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2017年11月

2017年11月26日 (日)

いつまでも愛されている内藤ルネさん!

1998年の10月号、№309から『薔薇族』の表紙絵が、内藤ルネさんから若い野原クロさんに変わった。

連載の「伊藤文学のひとりごと」のページに「『薔薇族』は、変わるぞ!」と題して書いている。

ネットで調べれば、ルネさんの命日はすぐに分かるのだろうが、恩人のルネさんと、藤田竜さんの命日は忘れてしまっている。(内藤ルネ=2007年10月24日、藤田竜=2011年1月10日逝去――編者註)


「内藤ルネさん、本当に永いことお疲れさまでした。1984年の2月号(133号)から、木村べんさんと代わって『薔薇族』の顔というべき表紙絵を描き続けてくれました。

14年という永い年月が流れていました。若い読者のほとんどが、ルネさんの表紙絵を見てくれていたということになるでしょう。

今、バックナンバーを一冊、一冊と見ていくと、実に工夫をして、読者をあきさせないように、マンネリにならないようにと、描き続けてきたということがよくわかります。感謝の気持ちでいっぱいです。

昨年の6月、アメリカのロスアンゼルスでのゲイパレードに、ルネさんの描いた『薔薇族』の表紙絵を拡大して、オープンカーの横っ腹に貼って行進したのを想い出します。


内藤ルネさん、藤田竜さんのふたりに出会ったのは、昭和46年の春頃だったと思う。彼らに出会わなければ、今日の『薔薇族』はなかったし、いろんなゲイの人たちへの商売も、今のような隆盛を迎えることはできなかったでしょう。

ルネさんと、竜さんのセンスの良さは抜群で、どちらがどちらということが分からない二人三脚で、仕事をこなしてきました。

『薔薇族』のいいところをあげるとすれば、あたたかさがあるということでしょう。読者を思いやる心のあたたかさがあるのではと自負しています。それは表紙絵にもあって、ルネさんの描く表紙絵は、ロマンティックでほのぼのとした心のあたたかさと、抒情性を感じさせます。


ルネさんもぼくも、昭和7年生まれの同じ年。もっともっと続けてほしかった。しかし、世の中、がらりと変わってしまいました。このへんで思いきって気分を変えようと決断したのです。それはそれは悩みに悩みましたが、決断を下しました。

野原くろ君は、「薔薇通信」で知り合った彼と仲良く暮らしています。そのことを感謝してくれて、『薔薇族』だけにしか仕事をしないと言ってくれている、今どきの若い人には珍しい人たちです。

くろちゃんの絵をぼくは大好きです。くろちゃんはルネさんに代わって、立派に表紙絵を描き続けてくれるでしょう。

彼の劇画は多くのフアンをもっています。きっとくろちゃんフアンもよろこんでくれるに違いありません。


もうひとつ革命的なゲイ雑誌にとって新しい夜明けというか、前々から考えていても実現できなかった夢がついにかなえられたのです。

キリンシーグラムさんが、裏表紙に広告を出してくれたのです。こんなにうれしいことはりません。

読者諸君、お酒は絶対にキリンです。」


ルネさん、もっと『薔薇族』の表紙絵を描き続けたかったのでは……。

ルネさんが残した多くのコレクションを買い取った会社があって、地方の美術館で展示すると、若い人たちが見に来てくれて、大盛況だそうだ。

あるテレビ局が「かわいい」という言葉を世界中にひろめたルネさんのことを取材して番組を制作し、1月の終わりごろ放映するそうだ。ぼくもしばらくぶりに出演することになっている。どんな番組になるのか楽しみだ。

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ゲイホテル「千雅」の社長と、◯◯さん(名前忘れてしまった)と、藤田竜さん

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2017年11月24日 (金)

ショック! キャバレー「白いばら」閉店!

