若い男とカバアを飾っている。書名も装幀もぼくひとりでやったもので、帯の宣伝文句もぼくが考えたものだ。
 
 
 
農上輝樹さん、『薔薇族』を創刊してからも、次々と原稿を寄せてくれた。かなり後になって知ったことだが、東京六大学の一つの大学の図書館で働いている方だった。
 
『薔薇の告白』の中の一節の「落書ホモの生態」が面白い。
 
 
 
「心に浮かぶ片々―単純で短く断片的な落書きの語句は、心の端的なスケッチであり、情念の吐露ともいえる。
 
淡彩ながら鋭くて、直截なそれは、フォトジェニックに正確なホモの心象風景でもある。物語作家の語る物語にも増して。
 
壁に咲いた落書き、メモに記された熱く重い魂の表白を集めて読者諸氏に送る。」
 
 
 
ネットや携帯電話などのない時代、トイレの壁に書かれた文字は、当時のホモの人たちの切実な叫びだった。
 
 
 
「学友のH・R君、きみのファロスをなめてあげたい。ういういしいきみの顔を見るたびにわしの胸は強い欲情で疼く。わしは今日もここで自らを汚す。
 
なんて形のいい尻なんだ。汝の幻影に向かい、汝の名を呻きながら、わしは今日も自らを汚す。(拓殖大学トイレ)」
 
「男のミルク飲みたい人、飲ませたい人、左記へ電話しな。電話番号(554)1919番(新宿日活名画座)」
 
「ちゃん ちゃん ちゃんこにケが生えた。珍々 珍子はカスむくれ テストが書けずに珍古カク(東京予備校)」
 
「じっくりと若者のにおいがしみこんだブリーフが欲しい。誰かはき古したヤツをここに脱いでいってくれ。毎晩7時に棚の上を見に来る。(競技場わきの円形トイレ)」
 
「おれんとこは下宿屋だ。誰もいないときに押入れを開けると、若い学生さんのがいろいろ検査できる。塩辛いような酸っぱいようなツーンとした鼻に染み渡るような匂いがするぞ。ゴワゴワの地図がついたものもある。欲しかったら連絡先書いておいてくれ。(同)」
 
「おれはヘルメットかぶって、フク面して、ピッチリした綿パンをはいた学生さんのが欲しい。ムッと汗にむれてて、またぐらのにおいをたっぷり吸い込んでいるヤツだ。(同)」
 
「全学の学友諸君、ひよるなよォ、屁をひるなよォ、臭ぇぞォ。(同)」
 
「機動隊のXと、全共闘のXをねじり合わせてしごいてみたい。(新宿・京王百貨店)」
 
「ヘルメットをつけたまま、5階便所の中で抱き合った。今井君はピクッピクッと死ぬように激しくケイレンして白いものを飛ばした。せまい四角い空間が、洗わないカレのにおいでいっぱいになった。(新宿・京王百貨店)」
 
 
 
学園闘争の激しかった時代、あの頃のにおいがむんむんとにおってくるようだ。

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2017年5月27日 (土)

大正時代の蔵書票と明治・大正の絵葉書―過ぎ去りし日の小さな絵展―

日本は古来から中国の影響で印鑑(ハンコ)の国だ。愛書家は自分の所有する書物に、蔵書印を見返しに押した。ところが西洋には印鑑はない。
 
15世紀の後半、ドイツの神父、ヨハネス・クナベンスブルグが作った木版画の蔵書票が世界最古級のひとつといわれている。
 
 
 
15世紀の中頃、ドイツのヨハン・グーテンベルグによって活版印刷が発明され、それまでの羊皮紙の手写本の世界は一変する。
 
斜めの台の上に1冊ずつ並べられていた本は印刷術の発明により、現在見られるようなスタイルの本になり、大量生産されるようになる。
 
本の数が次第に増すにつれ、整理も大変になり、まず所有者を明らかにするため、本の見返しに小紙片を貼ることが考えられたのが、蔵書票の始まりである。
 
 
 
