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2018年2月

2018年2月26日 (月)

時は流れていき、人はいつまでも若くいられない!

すべてを無くしてしまった内藤ルネさん。三度も自殺しようと思ったができなかった。ルネさん、ぼくにこんな言葉を残してくれていた。
 
 
 
「人の一生には山や、谷や、川や、海があるように、その折々にいろんな人とのめぐり逢いがある。
 
末永い友人でいてほしいと願った人であっても、縁がなくて、疎遠になってしまうこともある。その反対に伊藤文学さんとは、仕事関係でお会いしたとき、ずっと以前から知っていた人のように、なつかしい人だった。
 
水の流れのような自然な、この友情がこんなに長く続けられるとは、思ってもみなかっただけに、私にとってただひたすらにありがたいことである。
 
何よりも伊藤さんの水や空気のように、いつも変わらぬこの友情は、おだやかで静かで、思いやりのあるあたたかい人柄のためで、今では私の数少ない心からの友となった。
 
その文学さんがいつもカラッと底抜けに明るい夫人のくみちゃんの古里に、二人のためといっていい、美術館を開館されることになった。
 
まさに人徳がなければ実現できないことで、知らず知らずのうちに、誰をも分けへだてなく包みこまずにはおかない、お二人のあたたかい人柄を神佛は知っておられて、力を貸してくださったに違いない。
 
時は流れてゆく、残念ながら人はいつまでも若くはいられない。この人生のまさに実りのときに、このような人々を楽しませてくれる美術館を建てることの出来た伊藤さんの大いなる幸福を心をこめて祝福し、この「ロマンの泉美術館」が末永く人々に愛され続けることを深く祈らずにはいられない。
 
伊藤さん、久美子さん、この上は何よりも健康であるように。心はいつも青春で。より多くの人々にお二人の幸福をいっぱい分けてあげてください。」
 
 
 
ルネさんのコレクションしているアンティークのお人形を「ロマンの泉美術館」にずっと展示したこともあったので、ルネさん、何度か弥彦村に来てくれたこともあった。
 
 
 
「人生ってとんでもないことが突然おこるんですね。
 
1990年代の初頭、バブルのときにまったく信じられない事件が私の上に降ってきて、今の金額にして、7億以上のお金を5人の男と、ひとりの女に次々と持っていかれ、その上に自分のマンションまで持っていかれ、すっかり疲れきって、自殺も3回考えました。
 
もう生きてゆくことに絶望していたとき、信じられないことに、いろんな関係のあった私の大切な会社たちも、すっかりバブルにまきこまれて、仕事もなくなってしまったのです。(中略)
 
私の絵の生活が人生で初めてストップして、何もどこからも仕事がこなくなってしまったとき、『薔薇族』の表紙絵の仕事を伊藤文学さんから頼まれたときのオドロキ。それもセクシーこの上もない男の子たちの絵!
 
オドロキましたね。しかし、まったくありがたく、うれしかったですよ。そしてわが人生、初めてのセクシーボーイズを描くことのこの上ない楽しさと、うれしさをこのとき知りました。
 
それからの楽しさ、恐ろしい事件も『薔薇族』の表紙を描くことでまったく忘れることができたのですよ。」
 
 
 
3回も自殺を考えたルネさんが、『薔薇族』の表紙絵を描き続けることで、立ち直ってくれて、ぼくとしてもよかったなと……。
 
ルネさんの表紙絵の『薔薇族』を見たい、欲しいと思っている人がいっぱいいるなんて。
 
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イラスト・内藤ルネ

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2018年2月24日 (土)

まれにみる多才な人なのに!

御巣鷹山に日航機が墜落するという大惨事の年に、ぼくは胆石の手術のために、関東中央病院に入院していた。
 
どうしたわけか黄疸症状が出て、からだ中が黄色くなってしまった。胆石の手術なら長期間入院することはなかったが、黄疸が治るまで手術はできなかった。その時代、エイズが日本に入ってくるというので、大騒ぎしていた頃でもあった。
 
 
 
日赤に血液を提供すると、梅毒などの性病であるか、ないかを調べてくれるので、読者に泌尿器科には行きづらいので日赤に行くことをすすめていた。
 
エイズの問題が起きてきたので、それはまずいと、厚生省のお役人から読者に日赤での検査をやめてほしいと、病院にまで電話がかかってきた。
 
 
 
黄疸も治り、いよいよ手術という前日に藤田竜さんから手紙が舞い込んできた。読んでみると、給料を増やしてくれという依頼の手紙だった。
 
常識的に考えても、そんな手紙は退院してからでもいいことなのに。
 
藤田竜さんという人は、世間知らずというか、相手の心を思いやる気持ちなどさらさらない人だった。
 
これは内藤ルネさんが、ぼくによくこぼしていた言葉だった。
 
藤田竜さんはお金のことに関してはシビアな人なのに、なんで7億円もの大金をむざむざと、詐欺師にとられてしまったのか。
 
 
 
バブルの時代に上北沢に持っていた家と土地、それと江ノ島の方に持っていた土地を売ったお金が7億円にもなっていた。
 
ルネさんはお金のことはすべて藤田竜さんにまかせきりだったようだ。
 
ふたりは膨大なさまざまのコレクションを集めていたので、それを展示する美術館を作りたいというのが夢で、すでに伊豆の修善寺に土地を買ってあったようだ。
 
その美術館を社団法人化しようと考えていたので、そこを詐欺師にねらわれたのでは。
 
税金のがれに社団法人にする人が増えてきたので、法人化する規制をきびしくするようになっていた。
 
ゲイの人の一部は、なんでも話せる友人がいない人たちだ。相手を信用してしまうと、疑わない。それにしても男4人、女ひとりの詐欺師に7億円ものお金をだましとられるなんて。
 