とにかくぼくはパーティ好きだ。著書は10冊ほどあるが、出版されるたんびに友人、知人を招いてパーティを開いている。

小田急が経営する新宿のホテルは、フロントで名刺を出したら断られてしまった。「京王プラザホテル」は、何も言わなかったので、数回はパーティを開いている。

「赤坂プリンスホテル」でも開いた記憶がある。そのときはフルバンドを招いて、女性の歌手も何人か招いて歌ってもらった。


銀座にただの1軒だけ生き残っている、キャバレー「白いばら」で、3回も出版を祝う会を開いてしまった。

2代目の社長、大住政弘さんを、ぼくが運営委員のひとりだった「雑学倶楽部」で招いてキャバレーの裏話をお店でしてもらったことがあった。

それ以来、大住さんも雑学倶楽部の会に奥さんと一緒に入会された。そんなごえんで大住さんと親しくなり、ご自宅にもお邪魔したことがあった。


2009年の6月に刊行したぼくの著書『裸の女房=60年代を疾風のごとく駆け抜けた前衛舞踊家・伊藤ミカ』(彩流社刊)の出版を祝う会を「白いばら」で開くことにした。

なぜ、そんなにパーティを開くのかというと、元気なうちに会う機会が少ない友人、知人と会いたいと思うからだ。

京王プラザホテルで開いたときのアルバムを見ると、多くの人がこの世を去っている。

『やらないか=『薔薇族』編集長による極私的ゲイ文化史論』を出版した折にまた「白いばら」で出版を祝う会を開いた。

女性はちょっとキャバレーには入りにくい。こんな機会にと思われたのか、出席者の半数が女性だった。

「白いばら」は生バンドが演奏してくれるし、ショウが素晴らしい。踊り手は洗練されていて見ごたえがある。

3度目は、2013年12月に刊行した『ぼくどうして涙がでるの』(スペースシャワーネットワーク刊)の出版を祝う会、なんと小学校時代に同じクラスだった、医者の塩谷君、60数年ぶりに出会うことができた。

いつも出席してくれた、作家の団鬼六さん、「白いばら」を気に入られて、新宿がお好きだったのに「白いばら」で出版を祝う会を開かれている。

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2017年11月19日(日)朝刊の東京新聞の社会面トップに悲しい記事が載っていた。


「銀座の華 昭和史刻み幕・名門キャバレー「白いばら」来年1月閉店」の見出し。元店長の山崎征一郎さんからの聞いた話も載っている。

「戦前からの歴史を刻む、東京銀座のグランドキャバレー「白いばら」が来年1月10日、施設の老朽化を理由に閉店する。「あなたの郷里の娘を呼んでやってください」がキャッチフレーズ。

地方出身のホステスたちのお国ことばでの接客が人気だった。キャバレー不況を乗り越え、盛況が続いていただけに惜しむ声は絶えない。(梅村武史)」

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創業は満州事変が勃発した1931年(昭和6年)とある。ぼくと同じ年代ではないか。元気だ、元気だと思っていても85年も生きていると、あちこちが「白いばら」と同じように老朽化してきている。

そろそろ終わりが近づいてきているのか?

毎月「文ちゃんと語る会」を開いているが、耳が遠くなってきていて、大きな声でしゃべってくれないと聞こえない。

毎日、観ている時代劇も字幕を入れてのことだ。

「白いばら」にもう一度行ってみたいが、ふところが寂しくて行けそうもない。誰か連れて行ってくれないかな。


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2017年11月20日 (月)

よくできた女房だったから!

女性と結婚してよかったという読者からの投稿。いろんな読者がいるものだ。
 
 
 
「1980年2月号の『薔薇族』に、真っ赤な薔薇は結婚するなの投稿を読み、ぼくなりの考え方を。
 
小学校の先生と、その奥さんになった女性というのは大変なんですね。結婚して2年間も(20日じゃないよ、2年間ですぞ)セックスなしとは、うーん、どうしてもウソとしか思えない。
 
2年間もやらないでいた亭主も亭主だが、それにつかえていた奥さんも奥さんである。教員の妻君とは、そんなにガマンしなければならないものなのか。
 
離婚というものがそんなに教員としてのダメージを受けるものなのか? そう言われて周りを見ると、教師で夫婦生活を解消したというカップルは非常に少ないような気がする。この記事を読み自分のことを考えてみた。
 
ぼくはもちろん『薔薇族』だけど「真っ赤な薔薇」ではない。淡いピンクの薔薇ということになるのかな。
 
 
 