現在に見られるようなスタイルの蔵書票をはるばるチェコスロバキア生まれのエミール・オルリックが、船で日本に浮世絵の勉強のためにやってこなければ、日本に蔵書票なるものが知られるのは、ずっと後のことになっていただろう。
 
画家としても版画家としても有名だった、エミール・オルリックが自作の蔵書票を、与謝野晶子が主宰する『明星』に4枚、紹介した。当時の芸術家、知識人が『明星』を愛読していて.その影響力は絶大だった。
 
 
 
日本の若い版画家たちがオルリックの紹介した蔵書票に版画芸術の新しいジャンルとして関心を寄せて、制作されるようになっていった。
 
 
知識人のお金持ちも自らの蔵書票の制作を若い版画家たちに依頼するようになり、大正時代が日本の蔵書票の夜明けとなった。それだけに活気に満ちた、版画家が精魂込めた作品は実に個性的で、優れた作品が多い。
 
 
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創成期の大正時代の蔵書票が、こんなに大量に出展されることはなかった。
 
台湾に住むコレクターがな亡くなり、その遺族が売りに出したものを全て購入したものだ。その値段は忘れてしまっているが、おそらく10倍以上の金額であっただろうが、この価値を認めてくださった方々に購入していただければ幸いである。
 
 
 
ぼくが渋谷の渋谷区立松濤美術館で、1993年8月4日から9月12日まで開催された「特別展 フィリップ・バロス コレクション展 絵はがき芸術の楽しみ―忘れられていた小さな絵―」この展覧会を見に行ったのは、24年も前のことだ。明治33年、1900年の政令によって逓信省は民間ではがきを印刷し、販売することを許可し、私製の郵便はがきの発行が認められ、自由な図版ができるようになったのが、絵はがきのブームのきっかけとなった。
 
 
 
明治37年・38年の日露戦争で勝利し、戦争記念絵はがきが数多く作られ、戦地との交流に絵はがきが重宝がられた。
 
フランス人のフィリップ・バロス氏のコレクションは、当代一流の日本画家や、洋画家の制作されたものだけを展示している。
 
印刷技術を見ても、現在ではとても見られない手の込んだ精巧な作りで、数種の版を併用したり、透かしを入れてみたり、仕掛けを施したり、それぞれに意匠を凝らし技術を尽くしている。
 
 
 
ぼくのコレクションは、中途半端でとてもバロス氏のコレクションの足元にも及ばないが、いい作品もあるので見つけ出してください。
 
「ワイアート」では、ネットでも買える。絵はがきはまとめ買いすると格安になるようだ。
 
文ちゃんのふところが、少しでもあたたまるように、ご支援をお願いする。
 

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2017年5月22日 (月)

トイレの床に捨てられ、踏みつけられた『薔薇族』

201705b 150号記念特大号に、今は亡き国学院大学教授の親友の阿部正路君を千葉県柏市の自宅に尋ねて、ぼくと対談をしている。12ページもの長い対談の中から、面白い話を取り上げてみよう。
 
 
 
阿部  『薔薇族』を手にするたびに、ぼくは「伊藤文学のひとりごと」が面白くて、まずそれを最初に読むんです。汽車の中で『薔薇族』を一生懸命読んでいるおじさんをあまり見つめていたものだから、おじさんが降りるときに、それを見ていた若者に『薔薇族』を置いていったという話がありましたね。ここにおじさんも読めば、若い人も読むことがよくわかったし、読者層の広がりということを感じます。
 
 
 
伊藤 ぼくらは本当に活字というものに対して、一種の尊厳みたいなものを感じるんだけど、ある読者が公衆トイレに入ったら、トイレって水をまいているでしょう。そういうところに『薔薇族』が踏みつけられて捨ててあるのを見たときに、大変悲しい思いをしたと言うんです。
 
その人はラーメン屋で働いている人で、よくラーメンを出前に出すでしょう。そのときに器を灰皿代わりにしちゃったり、鼻かんだティッシュを中に入れちゃったりする人がいる。それもその人にとっては堪えられないことだということを書いてきたのをいまだに覚えています。
 
 
 
