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2017年5月12日 (金)

華やかな「花魁道中」の影に!

ぼくの祖父、伊東富士雄(大正12年・53歳で没)。救世軍の士官として、吉原や洲崎のお女郎さんを苦界から救い出す仕事をしていた。
 
昭和5年に中央公論社から刊行した『娼妓解放哀話』、祖父から聞き出した話を沖野岩三郎さんがまとめた本だ。
 
お女郎さんを廓の経営者から救い出すには、かなりの法律を熟知し、廓の経営者と渡り合う弁舌が必要だ。
 
お女郎さんを救い出す苦労話、この本にはいくつもの例が書かれている。
 
祖父は頭のいい人だったようだ。
 
 
 
「千葉県木更津から出てきたという50がらみの男が、救世軍本営に来て、娘の廃業を頼みますと泣きついてきた。
 
娘は19歳で吉原江戸の町の石◯楼に娼妓となって出て、4ヶ月目であるが、その半分は病院暮らしである。
 
全快すればまた嫌な稼業をしなければならないから、早く助けに来てくれと、父親に矢のような催促をしたので、父親は上京して吉原病院を訪ねて行ったが、楼主の許可がなければ面会させないとはねつけられた。(中略)
 
「私はこの子に650円(今だといくらぐらいになるのか?)出したのです。それに4ヶ月も半分しか稼がないで、廃業とはあんまりですと、泣きわめいた。
 
警察の警部(業者から賄賂をもらっているので廓の見方)も叱るように、「君たちふたりはぐるになって、650円の借金を踏み倒すつもりだな。廃業するのは勝手だが、650円という大金を、どうやって調達するつもりか。調達の見込みがないのに、廃業するのはけしからんじゃないか。さっ、その借金はどうするんだ!」と言う。
 
 
 
伊藤君はそばから口を出して、借金は借金で返済の義務があること、娼妓廃業は娼妓廃業で別問題であることを説いて、
 
「この親子ふたりが、あなたから650円の資本を借りて米屋を始めたとする。ところが4ヶ月を2ヶ月まで入院して、これでは米屋もできないと言って、廃業しようとするのを、米屋をすると言って、650円貸したんだから、病気だろうがなんだろうが米屋の廃業はまかりならぬ。
 
どんなに他に適当な事業があろうと、それに鞍替えしてはならない。なんでもかでも米屋を続けろと説諭する警部さんがあったとき、あなたはどうお考えになりますか。
 
そのとき米屋をやらないで、しょうゆ油屋をやろうとするのは、サギだとお考えになりますか?」と言ったので、係の警部は苦笑して説諭をやめた。
 
 
 
すると楼主は初めて、自分は若い女を質草に取ったのではないという理屈がわかったらしく、しきりに頭をかいて「そうですかなあ。そういう理屈ですかなあ。そうすると私たちほど弱い商売はありませんなあ」と言って、とうとう廃業に同意した。
 
「本当に弱い商売です。私は深くご同情いたします。どうか、1日も早くこんな弱い商売をおやめください」伊藤君は楼主に、そんな挨拶をして、警察を出てきた。」
 
 
 
ぼくの女房の古里、新潟県の弥彦村、そのとなりの町に分水という町がある。
 
川ぞいに桜並木があって、桜の季節には観光の目玉として「花魁道中」が華やかに催され、数万人の観光客が訪れる。
 
そのことにケチをつけるつもりはない。女郎の中でも教養があって、美しい女性が選ばれるのだろうが、貧しい親元からお金で売られてきた女性であることは同じだ。
 
いかにお女郎さんが、人権を無視され、ひどい仕打ちを受け、苦界に身を沈めていたかということを少しは知ってもらいたいものだ。

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