女性と結婚して12年目になるんだけど、結婚生活でそんなに苦しんだ思い出はない。最初はこの人と同じだった。ぼくたちの初夜は式をあげてから10日め頃だ。
 
新婚旅行中、全然セックスはできないでいたんだけど、なぜかぼくたちは焦らなかった。10代の頃からふたりで一生懸命読んだ雑誌『平凡』や『明星』のセックスに関する記事の中で、ドクトル・チエコ先生が言っていた。
 
「初夜」というものは、結婚してすぐその夜を迎えてももちろんいいのだが、1週間たっても、また10日たっての初夜でもいいのです。
 
この言葉が頭の中にあり、わりとのんきにかまえていたような気がする。
 
それでも10日めに初めて深く結合したときは「この世の中に、こんなに具合のいいのがあったんだなあと、今までどうしても結合できなかったことが、うそみたいに、毎夜、毎夜、ときには朝や、昼休みにせっせとはげんだものだった。
 
そのとき24歳だったけど、男の味はすでに知っていたけど、バックの味は知らないでいたからよかったのかな。
 
結婚して6年ぐらい経ってから、初めてバックの味を知り、それから妻とのセックスが遠のいていったみたいな気がするが、妻は妻で子供を育てあげるのに一生懸命で、愛の交かんにはそんなに執着しなかったような気がする。(中略)
 
若い人が結婚にものすごく悩んでいる姿や、記事を見るにつけ、気持ちのうえでもっとオープンにしていたらいいのではないかと思う。
 
独身でいるということは、そりゃあもう、妻子あるぼくらから見れば最高なんだけど、でも結婚した相手の女性とも一緒に生活していれば、人間ならば愛情もわいてきて、大事にしてやると、また彼女もトーチャン、トーチャンと、とっても大事にしてくれるものだと思うな。
 
ぼくは両親と妻と子供らに囲まれて、健康にも恵まれて、仕事に遊びに、また一般社会との付き合いができるのも、やはり女房あってこそと思うんだけど…。
 
自分の殻に閉じこもり、自分というものをそんなに惨めにしないで、心を大きく持って、「結婚」というものでなく、「家庭の生活」というものに基本を置いて考えたら、また別の道がひらけてくると思う。
 
それにしても夫婦げんかをしたときの女房はにくいけれど、病気をしたとき看病してくれる女房は、まあ最高だよ」
 
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19世紀初頭のヨーロッパの絵葉書
 
こういう人のことをバイセクシャルというのかな。奥さんがよくできた女性だから、結婚生活が長く続いているのだろう。

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2017年11月18日 (土)

『薔薇族』をどんな人が買うの!

1984年(今から33年前)の『薔薇族』10月号(No.141)の「少年の部屋」のコーナーに、書店でアルバイトをした高校生の投稿が載っている。
 
 
 
「『薔薇族』発売日の1日をレポートします。本屋さんのとある場所に並んでから閉店までの観察です。結構いろんな人たちが買いに来るものですなあ。
 
本誌は当然、雑誌コーナーにあり、当たり前かもしれないけど、表紙が見えないように立てて置いてあるのです。
 
午後5時、オジさんが来て先月号と今月号を交換する。(どういう意味なのか)
 
このコーナーには本誌だけでなく、G誌、S誌など、さらに本誌増刊号、他誌別冊など結構置いてある。ちなみに本誌は3冊『ノック』は2冊置かれていました。
 
 
 
待つこと10分。メガネをかけたお兄さん登場。白のシャツにジーパンという姿。S誌を取りカラーグラビアを見る。活字の部分はパラパラとめくり、結局は本誌をとり、なぜか下向きでレジに行った。早速1冊売れたのである。スゴイ。
 
今度は2人の高校生。2人というせいか、わりと堂々とコーナーへ来た。ひとりはTシャツ、もうひとりはブルゾン。そしてスニーカー。本当にどこにでもいそうなやつである。
 
カラーページを見たり、見せたりしている。そのうち買うのが決まったらしく、S誌とG誌を持ってレジに行った。
 
残念ながら本誌は売れず。しかし、2人で来て、堂々と買っていく姿には感心しましたよ。おそらく回し読みでしょうな。
 
 
 
