ゲイであることの悩みも、ネットが解決してくれる?
ぼくはネットや、携帯電話などない時代に出版の仕事をしてきた。印刷屋の職人が活字を1本1本、ひろって組んでいた時代だ。
ネットや、スマホなんていうものが現れて、世の中すっかり変わってしまった。
昨日も世田谷学園時代の同級生、宮川君と三軒茶屋のカフエで出会った。ぼくがスマホを購入したにもかかわらず、宝の持ち腐れで使わずにいるのを知って、さんざんお説教されてしまった。
電話を受けることと、自分の書いたブログを読むことができるだけで、メイルのやりとりや、写真を送ったりすることすらできない。
ブログだって原稿用紙に書いて郵送すると、若者が土曜と月曜に更新してくれている。ありがたいことだ。
ぼくのブログを読んで、コメントをしてくれる人が、少ないけどいる。それが褒めてくれていれば素直にうれしいし、批判や悪口であったとしても、読んでくれてのことだから、気にならないと言えば嘘だが、ありがたいことだ。
『薔薇族』が廃刊になってからすでに十数年。20代の人は『薔薇族』のことをまったく知らない。
性に目覚める頃、女性に関心がなくて男性に心を惹かれ、自分がゲイではないかと考えるようになったとき、手にした『薔薇族』で世の中には自分と同じような人がいることを知り、それが心の支えになった。
現在のネットの時代、ネットを見ればなんでも知ることができ、仲間を見つけることもたやすくなった。
自分がゲイではないかと知ったとき、すべてネットが解決してくれる、いい時代になったものだ。
ぼくの役目はネットがなかった時代のことを書き残しておくことだと思う。ゲイの情報がまったくはいってこないのだから、それしかないのでは……。
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コメント
ネットの情報は玉石混交で良いも悪いも同列に並べられて見る側の見識が問われる面があります。
紙面の方は出す側が責任を持っているで信頼できると思っています。
自分が情報を選別する一つの基準と言うか心掛けている事があります。
それは情報を発信している人の過去の記事を見る事と見続けて行く事です。
過去に発信している記事がどれだけ現実と合っていたか?
それを見るだけでかなり発信する側を選別する事が出来るかと思います。
そう言う意味でも文学先生の記事は本当に面白いです。
昔の話しだからこそ、人の機微というか普遍的な部分が垣間見えて楽しく拝見させていただいています。
これからも楽しみに記事をお待ちしていますm(__)m
投稿: メタボ兵 | 2017年10月 9日 (月) 08時40分