伊藤 150号ということで、初めて外部の先生方に原稿を書くことをお願いしたわけですよ。20人近い方に丁寧なお願いの手紙を出したんですが、果たして何人の方が書いてくださるか、『薔薇族』の将来を占うことになるかという気持ちで待っていたのです。
 
 
 
結果は喜んで原稿をいただけたのは、胡桃沢耕史さんと、邱永漢さんだけ。おふたりとも直木賞受賞作家だ。
 
おことわりの手紙をいただいたのは6人の先生。あとの10人の先生は、まったくの無視でした。これは予想したとおりの当然の結果で、世の中のきびしさを冷静に受け止めるべきだろう。
 
 
 
伊藤 世の中、たしかに変わったかもしれないけど、ひとり、ひとりの悩みはたいして変わっていないと思うんですよ。悪いことをしたわけでもないのに、人を傷つけたり、人をだましてお金を奪ったり、人を殺したりしたわけでもないのに、なんで隠れて隠れて、自分の心の底にあるものを隠して生きていかなければいけないのか。ぼくはそれをずっと声を大にして叫び続けてきたわけだけれども、阿部君から見て、どういうふうに思うのかな。
 
ぼくらは中学生の頃に性に目覚めるでしょう。そのときに、ぼくは女が好きだった。女の好きな男は別に罪悪感なんて持たないでしょう。それは当たり前のことだから。
 
だけど男が好きだなということを意識したときに、どうして罪悪感をその時点で持っちゃうのか、それがぼくは不思議でしょうがないんですよね。(これは32年も前の話で、今は意識が変わっている)
 
 
 
伊藤 100号の記念号を出したときに、藤田竜君との対談を載せて、10年間の苦労話とか、いろんな出来事をしゃべったんだけど、彼との出会いが、この雑誌を決定的なものにしたのかな。
 
座敷のたたみの上に、100冊の『薔薇族』を並べて、そこに座ってふたりで写真を撮ったんですが、ふたりの写真を見ていると、藤田竜君はサングラスをつけているし、何かテキ屋の親分が、街頭で雑誌を並べて、たたき売りしているような写真になっちゃんたんですよね。(笑い)これにまた50冊増えてしまったから、体育館の床にずらっと並べるしかないのかな。
 
 
 
阿部正路君、ガンで早死してしまって、寂しさがつのるばかりだ。

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2017年5月20日 (土)

LGBT を完全に理解し、語れる人っているの?

201705a LGBT という言葉が、新聞紙上で目につくようになってきた。
 
2017年5月13日の東京新聞に「LGBT を理解 企業を育む 東京五輪が後押し・社内で研修制度整備加速」という、大きな記事が載っている。
 
 
 
「同性愛や性同一性障害などの性的少数者(LGBT )が働きやすい職場にしようと、企業が研修や社内制度を整える動きが加速している。
 
2020年、東京五輪・パラリンピックの基本コンセプトに、「多様性と調和」を掲げ、好きな相手の性(性的指向)で差別しない方針を打ち出したことが、追い風になっている。」と、奥野斐記者の記事だ。
 
 
 
「隠れていないで表に出よう!」の旗印で、1971年に日本最初のゲイ雑誌『薔薇族』を創刊したぼくとしては、こんなに嬉しいことはない。
 
しかし、考えてみれば、このような機運になってくるまでには、50年という歳月が流れている。
 
まだまだ歩みだしたばかりで、ひとつの差別を解消するには、あと50年はかかるだろう。
 
 
 
国内の20〜59歳を対象にした電通の調査(2015年)では、7.6%。博報堂DYグループのシンクタンクによる同じ対象の調査(16年)では、約8%と推計している。
 
7.6%、8%というと少ない数ではないが、表に出ている人は、1割ぐらいで、あとはひっそりと隠れて暮らしているに違いない。
 
 
 
「住宅設備建材メーカLIXILは、4月、外部講師を招いて初めてのLGBT勉強会を開いた。
 
2日間で社員約300人が参加。」とある。
 
 
 
外部の講師を招いてということだが、どんな話をされたのか聞いてみたいものだ。
 
『<男性同性愛者>の社会史・アイデンティティの受容/クローゼットへの解放』の著者の前川直哉さんのように、自らゲイであることを公表し、本も出版されるような学者は、少ないというより、ほとんどいないと言っていいのでは。
 