次に来たのは暗そうな大学生ふうの人。シワシワのシャツに色の落ちたズボン。汚ねえ靴。そして2冊ある本誌の右1冊を取り、じっくり立ち読み。
 
結構時間かけて読んでいる。20分ほどたち、見るところはみんな見たような顔で本誌を元に戻し、その場を立ち去った。まったく20分も立ち読みするなら買えばいいのに。
 
時刻は午後7時30分、あと30分で閉店、と思っていたら来ましたよ。作業ズボンのオジサン。もう頭にはこのコーナーのことしかないらしく、ツカツカと寄り、なんと本誌からS誌、G誌、他誌と全種をとり、レジに向かっていった。
 
すごい! なかにはいるんですな。
 
え? だれがあと1冊を買うのかって? もちろん俺だぜ。決まっているじゃん。
 
「ご来店のお客様に申し上げます。本店は間もなく閉店…」というアナウンスに急かされるように、俺は本誌を1冊持ち堂々とレジに向かい、表紙を上にして買い、小脇にかかえ家に帰りました。
 
みなさんもどういう人が買いに来るのかを見ていると、結構面白いですよ。そして俺のときはカッコいい男は来ませんでした。
 
声かけて本誌を持ってホテルへ、なんて最高じゃん。ひまな人、試してみたら。
 
おしまいに一言。この本買うなら堂々と買おうぜ!」(栃木県・辰徳)
 
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内藤ルネさん最後のイラスト
 
栃木県のどこの町かわからないが、そんなに大きな店ではなさそうだ。『薔薇族』は3冊。発売日に全部売れたのだろう。
 
コンビニが街に溢れるように開店し、雑誌を置くようになって、小さな書店は廃業せざるをえなくなっていく。
 
 
 
文通欄に栃木県の人が5人も載っている。足利氏のプロフィールさん
 
「さりげない毎日より、楽しく過ごすことの楽しさを。君と一緒に何かを考えてみたいんだ。俺まだあまりホモの世界を知らないけど、俺は俺なりの道でやっていくつもりだ。22歳、顔には多少自信あるけど、そんなものどうでもいいんだ」
 
みんな幸せになったのだろうか?
 

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2017年11月13日 (月)

「すみません」と最後の言葉を残して!

他人さまを使って、お店を経営するのは難しい。もうこの世にいない人だが、キャバレーのドアボーイから、ゲイホテルのオーナーにまでのぼりつめた人が、従業員の使い方や、お店の経営の仕方まで、いろいろと教えてくれた。
 
ぼくは学生時代にアルバイトで、朝顔園での仕事をしたぐらいで、人を使ったことがなかった。
 
渋谷で「千雅」というゲイホテルを成功させた人だ。キャバレーで働いていた時代は、お金をごまかすことばかり考えていたが、自分が経営者になると、従業員にお金をごまかされないように、いつも目をひからせていたそうだ。
 
 
 
ぼくの親父が戦後まもなくの昭和23年に、株式会社「第二書房」を立ち上げた。その年にぼくは駒沢大学の文学部、国文科に入学した。姉ひとり、妹2ふたりで男はぼくだけだから、学生時代から親父の出版の仕事を給料なしで、働かせられていた。
 
大学を出てもどこにも勤めず、出版の仕事を続け、それから他人さまに使われることなく今日に至っている。
 
自分で営業して『薔薇族』を置かせてもらっているポルノショップの売り上げは、自分のふところに入れてしまっていた。そうでもしなければ、なんにも買えなかったからだ。
 
 
 
靖国通りに面していて、となりが新宿厚生年金会館で、邱永漢さん(この世にない)が9階建ての「Qフラットビル」を建てた。
 
1階は駐車場で、2階をお店用に作られていたが、オイルショックのあとで景気が悪く、借り手がいなかった。
 
シャンソン歌手のMさんが、邱さんと親しかったので、一番奥の部屋を借りてクラブを開業した。
 
芸能人のお店って、信頼できる従業員に恵まれればいいが、仕事が忙しくなってお店に出られなくなると、お客は遠のいてしまう。
 
Mさんのお店に何度かお邪魔しているうちにぼくもお店を出そうと考えついた。Mさんのまん前に「祭」「伊藤文学の談話室・祭」をオープンさせたのだ。
 
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今はない新宿厚生年金会館
 
 
その時代、秀れた従業員を見つけることは難しかった。昼間から店を開けるというぼくの発想は当たったが、ぼくが毎日、店に顔を出すわけにいかない。雑誌の仕事だけで大変だったからだ。
 
