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2017年7月29日 (土)

ルールを守って、いい作品を作り出す!

駒沢大学の学生時代、斎藤茂吉さんのお弟子さんで、歌人の森本治吉さんの教えを受けていた。
 
森本治吉教授は万葉集の研究者であり、『白路』という結社を主宰していた。ぼくは短歌を作歌することを森本先生の指導で『白路』の会員になった。
 
森本先生は熊本の五高から、東大の国文科に入られたが、九州の財閥の息子の太田さんと同期生だった。後に太田さんは東邦生命の社長にまでなられたが、『白路』のスポンサーでもあり、表紙裏に東邦生命の広告が載り、保険のよさを歌った太田さんの作品が添えられていた。太田さんは歌人でもあったのだ。
 
ぼくは学生時代は作歌に夢中になっていたが、今度は恋人に夢中になり、作歌をやめてしまった。それからもう60数年になる。
 
 
 
朝日新聞の週に一度の1ページを使っての「朝日・俳壇・歌壇」は、ちらっとだけ目を通している。
 
大江隆弘(歌人)さんの「短歌時評 歌会こわい」に目がとまった。
 
「先月、ツイッターで、「リアルな歌会はこわい」という意見が、数多く書き込まれる事態が起こった。「歌会こわい事件」とも呼ぶべき異常事態だった。
 
この事態は「歌会は真剣な批評の場であるべきだ」という主張がツイッター上に載せられたことから始まった。ネット上で短歌を始め、リアルな歌会に参加したことが少ない若者にとって、この意見は、短歌会の権威主義的な体質を感じさせられるものだったのだろう。
 
結果「歌会は批評の場である」という発言をした個人は沈黙せざるを得なくなってしまった。私はこの「事件」の背景に、短歌会の大きな地殻変動を感じた。」
 
 
 
昭和の初めから口語短歌を作る人はいたが、いつの間にか消えてしまった。それが1987年(30年前)に、俵万智さんの『サラダ記念日』がベストセラーになり、その新鮮さが口語短歌の勢いを増してしまった。
 
大江隆弘さんは、こう続ける。
 
「自分の歌を歌会に出し、他人の意見を聞く。それによって自分では気づかなかった自作の長所と短所が見えてくる。歌会は、最も効果的な批評の場であったはずだ。が、今、その常識は通じない。
 
現在、短歌は、口語で作られるのが普通になった。」
 
 
 
口語で短歌を作るのは、一向に構わない。しかし、それを「短歌」と呼んでほしくない。それは「短詩」というべきだ。
 
スポーツでもなんでもルール(規則)というものがあり、ルールに従って行われる。短歌は5・7・5・7・7の定型で成り立っている。そして文語体を使う。そのルールの中で、各自が表現し、いい作品をつくり出す。
 
世の中、変わったとはいえ、伝統を守って作歌している人がいるに違いない。
 
ぼくは必ずテレビ東京の「和風総本家」を観ているが、昔からの伝統を守って、昔からの技法でものを作り続けている職人がいる。短歌もそうあってほしいものだ。
 
 
 
「Twitterに自分の歌を載せる。それを見た人々が「いいね」を押してくれる。何もリアルな歌会に出て、他人の批評を受けて傷つく必要はない。「歌会こわい」という声の背景には、短歌をコミュニケーションの手段だと考える人々の増大がある。そこではもはや他者の批評は不要だ。自己満足さえあればいい。批評は怖い。が、作品をそこにさらすことでしか文学は成立しない。」
 
大江さんの言うとおりだ。
 
A

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コメント

ツイッターを始め、現在のネットでは先ず否定ありきなので、今の人達は批評=否定というイメージがついて回っているかのように思います。
短歌以外にも好きな漫画の絵とか造形物なども相当上手い作品でない限りどうしても否定的な見方をする悲しい時代です。
また、作る人よりも無駄に批判する人が多いので作り始めの人達にとって、作品を発表すること自体がかなりハードルを高く感じていると思います。
だからこそ、キチンとした方にリアルに指導・関われる場が大切で、歌会も正当に理解されると良いのですが。

投稿: メタボ兵 | 2017年7月29日 (土) 17時06分

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