読者に対する思いやりと心の温かさが!
1998年『薔薇族』10月号309号から、表紙絵が内藤ルネさんから、若い野原くろさんに変わった。
「伊藤文学のひとりごと・連載282」に、ぼくはこんなことを書いてる。「『薔薇族』は変わるぞ!」と題して。
「内藤ルネさん、本当に永いこと、お疲れさまでした。1984年の2月号(132号)から、木村べんさんと代わって『薔薇族』の顔というべき表紙絵を描き続けてくれました。
14年という長い年月が流れていました。若い読者の多くがルネさんの表紙絵を見てくれていたということになるでしょう。
今、バックナンバーを1冊、1冊と見ていくと、実に工夫をして読者を飽きさせないように、マンネリにならないようにと、描き続けてきたということがよくわかります。
昨年の6月、アメリカのロサンゼルスでのゲイ・パレードに、ルネさんの描いた『薔薇族』の表紙絵を拡大して、オープンカーの横っ腹に貼って行進したのを想い出します。
今年は残念ながら参加できませんでしたが、ロスの『薔薇族』応援団のスティーブン君が単身、『薔薇族』の表紙絵をかかげて行進してくれました。
オープンカーに乗っていても疲れるのに、歩いて長い道のりを行進するのは大変なことで彼らの『薔薇族』への熱い応援には、ぼくも頑張らねばという気持ちにさせられます。
内藤ルネ、藤田竜の両君に出会ったのは、昭和46年(1971年)の春頃だったと思う。彼に出会わなければ、今日の『薔薇族』はなかったし、いろんなゲイの人たちへの商売も、今のような隆盛を迎えることは出来なかったでしょう。
ルネさんと、竜さんのセンスのよさは抜群で、どちらがどちらということがわからない二人三脚で、素晴らしい仕事をこなしてきました。頭が悪くて、才能のまったくないぼくが、永いこと二人とお付き合いできたことによって、多少は美意識を養うことができました。本当に二人のおかげというしかありません。
『薔薇族』のいい所をあげるとすれば、「あたたかさがある」ということでしょうか。読者を思いやる心のあたたかさがあるのではと自負しています。
それは表紙絵にもあって、ルネさんの描く表紙絵は、ロマンティックで、ほのぼのとした心のあたたかさと、抒情性を感じる。それがぼくの好きだった要因といえます。
ルネさんも、ぼくも昭和7年生まれの同じ歳、もっと、もっと続けてほしかった。
しかし、世の中、がらりと変わってしまいました。このへんで思いきって気分を変えようと決断したのです。それはそれは悩みに悩みましたが、決断を下しました。」
この号の裏表紙には、キリンシーグラムさんがなんと広告を出してくれている。ゲイ雑誌に一般企業が広告を出してくれたのは、『薔薇族』だけで、これは快挙といえるだろう。
ルネさん、一般の仕事がなくなってしまって、『薔薇族』の表紙絵を描くだけになってしまったこともあったようだ。ルネさん、もっと、もっと描き続けたかったに違いない。『薔薇族』は、他誌のゲイ雑誌と比べてみて、品格というか、気品がにじみ出ているように思う。
中野にある「まんだらけ」という、古本やいろんなものを売っているお店の担当者の話によると、今でもルネさんが表紙絵を描いた『薔薇族』は、ルネさんフアンがいて、高価で売れているそうだ。
ルネさん、あの世でいい仕事を残したと喜んでくれているに違いない。
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コメント
編集長、いつもブログ楽しく拝見させていただいております。
内藤ルネさんの絵、好きでした。
まさかあんな有名な方だったとは!やはり最近のとってつけたような同人漫画家とかとは格式が違いますね。
ところで過去の表紙絵を一堂に集めた画集とか発売されるご予定とかないのでしょうか。
意外と売れると思いますが。
著作権の問題とかクリアが難しいのかな。
投稿: 神林 | 2017年9月28日 (木) 03時57分