女房も着物を着て店に出てくれていたが、親父の看病をしなければならなくなり、お店に行けなくなっていた。
 
 
 
1985年の『薔薇族』8月号(No.151号)は、大スクープ「日本人エイズ患者に単独会見」が載っている。その号の「伊藤文学のひとりごと」のコーナーに、ぼくは「すみませんと言って無念の涙を流したY君のためにも「祭」はやめないぞ!」と書いているが、世の中、急に変化してきて、駅から20分以上も歩かなければならない場所に、読者が足を運んでくれなくなっていた。
 
新宿2丁目にゲイバアが増え、ゲイホテルも何軒もでき、「祭」の役目は終わっていた。
 
Mさんのクラブも店を閉めている。店長が売り上げをもって行方をくらませていた。
 
 
 
店を閉めていたら、ぜひ、やらせてほしいという若者と、若者と付き合っている中年の男が現れた。
 
あまりに熱心なので、店を開けてみたら、ひどい汚れかただった。3日もかけて掃除を終えたら、若者は柔道で高校時代に鍛えた体だったが、腰が痛み出して動けなくなってしまった。
 
東京湾の埋立地で、若者は焼身自殺してしまった。タクシーで若者を送ったが、「すみません」と言ったくやしそうな言葉が最後だった。

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2017年11月11日 (土)

誰にも相談できず、夜ひとり泣いて!

『薔薇族』は男性同性愛者のための雑誌だけど、2割ぐらい女性の読者がいたのでは。女性からの投稿を載せると、嫌がる読者がいたけれど、日本には女性同士の雑誌がないのだから、ぼくはできるだけ女性からの投稿も載せるようにしていた。
 
「夫が男を好きになって!」と題する大阪市のTONさんからの投稿。
 
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「私は25歳、結婚して5年、現在3人目を妊娠しています。主人は真面目で子煩悩で、去年の暮れまでは仕事と家の往復だけの人でした。
 
それが7ヶ月ほど前から外泊ばかりするようになり、浮気しているのかとも思いましたが、私自身3人目を妊娠しているのがわかり、つわりがひどく、自分のことで精一杯でした。
 
ところが先日、主人の口から「好きな人ができた」という言葉を聞き驚きましたが、その相手が男性であるというのを知り、すごいショックを受けました。
 
そんなときに、この『薔薇族』を見つけ、読みつくしました。100%理解できたわけではありませんが、「男と男」「男と女」みんな人間、一緒なんですよね。
 
 
 
それまではとにかく主人が悪いと責めてばかりいたけれど、私も妻として、主婦として悪いところはたくさんあるし、人間として私より彼のほうがステキだったのかもしれません。
 
誰にも相談できず、夜ひとりで泣いていると、たまたま電話をしてきた主人の母に、たまらなくて打ち明けてしまったりもしました。主人のプライドを傷つけてしまったかもしれません。
 
 
 
話が前後してしまいましたが、『薔薇族』のおかげで、主人に対する気持ち、「愛」を大切にしていこうと思いました。
 
主人を責めるのをやめ、ホモバアでの出来事など、主人の話をすべて聞くようにしました。聞いていると、結構面白かったりして。そのうち機会があれば、一緒に飲みに行こうなどという話まで出て楽しみにしている私です。
 
いまのところ特定の彼はいないようですが、この先のことはわからないし、エイズなどの病気のことも心配です。
 
子供たちが誰からか聞いたりして、自分の父親がホモであることを知って悩んだりするんじゃあないかなあ、なんてこともふと思うときもあるけど、私がしっかりしていれば「普通よりちょっと変わっていて面白いでしょ」なんて感じで過ごしていこうと思います。
 
 
 
人は好きな人ができれば、両思いになりたい、それが叶うと自分だけのものにしたい、などと次々と欲望が出てくるけど、私は主人を男として、ひとりの人間として愛しています。
 
