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2017年9月 9日 (土)

私は昭和の唐人お吉だった!

『女の防波堤』、『週刊新潮』の記事のおかげで注文殺到、ふだんは威張っている取次店(本の問屋)の仕入れ課の人たちが、わが家まで来て、増刷ができたら何部仕入れさせてくれと頼み込んでくるのだから驚きだ。
 
ところがありがたくないお客さんが、黒塗りの車、4、5台でやってきて、帳簿や残っていた本を持っていかれてしまった。
 
『女の防波堤』が、わが社、第二書房の初めての発禁処分だ。
 
今、読み返してみて、セックス描写もえげつないところはなく、何ら猥褻という箇所はない。『女の防波堤』は、猥褻だから発禁になったのではなく、警視庁と売春業者が資金を出し合って、半官半民の売春会社を作ったということを、これ以上世間に知られたくなかったのだろう。
 
 
 
「焼け残った牛肉店松喜本店と書いた店の前に、大看板が張り出されています。
 
 
 
  芸者、ダンサー多数求む!!
 
  進駐軍接待婦大募集!! 昭和の唐人お吉よ来れ!!
 
  日本女性の防波堤たらんとする、女性を求む!!
 
  衣食住は当協会負担・面談即決!!
 
  特殊慰安施設協会
 
 
 
と大きく書かれてありました。
 
大森海岸の小町園、見晴らしに乗り込んだ昭和のお吉たちは全員167名の大部隊でありました。私たちのお店である小町園は、18室もある大きな料亭で、93人。見晴らしには74人だ。
 
桧造りの豪華な建物ですから、私たち焼け出されの女たちは、「あらすごいわね。こんな家に住めるんなら、少々つらくても辛抱するわ」と、みんな上機嫌です。(中略)
 
トイレに行って廊下から表のほうを見ると、これはどうでしょう。薄暗い京浜国道の広い通りにアメリカの兵隊が、一杯黒山の行列をつくって、彼らは何事か叫びわめいています。こんな暗いうちから、彼らはもう押し寄せて来たのです。(中略)
 
大きな毛むくじゃらの右手を、私の胸の中にさしこんで乳房を握ったり、そっと撫ぜたりしながら、その間も唇を離さないので、私は息が詰まりそうで、思わず「ウムッ!」たまらず顔を背けると、男はようやく離れてズボンを脱ぎ始めました。
 
私は乱れた胸をかき合わせながら、床の上に横たわりました。
 
男が裸になる間、琴子さんの方に耳をそばだてると、琴子さんの方は、もう次の男が来たらしく、先刻の男と違った声が、何か話をしています。そして何か女の荒い鼻息が、カーテン越しに聞こえてきました。
 
その時、私の上に胸毛のたくましい男が、おいかぶさってきました。無我夢中の一瞬が過ぎると、男は私に再び熱い接吻をして出て行きました。
 
外人の熱い血を全身に浴びせられた私は、しばし呆然としてきました。(中略)
 
 
 
外人にしては、あまり大きくない日本人ぐらいの男で、青い目が澄んだかわいい、まだ若い兵隊です。何だかホッとした気持ちで私はその若い男を抱きました。
 
次から次へと送り込まれてくる兵隊を私たちは慌ただしく抱いては送り、好悪の感情などさしはさむ余地もなく時を過ごしてきました。(中略)
 
 
 
朝7時から午後3時過ぎまで、わずか8時間ぐらいの間に、23人も相手をしたのかと思うと、われながらびっくりしてしまいました。」
 
 
 
日本の兵隊も、韓国の兵隊も同じようなことをしたのでは。
 
戦争は人間を異常にしてしまう。
 
『女の防波堤』今こそ復刻すべき本かもしれない。
 
人間の欲望って恐ろしい。自分のことも反省しなければ……。
 
(『女の防波堤』は、新東宝で映画化された。)
 
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