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2017年9月 2日 (土)

大きい愛をいつまでも持ち続けたい!

「語る―人生の贈りもの」(朝日新聞朝刊)に、作家の佐藤愛子さんが登場して、連載されている。《詩人サトウハチローは、1973年(40年前)、おかあさんの詩をたくさん残して、この世を去った。70歳。佐藤愛子さんにとって20歳年上の異母兄だった》と冒頭にある。
 
今の若い人は知らないだろうけど、サトウハチローの「おかあさん」の詩集は、感動的でベストセラーだった。
 
佐藤愛子さんは、こんなことを語っている。
 
 
 
「私は兄の詩を読み返しました。そして兄の中にある繊細さ、優しさ、涙もろさが自然と流れ出している詩に感動する一方で、例えば一連の「おかあさん」の詩の中には、作りものや、わざとらしい大衆うけがあることに失望しました」と。
 
ぼくが末の妹、紀子の長い東京女子医大心臓病棟401号室(6人部屋)での出来事を書いた『ぼくどうして涙がでるの』の初版は、昭和40年(1965年・今から52年前)1月20日発行とある。
 
昭和40年、秋の芸術祭参加作品となった日活映画・十朱幸代、佐藤英夫主演の『ぼくどうして涙がでるの』の主題歌を制作してくれた、駒沢大学での同期生、長田暁二君が、キングレコードのディレクターをしていた。
 
長田君をキングレコードに訪ねて、『ぼくどうして涙がでるの』の序文を当時、売れっ子だったサトウハチローさんに書いてもらいたいので紹介してくれとお願いした。
 
昭和39年(1968年)のことだと思う。長田君は駒大時代、文化部では部員も多く、一番活躍していた児童教育部の部長をしていた。釈迦の教えを子供を通して布教しようというクラブで、禅学部の学生が中心だった。
 
長田君は子供に縁のある童謡のレコードを多く制作して賞もとっていたが、倍賞千恵子の「下町の太陽」などもヒットさせ、著作も100点を越す。歌謡曲の生き字引みたいな人だ。
 
長田君に連れられて、サトウハチローさんの自宅を訪ねたことがある。序文を書いてもらおうと思ったからだ。
 
確か本郷の東大の近くの家だったと思う。部屋に通されたが、サトウハチローさん、まったくぼくのことなど無視で、ぼくの顔など一度も見もしなかった。
 
長田君と仕事の話ばかりしていて、序文の話などきりだすどころではなかった。長田君、帰り道で、ぼくにどう弁解したのか、まったく覚えていないが、『ぼくどうして涙がでるの』の主題歌を制作してくれたのだから、友情には感謝している。
 
 
 
佐藤愛子さんは、「私たちはしょっちゅう行き来するような仲の良い兄妹ではありませんでした。私もわがままですが、兄は輪をかけたわがままでした。」とあるから、ぼくを無視したのは当然のことだったのだろう。
 
ぼくの父が勤めていた第一書房から処女詩集を戦前、出版している詩人の竹内てるよさんに序文をお願いすることにした。
 
竹内てるよさんは、一生、病気と闘い続けながら詩を書き続けた方なので、病気を持つ人の気持ちをよく理解している方だ。
 
「伊藤文學さんとの長い年月のお付き合いでは、私はいつも信じていました。この人が学生服のときから、人との交友には、一つはしっかりとした、その人のポイントというものがあります。つまり、文學さんのすることはどんなことでも、一つの大きい愛につながっている場面があるのだという信念です。いいかえれば、文學さんのすることは、たとえ、どんな小さいことでも、人間のためにするのだと、信じられているからです。」
 
サトウさんも、竹内さんもこの世にいないけれど、生き残っているぼくは、大きい愛を持ち続けたい。
 
A
長男の入園式の日。やせた妹。

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コメント


兄弟は、最大のライバルです。異母なら、なお半分他人。
又、序文を縁も所縁もない有名人に頼むのは難しいです。
心も、こもってないでしょう。
結果的に、縁のある方の心のこもった序文になりました。

投稿: | 2017年9月 4日 (月) 01時19分

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