正直に言えば、私だけのものでいてほしいけれど、愛する人と一緒に暮らせるだけでも幸福なことだと思います。
 
今の私は無事に出産することを考えて過ごしています。こんな夫婦、こんな男と女、こんな家庭、みなさんはどう思うかな。こんな私ってへんですか? できればみなさんの意見や考えを聞きたいです。
 
これからも主人と一緒にずっと『薔薇族』を愛読していきたいと思っています。」
 
 
 
この投稿が載った『薔薇族』は、1991年の5月号(26年も前のこと)この奥さん、51歳になっている。3人の子供さんも大きくなっているのでは。
 
夫がホモだとわかると、すぐに離婚してしまう女性もいたけれど、この奥さん、賢い人だ。きっと今でも幸せな家庭を作っていると信じている。
 

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2017年11月 6日 (月)

制服姿の防衛大生ってカッコいい!

「僕は昨年、防衛大学校に入校した未来の将軍を夢みる男です。
 
ホモの中にはフェティシズムといって、とくに制服を着た人に強くひかれる人がいますが、その対象の中でもトップクラスといえる自衛官についてひと言いわせていただきたいと思います。
 
 
 
僕は高校のころから、自分より年下のかわいい少年に興味を持ちはじめました。僕は体は大きいほうでしたが(181センチ)、とくに筋骨たくましいわけでもなく、ごく普通の体格をしていました。
 
したがって、一般にある自衛官へのあこがれで防衛大を志願したわけではありません。自分をほめるようですが、はっきり言って防衛大は大学の中でもかなり難関に属するところです。だれでもがオイソレと入ることはできません。
 
しかも競争率が30倍近く、入校できるのは嫌な言葉ですが、エリートということになります。これは事実ですから変に謙遜するのはやめました。
 
 
 
僕が驚いたのは、ある雑誌に防衛大生に憧れる人の話が出ていたのを読んだからです。その人の言うには、たくましい男たちが日夜団体で生活することに……という感じで、かなり勝手な想像をされていると思いました。
 
こういう考えはよくないと思っていますが、一般に体と頭はべつと言われています。なんというか入るのに難しい大学は、いわゆる青白いとか、ウラナリなどという貧弱なイメージが捨てきれません。防衛大も同じこと。
 
確かに訓練過程という戦闘訓練のようなものはありますが、あまり運動に自信のない僕でも、なんとかついていける程度なので、耐えられないほどきびしいというものではありません。
 
全寮制のため、友人とは一緒に寝起きしますが、彼らも僕と同じく、とりわけ体がたくましいわけではありません。もちろん中には、きわめて自衛官的イメージを持っている人もいることはいます。しかし、数でいけば少数と言わざるをえません。
 
つまり防衛大とは、普通の大学とほとんどかわりのないところなのです。入校の時に身体検査はありましたが、M検なんていうのはまったく関係のない、どこの大学でもやる身長だとか、体重などといったことだけでした。
 
寮に入っても(学生舎といいます)ホモ的な行為があるわけでもなく、これまた普通の大学と同じです。もちろん僕がホモなのは誰にも知られておらず、通信欄で知り合った人と、週末に付き合っています。校内でそのようなことがあるというのも、聞いてことはありません。普通の大学生同様、聖子がどうしたの、よしえがどうしたのと、あいかわらずくだらんミーハー歌手の話題でもちきりです。
 
 
 
イデオロギー的なことは別として、僕は真剣に、祖国の防衛のために防衛大を志願したのです。その気持は今も変わっていません。
 
防衛大にもホモの人はいると思いますが、まだ会ったことはありません。僕はホモが悪いなんて考えは少しもありません。
 
僕としては戦争には大反対ですし、平和がいちばんいいと思っているのは当たり前です。
 
どうか読者の方にお願いです。偏見はやめてください。偏見でわれわれ自衛官をホモだと思ったり、誘ったりするのは同じホモとしても強い不満を感じます。(東京都・未来の将軍を夢見る男)」
 
 
 
『薔薇族』の読者には、警察大学の学生もいました。この投稿、優等生過ぎていて、『薔薇族』的には、もっとハレンチな話でないと、つまらないかもしれませんが、35年も前の話で、実際は今も変わっていないのでは。
 
