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2017年7月17日 (月)

女性の味方となって命がけで!

祖父、伊藤富士雄の話を沖野岩三郎著『娼妓解放哀話』から抜き書きしてみよう。
 
 
 
「伊藤富士雄氏は信州松代の真田藩士伊藤録の二男で、測量機器製造の熟練工だったが、若い頃何とかして社会のために尽くしたいものだと思っていた矢先、片山潜氏の労働世界か何かを読んで、同氏と一緒に社会事業団でもやろうかと考えたことがあったようだが、そっちへは行かないで、とうとう救世軍(軍隊組織でキリスト教を布教する団体)に飛び込んできたのだった。
 
「あの男は何かやるよ!」と片山氏は始終言っていたそうだが、明治36年4月に大阪の勧業博覧会が開かれたとき、大阪難波に救世軍第2小隊というのを設けて、そこで盛んに伝道したのを手始めに、淫売窟へ押しかけて行って、随分有益な働きをしたが、気に食わないことがあるというので、明治37年に一時救世軍をとび出して、関西鉄道または大阪砲兵工廠に入り、のちに上京して築地の海軍省工場で工場長を務めていたが、明治43年に長女が若くして死んだので、心機一転して再び救世軍士官となり、大正2年4月から非常なる決心を心に抱いて、社会事業部に転じて婦人救済係となって、大正12年6月2日、下谷救世軍病院で、この世を去らるるまで、満11年3ヶ月間、専心娼妓自由廃業のために努力して、987人の娼妓に自由を与えたのである。」
 
 
 
「伊藤君はおよそ1200人の芸娼妓の面倒を見て、そのうちの987人を無事に廃業させ、それぞれに堅気の生活をさせたのです。
 
伊藤君のことを思うたびに、実に偉大な男であったと、つくづく感心する。何となれば伊藤君があの救済運動をする上には、始終3つの大きな危険をのぞんでいたからです。
 
3つの危険というのは、第1に暴力です。
 
伊藤君は毎日、家を出るとき、いつどこで殺されるかもしれないという覚悟をしていたのです。
 
半死半生の目にあわされたことが2回、けられたり、殴られたり、石を投げられたことは何百回かわかりません。それでも伊藤君は平気なものでした。
 
第2の危険は金力でした。金力でもって人を売買できると考えている楼主たちです。
 
したがってどんな人間でも、金銭で左右できると思うのは当然です。987人の娼妓1人につき、100円ずつ楼主側から出しても9万8700円じゃないですか。それだけで稼業を続けさせたなら、楼主はその幾倍の利益を見ることができるのですから、伊藤君がもし少しでも金に目がくらんだら、どんなことでもできたのですが、じつに潔白に身を保っていたのです。
 
第3には異性の力でした。男子という男子はことごとく、餓鬼のようにして色を漁るものだという実験ばかりもっている婦人の前に、たった1人、伊藤君だけが真実、女の味方となって生命がけで働いてくれるんです。
 
しかも、親切で情が深く、男らしい勇気に充ちているのだから、大きな誘惑の力が、彼の上に襲ってきたことでしょう。
 
けれども伊藤君は、毅然としてその誘惑の上を踏みこえて戦ってくれました。本当に感謝の言葉もありません。」
 
 
 
最後の言葉は、日本の救世軍の最高司令官の山室軍平氏が、伊藤富士雄を評した言葉だ。
 
ぼくの親父、祷一は、貧乏暮らしと、祖父の転勤で住む場所が変わるのが、よほど嫌だったらしく、救世軍嫌いで、祖父に反発するようにを女に狂っていた。
 
ぼくはどうだったのだろうか。祖父の血を継いで、差別や偏見と戦いはしたが、女性には狂ったし、あまりほめられたものではなかったのでは……。
 
B
真田家の家紋。六文銭

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