同性愛の研究をしていると、あの先生はゲイではと言われてしまうし、女性と結婚もしているから、隠してる先生が多いだろう。
 
 
 
「男であって、男が好きな人」と言っても、いろんな人がいるのだから、30数年、ゲイの人と付き合ってきたけれど、奥が深いというか、まだまだわからないことが多い。
 
LGBT といっても、その全てを理解し、明解に答えられる人って、いないのでは。
 
 
 
『薔薇族』1985年4月号創刊150号記念特大号に、直木賞作家でもある、今は亡き邱永漢さんが「暗黒大陸への熱い視線」と題して寄稿してくれている。
 
 
 
「まだ社会的偏見に包まれているのは同性愛と近親相姦ぐらいなものですから、小説のテーマとして残された暗黒大陸と言ってもよいのかもしれません。
 
私の仲間の小説家の中にも、ホモセックスを取り上げたいと常々言っている人がいますが、いまだに実現していません。
 
ジャン・ジュネの『泥棒日記』から、デュベールの『薔薇日記』に至るまで、私もひととおりは目を通していますが、やたらに衒学的だったり、やたら即物的だったりして、まだこれこそ傑作中の傑作だという作品には出会っていません。というのも、ホモセックスをごく普通の人間の恋愛感情として扱う人が少なく、ひどく誇張したりしてみたり、あるいは自分は局外者だという立場を強調した作品に終始しているからです。」
 
同性愛は暗黒大陸といった邱永漢さん、そう簡単に、同性愛を語るものではないということなのだろうか。
 

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2017年5月15日 (月)

脳梅毒のために髪が抜け落ちて!

『娼妓解放哀話』から、もうひとつの話。
 
「大正3年9月28日のことであった。新吉原江戸町2丁目の中村楼にいる常盤木という娼妓から、1通の手紙が伊藤君のところに届いた。
 
読んでみると、ひらがなと、カタカナとを混ぜこぜにした、さっぱりわからないものではあったが、それでも廃業したいから、ぜひ来てくれということは読みとれた。
 
早速行って会ってみたが、形容のできないほどの意志薄弱な女で、どうにも手のつけようがなかった。
 
「とにかく、あなたは今日限り娼妓をやめたいと思うのですか?」
 
「はい、もう1日もこんな稼業はできませんから、やめたいと思います。」
 
「では、これから僕と一緒に警察に行きましょう」
 
「だけど、おかみさんに叱られますから」
 
「自分の意思で廃業するんだから、おかみさんだって、それを邪魔する権利はないんです」
 
「警察に行ったなら、きっと巡査さんに叱られるでしょう」
 
「そんなことはない、僕がそばについていてあげるから」
 
「廃業したあとで、私はどうなるんです」
 
「堅気になって働けば、いいじゃないですか、まだ若いんだから」
 
「だって女郎なんかした者をやとってくれる人はいないでしょうから」
 
「そんなこと言っていては果てしがない。早く決心しなさい」
 
「ええ、決心しているんだけど、私……」
 
 
 
そんな問答を百万べんくり返しても埒が明かないと思ったので、伊藤君は最後の駄目押しをおいて、一緒に警察にまで行くだけの勇気がでたならいつでも、救いに来てあげると言い置いて帰った。
 
ところが1週間ほど経って、常盤木はなじみ客に頚動脈を切られて死んだ。
 
男も一緒に死んだので、死人に口なし、事情はさっぱりわからないが、伊藤君の面会した時の事情から察すれば、やっぱりぐずぐず言っているうちに男から無理心中させられたものだろう。
 
その翌年、9月4日のことであった。同じ新吉原の一力楼にいる春駒という娼妓から手紙で自廃の助力を求めてきた。
 
この女性は常盤木よりも学問があって、手紙も一通り読めるように書いてあった。
 
手紙を読むとすぐに伊藤君は面会に行ったが、一力楼ではなかなか面会させない。
 
とうとう交番の巡査に頼んで面会することができたが、楼内で面会されては、他の娼妓たちへ自廃が伝染してはならないというので、仲の町の写真屋の2階でおかみ立会いのもとに面会してみると、春駒がかわいそうに脳梅毒のために、髪がすっかり抜けてしまって、かつらをかぶって稼業をしているのであった。
 
