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2017年7月31日 (月)

江戸時代は褌を締めたまま風呂に!

『薔薇族』の読者には、褌マニアが多かった。「六尺」というバアもあったぐらいだ。
 
芝山はじめさん。90歳になっていると思うが、お元気のようだ。長いこと東急に勤めておられて、「パンテオン」の支配人をされていた頃は、よく入場券をいただいた。
 
『薔薇族』には、コントと「江戸男色考」を連載されていて、「江戸男色考」は、3冊も単行本化されている。
 
 
 
「褌」というタイトルで書かれたものがある。
 
「銭湯に軽重の石三つあり
 
江戸の湯屋(風呂屋)には、踵の垢すり用の軽石と手切り用の石が2つ必ず常備されていた。
 
式亭三馬の『浮世風呂・上』にも、糠洗粉、軽石、糸瓜皮にて垢を落とし、石ころで毛を切るたぐひ」とある。毛切石は主として男湯用のもので、尻端折りをする当時の男たちの風習から、褌の両側からはみ出す毛を除去する必要があった。除草法は、この他、紙燭や線香で焼き切る方法、刃物で剃る方法、蛤貝や毛抜きなどで抜き取る方法などがあった。
 
 
 
ざくろ口蛙鳴くなり毛切り石
 
ざくろ口はご存知のとおり、湯を冷やさないように狭くしてあった当時の風呂屋の出入口のことだが、中で男たちが毛を切っている音が、蛙の鳴くように聞こえるという意味である。
 
褌といえば、宝永2年(1625年)の「御前独狂言」に、酒に酔って入浴した男が、つい褌を解いて入って人々に大笑いされたという記事が見える。当時は褌をつけたまま入るのが常識だった。
 
西鶴の『好色一代男』『三代男』などの絵を見ても、みんな褌を着けたまま入浴している。こういう習慣は、慶安の頃まで続いたらしく、「洗場手引書」(嘉永4年1851年)に、慶安の頃まで男女共、洗場に行くに別の褌を持来りて、これをしめかえて湯に入る。上るときは、底浅き下もたらいにて洗いすまし持帰る」
とある。それ以後、手拭いで前を隠して入るようになったが、下だらいは天保の初め(1830年代)まで、江戸の湯屋に残っていたという。
 
つまり、慶安の頃まで、褌には2種類、風呂ふどし・替ふどしと呼ばれたものがそれだ。
 
ふどしとは、踏通しという語源から発した下帯(ふんどし)のことである。ちなみに風呂といっても、慶安、承応(1654年頃)までは、いわゆる戸棚風呂で、蒸し風呂であった。風呂が現代のように湯を溜めたものになるのは、それ以後のことである。
 
 
 
褌を足場にこいつ慣れた奴
 
という川柳がある。これは夜這いをする男のテクニックで、畳の上を歩いたり、這ったりすると、どうしてもミシミシ、ピタピタなんて音がする。そこでまず褌をとって、それを敷いて行動したわけだ。もっともそういうことをする奴は、相当なベテランである」
 
 
 
時代劇専門チャンネルで、『鬼平犯科帳』や『剣客商売』などばかり見ているぼくにとって、江戸時代は、身近な存在だ。人情味あふれる人々ばかり住んでいる長屋の住人のような気分にさえなっている。
 
あのどぶ板がいいな。どこを見てもコンクリートで固められた街って、息が詰まりそうだ。
 
褌ってしめたこと一度もないが、褌をしめるのが名人だった波賀九郎さんもこの世にいないし、しめたらどんな感じかな。
 
B
イラスト・長谷川サダオ

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投稿: | 2017年8月 2日 (水) 00時28分

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