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2017年11月13日 (月)

「すみません」と最後の言葉を残して!

他人さまを使って、お店を経営するのは難しい。もうこの世にいない人だが、キャバレーのドアボーイから、ゲイホテルのオーナーにまでのぼりつめた人が、従業員の使い方や、お店の経営の仕方まで、いろいろと教えてくれた。
 
ぼくは学生時代にアルバイトで、朝顔園での仕事をしたぐらいで、人を使ったことがなかった。
 
渋谷で「千雅」というゲイホテルを成功させた人だ。キャバレーで働いていた時代は、お金をごまかすことばかり考えていたが、自分が経営者になると、従業員にお金をごまかされないように、いつも目をひからせていたそうだ。
 
 
 
ぼくの親父が戦後まもなくの昭和23年に、株式会社「第二書房」を立ち上げた。その年にぼくは駒沢大学の文学部、国文科に入学した。姉ひとり、妹2ふたりで男はぼくだけだから、学生時代から親父の出版の仕事を給料なしで、働かせられていた。
 
大学を出てもどこにも勤めず、出版の仕事を続け、それから他人さまに使われることなく今日に至っている。
 
自分で営業して『薔薇族』を置かせてもらっているポルノショップの売り上げは、自分のふところに入れてしまっていた。そうでもしなければ、なんにも買えなかったからだ。
 
 
 
靖国通りに面していて、となりが新宿厚生年金会館で、邱永漢さん(この世にない)が9階建ての「Qフラットビル」を建てた。
 
1階は駐車場で、2階をお店用に作られていたが、オイルショックのあとで景気が悪く、借り手がいなかった。
 
シャンソン歌手のMさんが、邱さんと親しかったので、一番奥の部屋を借りてクラブを開業した。
 
芸能人のお店って、信頼できる従業員に恵まれればいいが、仕事が忙しくなってお店に出られなくなると、お客は遠のいてしまう。
 
Mさんのお店に何度かお邪魔しているうちにぼくもお店を出そうと考えついた。Mさんのまん前に「祭」「伊藤文学の談話室・祭」をオープンさせたのだ。
 
A
今はない新宿厚生年金会館
 
 
その時代、秀れた従業員を見つけることは難しかった。昼間から店を開けるというぼくの発想は当たったが、ぼくが毎日、店に顔を出すわけにいかない。雑誌の仕事だけで大変だったからだ。
 
女房も着物を着て店に出てくれていたが、親父の看病をしなければならなくなり、お店に行けなくなっていた。
 
 
 
1985年の『薔薇族』8月号(No.151号)は、大スクープ「日本人エイズ患者に単独会見」が載っている。その号の「伊藤文学のひとりごと」のコーナーに、ぼくは「すみませんと言って無念の涙を流したY君のためにも「祭」はやめないぞ!」と書いているが、世の中、急に変化してきて、駅から20分以上も歩かなければならない場所に、読者が足を運んでくれなくなっていた。
 
新宿2丁目にゲイバアが増え、ゲイホテルも何軒もでき、「祭」の役目は終わっていた。
 
Mさんのクラブも店を閉めている。店長が売り上げをもって行方をくらませていた。
 
 
 
店を閉めていたら、ぜひ、やらせてほしいという若者と、若者と付き合っている中年の男が現れた。
 
あまりに熱心なので、店を開けてみたら、ひどい汚れかただった。3日もかけて掃除を終えたら、若者は柔道で高校時代に鍛えた体だったが、腰が痛み出して動けなくなってしまった。
 
東京湾の埋立地で、若者は焼身自殺してしまった。タクシーで若者を送ったが、「すみません」と言ったくやしそうな言葉が最後だった。

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コメント

焼身自殺したいきさつを詳しく知りたいです。
その直前に送っていったのですか。

投稿: | 2017年11月16日 (木) 17時33分

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