 
 
春駒は伊藤君に、今日はこのままひきとってほしいと言った。(中略)
 
かれこれするうちに9月も末となった。
 
かつら女だと知ってか知らずか、なじみでもない登楼客と刃物心中を企てて、二人とも絶命した。
 
後で同楼から自廃した女に聞いてみると、春駒はちょっと顔立ちのいい女であったから、かつらをかぶった女とは知らずに登楼した男が、酒に酔っぱらって、無理にかつらを取ってみたがるのがつらいと言って自廃を思い立ったのであって、かつらをとって見ろという男は登楼者だけに限ったことではないのだから、いろいろと考えあぐんで末が、心中ということに落ち着いたらしい。
 
千人近い自廃娼妓をとり扱った伊藤君が、その目的を達しえないで、心中の悲劇に走らしめたのは以上の3名だけであった。
 
遊郭で心中する男も女も、ことごとく性病からきた麻痺性痴呆症患者ですよ。この患者だけは手に負えないと、医師に教えられたそうだ。

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2017年5月12日 (金)

華やかな「花魁道中」の影に!

ぼくの祖父、伊東富士雄(大正12年・53歳で没)。救世軍の士官として、吉原や洲崎のお女郎さんを苦界から救い出す仕事をしていた。
 
昭和5年に中央公論社から刊行した『娼妓解放哀話』、祖父から聞き出した話を沖野岩三郎さんがまとめた本だ。
 
お女郎さんを廓の経営者から救い出すには、かなりの法律を熟知し、廓の経営者と渡り合う弁舌が必要だ。
 
お女郎さんを救い出す苦労話、この本にはいくつもの例が書かれている。
 
祖父は頭のいい人だったようだ。
 
 
 
「千葉県木更津から出てきたという50がらみの男が、救世軍本営に来て、娘の廃業を頼みますと泣きついてきた。
 
娘は19歳で吉原江戸の町の石◯楼に娼妓となって出て、4ヶ月目であるが、その半分は病院暮らしである。
 
全快すればまた嫌な稼業をしなければならないから、早く助けに来てくれと、父親に矢のような催促をしたので、父親は上京して吉原病院を訪ねて行ったが、楼主の許可がなければ面会させないとはねつけられた。(中略)
 
「私はこの子に650円(今だといくらぐらいになるのか?)出したのです。それに4ヶ月も半分しか稼がないで、廃業とはあんまりですと、泣きわめいた。
 
警察の警部(業者から賄賂をもらっているので廓の見方)も叱るように、「君たちふたりはぐるになって、650円の借金を踏み倒すつもりだな。廃業するのは勝手だが、650円という大金を、どうやって調達するつもりか。調達の見込みがないのに、廃業するのはけしからんじゃないか。さっ、その借金はどうするんだ!」と言う。
 
 
 
伊藤君はそばから口を出して、借金は借金で返済の義務があること、娼妓廃業は娼妓廃業で別問題であることを説いて、
 
「この親子ふたりが、あなたから650円の資本を借りて米屋を始めたとする。ところが4ヶ月を2ヶ月まで入院して、これでは米屋もできないと言って、廃業しようとするのを、米屋をすると言って、650円貸したんだから、病気だろうがなんだろうが米屋の廃業はまかりならぬ。
 
どんなに他に適当な事業があろうと、それに鞍替えしてはならない。なんでもかでも米屋を続けろと説諭する警部さんがあったとき、あなたはどうお考えになりますか。
 
そのとき米屋をやらないで、しょうゆ油屋をやろうとするのは、サギだとお考えになりますか?」と言ったので、係の警部は苦笑して説諭をやめた。
 
 
 
すると楼主は初めて、自分は若い女を質草に取ったのではないという理屈がわかったらしく、しきりに頭をかいて「そうですかなあ。そういう理屈ですかなあ。そうすると私たちほど弱い商売はありませんなあ」と言って、とうとう廃業に同意した。
 
