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2017年7月10日 (月)

戦争の記憶が薄れてくると!

2017年7月2日の都議会選挙の投票日の東京新聞朝刊の記事だ。この時はまだ自民党が大惨敗するとは、誰も思っていなかった。
 
「戦争の惨めさを知った・満蒙開拓国ソ連兵へ『性接待』」の見出しだ。この記事の最後に「デスクメモ」があり、こんなことが書かれている。
 
 
 
「生きて捕虜の辱めを受けずと威張っていた人物が捕虜になるや、平然と同胞を売ったという話は「昭和」まではよく聞いた。
 
人の浅ましさ。戦争の記憶が薄れるにつれ、またぞろこの種の「愛国者」たちが跋扈している。素性は進行中の政権の醜聞を見る限り、変わらない。(牧)」
 
その日の深夜、自民党は大惨敗した。この記事を書いた、東京新聞の佐藤六さんもスカッとしたに違いない。
 
 
 
「ソ連兵の性接待の被害者だった89歳の女性が、戦後70年を過ぎたところから、つらい記憶を綴り始めた。
 
女性は戦前、岐阜県黒川村(現白川町)の「黒川開拓団の一員として満州に渡った。敗戦直後、ソ連兵への「性接待」を強いられた。
 
当時、17才。「ものすごく恥ずかしく、戦争の惨めさをさんざん知った。(中略)
 
食料の提供を受けるためにも、ソ連兵に女性たちを「差し出す」という。女性は逃げたかったが、開拓団全体の生死が関わる事態に「嫌だ」とは言えなかった。
 
開拓団の共用施設の一室には、ずらりと布団が並べられていた。仕切りも何もない。交代でソ連兵の相手をさせられた。ソ連兵は銃の先で女性たちの体を小突き、丸太のように倒した。
 
「慌てているわ、扱いは恐ろしいわ、物扱い。」
 
ソ連兵が駐留した11月まで「性接待」は続いた。(後略)」
 
 
 
Img_5949 わが第二書房では、昭和31年11月10日発行の三上綾子著の『匪賊と共に―チチハル脱出記』を刊行している(1956年。今から52年前のことだ)。
 
この本が発売されるや、大きな反響を呼び「週刊新潮」が「性のいけにえになった女性群」という見出しで、5ページほど使って記事にしてくれ、その年のベストセラーになった。
 
その本の内容はすさまじく、戦争を経験した者でなければ理解できないだろう。
 
「満州における日本人開拓団は、未開の曠野に鍬を入れて、開墾の土地を切り開いていったのではなかった。
 
内地農家の満州移住を楽土建設をうたって、笛と太鼓で奨励した日本政府は、満州国政府に指令して、満人農家の人たちが祖先伝来営々として経営してきた豊穣な土地を、安く、タダみたいな金で強制的に買い上げると、そこへ日本開拓団を送り込んだのである。
 
こうした好条件で迎え入れられた開拓団の人の中には、それが全部とはむろん言わないけれど、次第と開拓の精神を忘れて、安逸をむさぼる者も当然出てきた。
 
正直な話、内地の豪農でいたものが、土地を捨てて満州へ移住なぞしなかったであろう。たいていが貧農なるがゆえの満州移住であったのだ。
 
「そう言っちゃなんだけど、比較的教養の低い人が多いように思うんだ。それで……」
 
満州へ来て、一躍、膨大な土地の主となった彼らの中には、満人を小作人として酷使したものもあった。
 
「畜生!いつかは……と思っていた。積もりに積もっていた満人の憤懣が、日本の敗北で爆発したんだ。ともかく開拓団に対する満人の反感は根が深いからね。」
 
 
 
稲田朋美防衛相、東京新聞の記事を読んでもらいたい。こんな防衛相のために生命を投げ出す自衛隊員がいるのだろうか?
 
 
 携帯を孫に教わる情けなさ

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