編集部を訪ねてきた制服姿の防衛大生と下北沢の街を歩いたことがあったが、カッコいいのでみんな振り返って見たのを今でも覚えている。
 
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イラスト・藤田竜

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2017年11月 4日 (土)

次回「文ちゃんと語る会」のお知らせ

次回「文ちゃんと語る会」は11月25日(土)開催です。
 
日時・11月25日(土) 11時~13時
場所・下北沢南口から4分、カフエ「織部」
住所・〒155−0031 世田谷区北沢2—2—3
電話・03—5432—9068
会費・コーヒー代のみ
 
初めての方・女性・話を聞きに来るだけの方、
どなたさまも歓迎です。ぜひ、お気軽にお出かけください。

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海軍の裏面史の貴重な記録!

『薔薇族』は1971年の創刊なので、終戦になって軍隊から戻ってきた人たちが、軍隊生活のことを投稿してくれている。これは貴重な体験記なので、記録として残しておきたいものだ。ただ長文なので全部を載せるわけにはいかない。1982年の11月号に載った海野武男さんの海軍時代の体験記だ。
 
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「戦時中に海軍に籍を置いた者に、軍隊生活の中で一番嫌であったことは何かと問えば、たいていの者は甲板整列と答えるだろう。
 
これは巡検(陸軍ならば、就床前の点呼のこと)のあとで兵隊たちが甲板上に整列させられて、その日の課業に対する励み方が充分でなかったことを理由にして、長々とお説教を聞かされたうえ、最後に下士官に活を入れらることである。
 
活の入れ方はいろいろあるが、平手あるいは拳による頬打ちが普通で、その他に樫の棒による肘打ちや、長時間の前へ支え(腕立て伏せのこと)などもよく行われた。
 
多くの場合、下士官によって殴られるのであるが、兵長が代行するときもある。疲れきった体を横にさせてもらう前に、足を開いて歯を食いしばって、一瞬気を失うほどの打擲に耐えねばならなかったことは、兵隊にとって最も辛いことであった。
 
 
 
さて、海軍生活の中で、その次に嫌なものは何であったかと聞かれれば、私は即座に月例検査と答えるだろう。これは毎月1回定期的に行われる健康診断のことであるが、主たる目的は性病の検診である。それに付随して、皮膚病の点検なども行われる。
 
「明日、月例検査を行う」と知らされた日の夕刻は、どの入浴場も大変な混雑である。明日のM検に備えて陰部を清潔にしておくため、全員が必ず入浴するからである。
 
どの兵隊も洗い場に包皮をめくってよく洗っている。なかには勃起してしまう者もいるが、みな比較的無関心に見過ごしている。まれにひょうきんな兵隊が、ふくらんでいる自分の陰茎を周囲の者に見せびらかしている場面もある。(中略)
 
 
 
「受診用意」の号令がかかると、一斉に立ち上がり、越中ふんどしをとって衣類の上に起き、全裸となって医務室左側の入口の前にタテの一列を作る。
 
長い列となるので控室の隅をぐるりとコの字型に囲んで、最後部の者は医務室右側の出口の付近に並んでいる。
 
お互いに性器丸見えである。中には平気で一向に気にしない者もいるが、程度の差こそあれ、なんとなく人の持ち物の形や、大小が気になって、それとなく観察している者もいる。
 
初めての月例検査のときなどは、恥ずかしさのあまり、あらかじめ渡されて手に持っている自分の検査表で、人に見えにくいように陰部を隠す者もいた。それをみつけた衛生下士官は、その者を指さしながら「前を隠すな! しゃばっけを出すな」と、怒鳴りつけた。
 
みんな一斉にそちらを見た。その兵隊は顔を真っ赤にしながら、前を覆っていた手をはずした。普通の性器であったが、包茎で陰毛が少なめであった。(中略)
 
今の若い人の陰茎の長さは、平均13.5cmぐらいと聞いている。戦時中の日本人は背も低く、確か平均が、12.5cmぐらいであったと記憶している。大きさや形状はまったく千差万別で、私は自分の粗チンに対して劣等感を持っていたが、あまり気にしなくなって入浴も手ぬぐいで前を隠すことはしなくなった。」
 
 
 
12ページにおよぶ体験記で、よくまあ観察したものだ。軍隊の裏面史で貴重な記録だ。

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