「本当に弱い商売です。私は深くご同情いたします。どうか、1日も早くこんな弱い商売をおやめください」伊藤君は楼主に、そんな挨拶をして、警察を出てきた。」
 
 
 
ぼくの女房の古里、新潟県の弥彦村、そのとなりの町に分水という町がある。
 
川ぞいに桜並木があって、桜の季節には観光の目玉として「花魁道中」が華やかに催され、数万人の観光客が訪れる。
 
そのことにケチをつけるつもりはない。女郎の中でも教養があって、美しい女性が選ばれるのだろうが、貧しい親元からお金で売られてきた女性であることは同じだ。
 
いかにお女郎さんが、人権を無視され、ひどい仕打ちを受け、苦界に身を沈めていたかということを少しは知ってもらいたいものだ。

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2017年5月 8日 (月)

皮膚という衣裳を身に着けて踊っている!

藤田竜くんが全く一人で編集、制作した『青年画報』は、『薔薇族』の文字が小さくしか入っていない。
 
1号を買った読者の反響が2号の最後のページに載っている。「『薔薇族』の文字が小さいので買いやすいです。市内の書店で女性誌と並べて置いてあるところがありまして…」と札幌の読者が投稿している。
 
2号目はSM特集で、79年冬の号だ。
 
日本兵が中国の男性を数人で銃剣で刺し殺している、毎日新聞の「秘匿ネガ」が、「戦時中の人間性」と題して2枚の写真が載っている。
 
戦争っておそろしい。人間性を変えてしまうからだ。二度とこのようなことがあってはならない。
 
 
 
ぼくが先妻の舞踊家、ミカの「名作『O 嬢の物語』舞踊化の頃のこと」と題した文章が載っている。
 
文章が長いのでさわりのところだけ紹介しよう。
 
「初演は昭和42年の10月30日と31日の2日間、新宿の厚生年金会館の小ホール(700人収容)で行われた。
 
週刊新潮をはじめ、いろんな雑誌に紹介されて好評だった。
 
再演は暮れの12月26日、同じく新宿厚生年金会館小ホールで開かれた。
 
週刊誌で紹介されたこともあって、遠く北海道から駆けつけてきた人もあり、開演前に長蛇の列ができるほどだった。
 
「観客席の台の上のO嬢であるミカを見ながら観客は扉を出て行く。再演の時だった。O嬢の周りを取り囲み、何十人かのギラギラした男たちの目が、ねばりつくように注がれる。
 
公演の前日のことだった。ぼくがミカの全身の毛を剃り落として、童女のようになっていた。その裸体ににわとりの白い羽毛を全身にぬりつけたのりにはりつけたのだ。
 
下半身にはビキニの薄いパンティをつけてはいたが、それがわからないように羽毛がはりつけられていた。
 
ミカは観客の目に異様な殺気を感じた。全ての会場のライトは消されて、ミカの白い羽毛に覆われた裸身だけを浮き立たせるようにそこだけに光が当たっていた。
 
観客の中のひとりの男が、パンティの上から手を入れた。それを待っていたように、下からも、横からも、何人かの手がパンティの中にすべり込む。
 
もぐりこんだ指が、そこにあると思ったものがないのを察するかのように、びくっと手を引っ込める。のっぺりとしてそこに何にもないからだ。
 
上から入れられた指と、下から入れられた指とが、パンティーの中でさわる。お互いにぎくっとして手を引っ込める。
 
ミカは完全にO嬢になりきっていた。そのあと、そのたくさんの指が何をしたかは知らない。
 
静止した何分かが過ぎた。
 
「お疲れさま」
 
天井のライトがいっせいについて、舞台から舞台監督の荒木君がとび降りてくる。もう観客席には、1人の客もいなかった。
 
スタッフの全員が、口々に「お疲れさま」と声をかけあって、ミカの周りに集まってくる。
 
数日して、1通の手紙がミカのところに舞い込んだ。
 
白い羽毛が1枚と、完全にO嬢になりきっていたミカをほめたたえる手紙が入っていた。」
 
ミカは33歳の若さで風呂場で事故死してしまったが、もうこんな舞踊家は二度と現れないだろう。
 
興味を持たれた方は、ミカとの出会いから亡くなるまでの15年間を書いた、彩流社刊のぼくの著書「裸の女房」を読んでもらいたい。
 
この本にサインを求められると、ぼくは「ミカと出会えたことの幸せ」と書いている。

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2017年5月 6日 (土)

隠さなくったって、もういいじゃない!

