屋根裏に隠していた『薔薇族』
「読者アンケート・肉親にホモがバレた時、バレかかった時のこと」(1990年6月号)
「中1のとき父が「お前の好きそうな本がある」と言って、近所の本屋に注文して買ってくれたのが『薔薇族』との出会いでした。
「なかなかないんですねえ」と言いながら、本屋のおじさんは、表紙をつけて届けてくれました。
母は「これからは自分で買いなさいよ」って。嘘だとお思いでしょうが、実話です。
バレるもバレないも、わが家はすべて公認です。
今では「今日は男んとこに泊まるからね」と外出する僕。わが家は今日も平和です。(埼玉県・メタル姐御・22)」
こんな親子ばかりだったら、苦労はないけれど。
「夜中に急にマスがかきたくなったので、『薔薇族』を出して、そのままイッて眠ってしまった。
朝、遅刻しそうだったので、しまい忘れて帰ってくると、ベッドにあるはずなのに、本が机の上に置いてあるではないか。
母親は何も言わなかった。だけど外出のたびに「誰と?」「どこへ?」「いつ帰るの?」「どういう友達?」コールが増えだして、少し困っている(神奈川県・ゼロサン・18)」
こういう話はよくあった。母は心配しているんだ。
「屋根裏に隠していた『薔薇族』の位置が変わっているので、おかしいなと思っていた。
ある時、弟の洋服ダンスを開けたら、ナ、ナント『薔薇族』が。俺のじゃないことはたしか。
兄弟でホモなんて冗談じゃねえよ。こんな苦労、俺ひとりで充分だよ。
その後、弟は狂ったように女をとっかえひっかえ。
ささやかな抵抗に終わらなければいいと願うやさしい兄貴は、オイラのことだな。(愛知県・純情・29)」
兄弟でとか、親子でという読者もいたっけ。
「学生時代、同居していた下級生(下宿のルームメイト)を深く愛してしまった。
偶然、彼もゲイだったが、僕は彼のタイプではなく交際を断られた。
僕は絶望のあまり気が狂ったようになり、母に男性を愛してしまったこと話してしまった。
母は気が動転し、深く悲しんだ。
しかし、僕はいずれ話さなくてはならないと考えていたので、ちょうどいい機会だと思った。
母は父とは別の男性(妻子のある)を好きになり、離婚したあとだったので、僕と母の2人は、世間が許さない愛を共有する関係になり、愛や、性についてなんでも話し合う間柄になった。
彼に迷惑がかからないようにと、僕は下宿を出た。
しかし、僕は今でも彼の面影を大切にして生きている。(奈良県・バラライカ・30)」
どこの家でもいろんなことがあるものだ。
「親父が嫌いなことと、田舎がいやで東京に出てきたけど、無理やりに連れ戻されそうになり(31歳のとき)思いきって告白しました。
当時、父母とも亡くなっていましたので、少しは気が楽でした。長姉は「やっぱり」という言葉。次姉は泣きわめき、末姉は呆然、兄は号泣(初めて見た)。
現在は理解してなくても黙認という形かな。
体だけは気をつけろと言ってくれています。兄姉たちにありがとうという気持ち(東京・いろいろあって・37歳)」
親が亡くなれば、独身のホモはいつか兄妹と疎遠になるものだ。内藤ルネさんも、藤田竜さんも、兄妹が多かったのに、亡くなっても誰も現れなかった。寂しい話だ。
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コメント
エロスティック話題ありがとうございます。
BLボーイズラブ漫画&小説大好き 腐女子でございます。戦中・戦後の同性愛事情の生き証人として、大変貴重だと思い見ています。
ただ今、~戦時下における性的マイノリティーについて~
~軍隊内における、同性愛について~
研究しております。
最近「若衆文化研究会」の研究発表会が盛況です。中世~近代にいたっての同性愛研究会でもあります。
一度、伊藤さんをご招待したいですね。
投稿: りべら | 2018年1月 3日 (水) 17時27分
ゲイ雑誌が当時次々発行されバブル状態の淘汰の中で貴誌が生き残ったのは、藤田さんのレベルの高いセンスの結果でしょう。
一例として山川さんの弱々しい作風に対して、読者の共感が得られるか否かを判断し選別するセンスです。
薔薇族が多数の読者に共感される雑誌になったのは、藤田氏のセンスのおかげでしょう。
投稿: | 2017年12月19日 (火) 17時27分
亡くなっても兄妹が誰も現れなかったのは、寂しい話ではありません。
本当にそばにいてほしい人が、そばにいたのですから。
投稿: | 2017年12月18日 (月) 20時13分