『江戸男色考』の芝山さん逝く
芝山はじめさんのお名前を忘れることはできない。
『薔薇族』に小話と「江戸男色考」を長いこと連載してくれた方だ。
小話は昭和39年8月に『365日しびれる本=新作風流小話』として、ナイトブックス15に本になっている。
「江戸男色考」もよく調べたものだ。これは批評社から3冊になって刊行されている。
夏の終わりごろだったろうか。芝山さんから電話がかかってきて、原稿を書き上げたので本にしたいということだ。
どんな内容の本か聞き損なってしまったが、今の世の中、自費出版でないと、本にすることは難しい。
「10月に夫、肇が91歳にて帰天致しました。」と、奥さまからはがきが届いた。亡くなる寸前まで原稿を書き続けていたのだろう。
芝山はじめさんは、大正14年11月生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、株式会社東急文化会館に入社、「渋谷東急」の支配人をされていた。
新作落語の脚本も多数書かれていたので、東急文化会館で出版記念会を開いたおりには米丸さんも出席されていた。
あとがきにこんなことを書かれている。
「仕事は夜、自宅にかぎられたから、原稿用紙にむかう数時間は、それこそ物凄い、血の出るような緊張であった。創ったコントの数はこの本に選ばれた550話の、ゆうに数倍を超えている。」
『薔薇族』に連載された小話は、読者が面白がって読んでくれる作品ばかりだった。
あの晩
妻が夫の胸にかわいい頭をもたせながら言った。
「この子ができたのはいつだったかしら? あなたがパーティでお酒に酔って帰ったときかしら。音楽を聴きながらコーヒーを飲みすぎて眠れなかった晩かしら。
それともあなたがポーカーで夜明かしして、一晩中、帰ってこなかった晩だったかしら……」
ある推理
妻が外出から帰ってきて、主人の部屋のソファーに腰をかけた。
「まあ、このソファーはあたたかいわね。だれか今までここにすわっていたのね」
「うん、家政婦のM子が世間話をしていたんだよ。さっきまで……」
「あら、そう」
彼女は、つぎに夫の膝の上に腰を移して言った。
「まあ、ここも熱っぽいわね。M子、きっとここにも腰かけていたのね」
親切すぎる
Q氏がひどく不幸そうな顔をしているので、友人のY氏がわけを尋ねた。
「ぼくの恋人のP子知ってるだろう。彼女は今時珍しい生娘なんだがね。ぼくがどんなに口説いてもOKって言わないんだ」
「なるほど、ぼくはできることなら力になるぜ」
「君から言ってくれないか、彼女に」
さて、2,3日後、Y氏がQ氏に言った。
「おい、喜べ! 彼女、君の申込みに双手をあげてOKだって言ってるぞ。こんなすばらしいことならって……」
「江戸男色考」もよくぞ調べたものだ。「ラブオイル」のようなものは、江戸時代にもあったようだ。
「通和散」とよばれていた。芝山はじめさん『薔薇族』の読者のために、いろんなことを教えてくれた。ありがとう芝山はじめさん。
最後まで書かれていた原稿、なにを書かれていたのだろうか。
安らかにおねむり下さい。
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