新潮社からスゴイ書名の本が出版された。木下直之さんの『股間若衆』に次ぐ本だ。
 
『せいきの大問題=新股間若衆』、「せいき」は「世紀」と「性器」をかけた言葉だろう。
 
Seikinodaimondai
 
帯に「時をかけ、世界を股にかける若衆たち。隠さなくたって、もういいじゃない!」
 
俳優、小林聡美とある。帯に推薦文を書くくらいの方だから、有名な俳優さんなだろうが、どんな方なのかわからない。
 
こんなときにネットで調べれば、すぐにわかるのだろうが、ネットを触れないのだからどうにもならない。
 
「隠さなくたって、もういいじゃない!」と言いきるぐらいの方だから、それなりの活動をしている方だろう。
 
「男の、女の裸体表現の秘所をさぐる天下の奇書」とも書いてある。
 
 
 
ぼくが創刊した『薔薇族』の旗印は「隠れていないで表に出よう!」だったが、そう簡単には表に出られない。まだまだ隠れてひっそり暮らしている人が、大多数なのだから。
 
性器そのものでなく、女性が裸になることにだって抵抗がある。
 
 
 
それにしても木下直之さん、日本中の裸像の銅像をよく調べ上げたものだ。
 
時代によって、葉っぱで隠したり、もっこりだけのものもあるし、リアルに大きなものをぶら下げているものもある。
 
 
 
ぼくは警視庁の風紀係に、発禁4回、始末書を書かされること20数回、桜田門までの定期券を買えと、嫌味を言われたことさえある。
 
警視庁の建物が新しくなって、玄関の扉をあけると、広くなっていて、その壁面に朝倉文夫さんの作の男性の裸像がで〜んと置かれている。
 
風紀係に呼び出され玄関脇の受付で要件を告げると、係に連絡してくれて、係官が迎えに来てくれる。バッチみたいなものを胸につけて、係官とエレベーターに乗るのだが、ぼくは朝倉さんの裸像を指さして、「アレはいいのですか?」と、聞いてみた。
 
係官は「アレは自然な形だからいいので、君のところは不自然だから駄目なんだ」と。
 
警視庁もこの朝倉さんの裸像を今更撤去できないし、なんとなく後ろめたい気持ちがあるのか、写真撮影は許されていない。だから木下さんの本の中にこの裸像は出てこない。
 
 
 
都内の各所に男性の裸像が建てられているが、それを見る人ってあまりいないのでは。
 
その証拠に足立区の方で、ゲイの青年が殺された事件があり、警視庁の捜査一課の刑事さん二人が、ぼくに話を訊きにきたことがある。
 
殺された青年は毛深い男で、お尻のまわりも毛むくじゃらで、お尻の回りだけ、毛をそられていた。それは肛門性交するときに、毛があるのと痛いので剃ったのだろう。殺した男もゲイであることは間違いない。
 
二人の刑事さんに朝倉さんの男性像のことを聞いたら、毎日、通っているのに、その存在を知らないという。興味のないものは見ないということだ。
 
 
 
『せいきの大問題』全部読むとしたら、いつのことになるかわからない。それならば、この本が出ましたよと、ブログに書くことにした。これは面白そうだと思ったら買って読んでほしい。
 
この本の最後の方に、「ろくでなし子」さんのことが書かれている。木下さんは「ろくでなし子」さんの裁判を傍聴している。このへんのところは、じっくりと時間をかけて読んでみたい。
 
 
 
ぼくは30数年『薔薇族』を出し続けて、「股間」を見続けてきた。
 
木下直之さん、なんでそんなに「股間」に興味を持つのだろうか。
 
一般の人はそんなところに目を向けないのに、本にまでしてしまう木下さんって不思議なお人だ。

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