進駐軍相手の男性もいたとは!
秋葉原のイベント会場で、トークショーをやるというので出かけた。山川純一の話が中心のようだ。
秋葉原、しばらくぶりだが、下北沢の小さな店ばかりの商店街ばかり見慣れているのでその変わりように驚くばかりだった。
午前11時半に待ち合わせということだったが、30分以上も前に着いてしまったので、駅のすぐ近くのビルの地下にあるルノアールの看板が目に付いたので入ってみた。
広いお店で内装も立派で、椅子も豪華だ。下北沢にはこんな大きなカフエはない。ブレンドコーヒーが540円。お客さんはチラホラだ。
ビルの2階のイベント会場は広い。お店もそれなりに並んでいるが、お客が少ない。会場の片隅に椅子が2、30脚並べられ、話をするのは3人。おひとりは女装の男性、もうひとりはボーイズラブの漫画作家の若い女性。司会者は若い男性。
椅子に座っているお客さんは、10人ちょっと、話は山川純一の話が中心、ひとりでしゃべってしまった。
『薔薇族』の創刊号と2号と『ひとりぼっちの性生活』を机の上に並べたが、何人かの男女が近寄って宝物に触れるように手にとって見ている。『薔薇族』の誌名だけは知っている。もう廃刊になって10数年経っているのだから、若い人は知らないのは当然だ。
その中のひとりの女性は、埼玉県の川越の近くに住んでいて、女装の雑誌を中心に並べて売っていた。
『GHQの恥部=某女装子が語る終戦秘話』(川嶋ビリッジ・定価300円)と『女装文化の歴史=現代女装界事典』(定価600円)をプレゼントしてくれた。
わが第二書房で刊行した『女の防波堤』のことを書いたが、女性だけがアメリカの進駐軍によって、ひどい仕打ちを受けたのかと思ったら、若い男性もアメリカ兵におもちゃにされていたことをこの本で知った。
戦争に負ければ、どんなひどい仕打ちを受けても文句の言いようがない。
この雑誌に書かれた生き証人は、90歳を越えて生存していて、取材をして書いたそうだ。
アメリカ人だって女好きもいるし、男好きもいる。男性も新聞広告で募集されたようだ。
「進駐軍要員緊急募集・自動車運転手(英語の出来る者)」とあるが、敗戦当時の東京で車の運転ができて、英語がしゃべれる人って、僅かな人だったに違いない。
「代々木公園近くの石碑に、公園からNHK周辺に、敗戦後、GHQの居住地「ワシントンハイツ」があったと記されている。
60数年前にこのワシントンハイツで働いていた日本人がいた。当時、GHQ幹部付きのドライバーとして働いていたM美さん(男性)
髪型はマシュマロヘアーに、制服は女性用軍服(タイトスカート)と強制的に女装をさせられていた。さらに幹部相手に毎夜、菊門(アヌス)姦淫を強要されていた。
昭和21年(1946年)秋、終戦の翌年、M美さんは新聞広告にあった広告を見て、日比谷にあったGHQの事務所へ出かけた。
M美さんは小型車運転免許しか持っていなくて、採用対象外と断られてしまった。階段を下りる姿をGHQ工兵隊長が、見かけて気に入って採用してしまった。」
それからの話は長くて紹介しきれない。
アメリカ兵にもゲイは多かったようだ。日比谷公園で米兵にハントされた日本の若者の話は『薔薇族』に載せたこともある。戦争って恐ろしい。
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