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2018年1月 8日 (月)

オカマなんていう言葉は、もう使われない!

今、テレビで「オカマ」なんて言う人はいないと思うけど、36年前(1982年)はオカマという言葉は、よく使われていた。
 
1982年の『薔薇族』8月号の「伊藤文学のひとりごと」のコーナーに「マスコミの世界からオカマという言葉を追放しよう!」というタイトルで書いている。
 
 
 
「5月21日(金)朝日新聞の夕刊文化欄のつかこうへい氏の「狂気横行の時代」を読んだでしょうか。
 
「臭いものには蓋をしてこその日本文化は、その住宅事情のせいで「あかずの間」「座敷牢」といった餓鬼を封じ込める空間を作る余裕を失い、百鬼夜行の時代に突入しつつある。
 
その顕著な例が「ワルガマ」の横行である。
 
本来ひかれものとしての身の不幸を嘆き、人知れず生き、そして滅びてゆくべきカマどもが、まるで市民権を得たとばかりに陽の高いうちからテレビや街角にしゃしゃり出てきては能書きをタレるようになり、困ったものである。
 
先日など、偶然に入った寿司屋で、意気と気っぷで売る板前にまで、性悪ガマが進出しているのを知り、唖然とした。
 
カウンターに座るなり、角刈りで鼻の横にホクロのある妙にクネクネした板前に、「よして小柱は今日のはイキが良くないの。トロが絶対おすすめよ」と、ウインクされたときは、さすがの私も、気色悪くて背筋が寒くなった。
 
とてもカマの手で握られた寿司を食う勇気はなく、ひたすらタマゴばかり注文していたら、言うに事欠いて、「あ~ら、こちらさんタマゴばっかり、いやらしいわね」と満座で笑いものにされた。
 
いったいタマゴのどこがいやらしいというのだ。
 
自尊心の異常に高い私は、あまりの屈辱に、その日以来、夜寝ていつも「カマから笑われた」と、うなされ続けている。
 
並の人以上に税金も払っている健全市民のこの私が、なにゆえ、カマふぜいに笑われなければならないのか。
 
私は別にカマが料理をしてはいけないと言ってるのではない。
 
そりゃなかには、料理好きのカマだっているだろう。
 
が、そういうカマには、レストランのようにキッチンの見えないところでやるモラルをもってもらいたい。
 
それが節度というものだ。
 
恥を知るカマ道というものだ。
 
しかし、こう無作法なカマが多くなっては、私も文化人の端くれとして本格的にカマ撲滅キャンペーンを始めなくてはと思う。
 
「放し飼い」にしてはならない前衛的な人間どもが横行し、私たち時代の先端をゆくべき演劇人の存在感のない時代になってきた。」
 
 
 
どうです、この文章。偏見と悪意に満ちた文書。なんとも感じませんか。
 
オカマと言われたって腹が立つのに、性悪ガマとは一体どういうことなのですか。
 
たしかにこの部分だけを読んだら、なんとひどいことを言うと、にえくりかえるぐらい腹が立つけど、最後まで読んでいけば、つかこうへい氏のジョークだということがわかり、腹も立たなくなるのです。
 
 
 
しかしです。
 
つかこうへい氏が悪いのではないのですが、オカマという言葉は、そのものが『薔薇族』に対する侮蔑の言葉ではないでしょうか。
 
ただ言葉を変えたからって、心の中で馬鹿にしていたのでは何もなりません。
 
意気と気っぷのいい人に見えたからって、そういう人にこそ、オカマなる人がいるのです。
 
ぼくはくねくねしている、この板前さんこそ、愛すべき正直な人だと思うのです。」
 
A

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コメント

つかさん1人だけのことではなく、過去の世の中全体の多数がつかさんと同じだったのです。
それが現在、急激に変化しています。
過去に生きるのではなく過去は捨て去り、未来へ向けて変化していく社会を現在生きているのです。

投稿: | 2018年1月10日 (水) 22時25分

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