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2017年5月22日 (月)

トイレの床に捨てられ、踏みつけられた『薔薇族』

201705b 150号記念特大号に、今は亡き国学院大学教授の親友の阿部正路君を千葉県柏市の自宅に尋ねて、ぼくと対談をしている。12ページもの長い対談の中から、面白い話を取り上げてみよう。
 
 
 
阿部  『薔薇族』を手にするたびに、ぼくは「伊藤文学のひとりごと」が面白くて、まずそれを最初に読むんです。汽車の中で『薔薇族』を一生懸命読んでいるおじさんをあまり見つめていたものだから、おじさんが降りるときに、それを見ていた若者に『薔薇族』を置いていったという話がありましたね。ここにおじさんも読めば、若い人も読むことがよくわかったし、読者層の広がりということを感じます。
 
 
 
伊藤 ぼくらは本当に活字というものに対して、一種の尊厳みたいなものを感じるんだけど、ある読者が公衆トイレに入ったら、トイレって水をまいているでしょう。そういうところに『薔薇族』が踏みつけられて捨ててあるのを見たときに、大変悲しい思いをしたと言うんです。
 
その人はラーメン屋で働いている人で、よくラーメンを出前に出すでしょう。そのときに器を灰皿代わりにしちゃったり、鼻かんだティッシュを中に入れちゃったりする人がいる。それもその人にとっては堪えられないことだということを書いてきたのをいまだに覚えています。
 
 
 
伊藤 150号ということで、初めて外部の先生方に原稿を書くことをお願いしたわけですよ。20人近い方に丁寧なお願いの手紙を出したんですが、果たして何人の方が書いてくださるか、『薔薇族』の将来を占うことになるかという気持ちで待っていたのです。
 
 
 
結果は喜んで原稿をいただけたのは、胡桃沢耕史さんと、邱永漢さんだけ。おふたりとも直木賞受賞作家だ。
 
おことわりの手紙をいただいたのは6人の先生。あとの10人の先生は、まったくの無視でした。これは予想したとおりの当然の結果で、世の中のきびしさを冷静に受け止めるべきだろう。
 
 
 
伊藤 世の中、たしかに変わったかもしれないけど、ひとり、ひとりの悩みはたいして変わっていないと思うんですよ。悪いことをしたわけでもないのに、人を傷つけたり、人をだましてお金を奪ったり、人を殺したりしたわけでもないのに、なんで隠れて隠れて、自分の心の底にあるものを隠して生きていかなければいけないのか。ぼくはそれをずっと声を大にして叫び続けてきたわけだけれども、阿部君から見て、どういうふうに思うのかな。
 
ぼくらは中学生の頃に性に目覚めるでしょう。そのときに、ぼくは女が好きだった。女の好きな男は別に罪悪感なんて持たないでしょう。それは当たり前のことだから。
 
だけど男が好きだなということを意識したときに、どうして罪悪感をその時点で持っちゃうのか、それがぼくは不思議でしょうがないんですよね。(これは32年も前の話で、今は意識が変わっている)
 
 
 
伊藤 100号の記念号を出したときに、藤田竜君との対談を載せて、10年間の苦労話とか、いろんな出来事をしゃべったんだけど、彼との出会いが、この雑誌を決定的なものにしたのかな。
 
座敷のたたみの上に、100冊の『薔薇族』を並べて、そこに座ってふたりで写真を撮ったんですが、ふたりの写真を見ていると、藤田竜君はサングラスをつけているし、何かテキ屋の親分が、街頭で雑誌を並べて、たたき売りしているような写真になっちゃんたんですよね。(笑い)これにまた50冊増えてしまったから、体育館の床にずらっと並べるしかないのかな。
 
 
 
阿部正路君、ガンで早死してしまって、寂しさがつのるばかりだ。

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コメント

この創刊150号記念特大号、まだ大切に保管しています。
特大号用に書いた自分の文章が一般読者投稿欄に掲載されてます。懐かしいです。

投稿: Baron Muchausen | 2017年5月24日 (水) 09時53分


皆さん『汽車の中で』と変換して読んでいると思います。

投稿: | 2017年5月23日 (火) 02時20分

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