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2017年6月24日 (土)

どれだけのザーメンが噴出したのか!―渋谷ホモ旅館「千雅」物語―

これはどうしても、ゲイホテルの歴史として残しておきたい話だ。
 
1989年9月号創刊200号18周年記念特大号に、ぼくの良き相棒だった藤田竜くんが「旅館「千雅」満14年で終業。のべ100万人の客だから売上15億円?」と題して書いている。
 
 
 
「東京のホモ旅館「千雅」が6月末でついに閉館してしまった。
 
創業者の名物社長、K さんの手から離れてからも4年間、営業を続けていたのだが、最近、付近の土地がまとまったので、大がかりなプロジェクトを開始することになり、ついでに「千雅」も跡かたもなくなることになったわけ。
 
「千雅」出現以前も東京には、同好者の集まるサウナや旅館はあったけれど、大がかりで大っぴらに『薔薇族』に広告を打って始めたのは「千雅」が最初だった。
 
時は『薔薇族』が創刊して4年後、つまりひっそりホモ、地味ホモがそろそろ世間に出て、楽しまねばと決心しだした頃だったから、そりゃもう、スタートしてしばらくは立錐の余地もないってくらいの大混雑だった。
 
やがて隣のビル(会社の社員寮だった)も買い、ドでかくなったところへ、全国から客が押し寄せ、男ではちきれそうだったのだ。今にして思えば、東京では史上空前絶後の乱交場であった。
 
 
 
今は直木賞作家となった胡桃沢耕史先生に、僕のアイデアで「ノンケ紳士」となってもらい、「潜入記」を『薔薇族』に書いてもらったのも、かなりの宣伝効果になったようだ。
 
先生、がっちりデブだから、えらくモテたようだけど、残念ながら男好きに転向することはなかった。
 
旧マスターは客筋の良さを誇った。確か「世界一流紳士が……」なんてコピーが広告によく使われていたっけ。
 
僕は開店当初、一度だけ行ったが、知り合いの子たちに何人も会って、ハレンチできなかったけど、前に一度見かけて好感を持っていた青年にしゃぶりついたのだけが、たったひとつラッキーだったなあ。
 
さて、今年6月30日(金)ラストの夜に行ってみたら、なに、乱交ルームはとりたてて満員でもなく、どうってことなかった。今夜でおしまいってことさえ知らない人も結構いたりして―。
 
ただ異様に外人が多いの。「千雅」は外人OK だったのだ。他の店はガイは入れないから、彼らには天国だったろう。
 
ガイ同士がバックしてるのを隣にしゃがんでしっかり見学した。日本のフトンの上でしてる姿って面白かった。
 
旧主人が引退した段階で少し客層は変わり、エイズ騒ぎで客数もやや減ったというが、ざっと換算すると、なんと入館料で15億円にもなる計算だ。ザーメンも勝手に流させて、このもうけだもん、すごいねえ。他に会員料、飲食料もあるんだよ。
 
何事も新しい仕事を早く大きく始めた人の勝ちなのだ。それにしてもどれだけの量のザーメンが、ここで噴出したのだろうか。
 
「千雅」拡大後は、広々としたドリンク・サロンができ、ここが一大社交場、ストレス発散所となった。
 
カラオケのステージがあり、踊れるスペースが広く、ボックスシートもたっぷりあって、他にちょっとない豪勢さなのだった。
 
乱交部屋のある4階の棟と、サロンは1階でつながっているとはいえ、サロンと乱交場は、客層がまるで別になってしまったのが計算外だったろう。」(つづく)
 
 
 
ひばりさんの歌を歌ったら、ずば抜けて上手い人もいた。夢のあとと言っていいだろう。

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