 
 
藤田竜さんって、まれにみる多才の人なのに、どこか抜けている大馬鹿者としか言いようがない。全部独断でルネさんには相談しなかったのか。世間知らずのルネさんだって、ちょっとおかしいと思ったに違いない。
 
一緒に『薔薇族』を長いこと出し続けてきて、お互いに理解するようになっていたのだし、おかしいと思ったら相談してくれればよかったのに。
 
なんでマンションまでとられてしまったのか。だまされたお金は、そこで諦めればよかったのに。
 
そのお金をとりもどそうとして、弁護士をやとったりしたのか。それにしてもマンションをでなければならないほど、何にお金がかかったのか。
 
これも常識では考えられない。
 
 
 
オレオレ詐欺だって、どれだけだまされないように警察も、テレビ局も注意を呼びかけているのに、まだまだ多額のお金をだましとられている。
 
わが家にも息子の名前で電話がかかってきたが、銀行の通帳にお金が僅かしか入っていないのだから……。
 
だまされて大金を持っていて払える人は幸せだ。
 
お金がないってさびしい話ではないか。
 

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2018年2月22日 (木)

ヤフオクにて伊藤文学所蔵コレクション2点出品中!

現在Yahoo!オークションで、下記の伊藤文学所蔵品を出品中です。
 
興味がある方は、ぜひこの機会にご検討下さい。
 

 
『ルイ・イカールの生涯』|限定5000部発行の画集(3807番)
 
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  • 出版社: アール・グレイ出版株式会社刊
  • 発行:  1989年11月20日
  • ページ: 558ページ
  • サイズ: 31cm×23cm(箱入り)
  • 定価:  10万3千円(本体価格10万円)
 
イカールの作品との出会いは、渋谷のパルコの先の雑居ビル地下に西洋骨董店があって、なんと床の上に投げ出すように置いてあったそれを買ったときだ。
 
そのときからイカール作品のコレクションが始まった。
 
イカールの作品を最初に日本に持ち込んだのは、美術商ではなく西洋骨董店だったのだ。
 
 
 
パリの美女たちを描いた作品を愛したのは、パリに憧れているアメリカ人だった。
 
イカールはパリの人ではなく、アメリカ人に人気で、作品の多くがアメリカに渡った。
 
 
 
日本ではイカールを西洋骨董の雑誌で紹介し、新潟弥彦村に「弥彦の丘美術館」をオープンさせてイカールの絵を展示、有名にした。
 
この画集に多くの絵を提供したのもぼくだ。
 
もう二度とこのような豪華な画集は作れまい。
 
この画集を手にした人は、イカールの絵のとりこになるにちがいない。
 
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ヤフオク出品中ページ↓↓↓
 

 
アンティークのクロモリトグラフ・アルバム
 
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世界で1冊しか残っていない、アンティークのアルバムだ。
 
アルバムの価値は製作者の美意識の高さで決まってくる。
 
小学生のような低い年齢では作れまい。もう少し上の女性が、コレクションを時間をかけてアルバムに貼り、楽しんでいたのだろう。
 
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1点だけ1815年と年号が入っていて、203年も前のものかもしれない。
 
人物や動物など、さまざまなものをどうやって集めたのか。
 
 
 
印刷物の裏面から圧力をかけて押しているので、立体的になっている。
 
おそらく印刷技術の進んだドイツでつくられたものだろう。
 
紙というはかないもので作られているにもかかわらず、2度の大戦を生き延びてきたアルバムを眺めていると、胸がいっぱいになる。
 
スピードよりも質が重んじられた古き良き時代。「小さきもの」ながら大きな意味をもつ貴重な品で、めったに見ることができないものだ。
 
 
ヤフオク出品中ページ↓↓↓

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2018年2月19日 (月)

地震 雷 火事 北朝鮮!

日本ほど天災の多い国はないのでは。次から次へと災害が起きるから、マスコミがとりあげなくなると、多くの人は忘れてしまう。
 
東北の大震災はどこまで復興しているのだろうか。世界中から復興のために莫大な義援金が寄せられたのに、そのお金はどのように使われたのだろうか。
 
日本の建築物は木造で、屋根は「かわら」が多いから地震が起きると、屋根の重みでぺしゃんこになってしまう。
 
地震の被害もあるが、火事が発生して燃えひろがり、大惨事になることが多い。
 
雨が降り続くと、川が氾濫し田畑が水につかり、人家も流されるということの繰り返しだ。
 
今の時代は災害が起きると、テレビが映像で知らせてくれる。明治、大正時代は災害を人々の記憶にとどめておくために、絵はがきが使われたようだ。
 
ぼくの祖父、伊藤冨士雄(大正12年没)が残してくれた絵はがきがある。家は無残にもつぶれてしまっているが、下敷きになって亡くなった人たちも多かったのでは……。
 
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東京だっていつ地震が発生するかは分からない。予告なしに突然に起きるのだから、そのときどうなるのかは想像できない。
 
韓国では冬のオリンピックの最中で、北朝鮮からも選手や、応援団がきている。その費用は全部韓国政府が負担しているというのだから、大統領はひとがよすぎる。
 
どこの国だって費用は国が出しているのだから、北朝鮮に出させるべきだ。こんなことだと、米韓での軍事演習などできなくなり、北朝鮮の言うままになってしまう。
 
「地震 雷 火事 北朝鮮」だ。いつミサイルを打ち込んでくるのか、分からない。

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2018年2月18日 (日)

『文ちゃん86歳の誕生日を祝う会』開催します!

文ちゃん86歳の誕生日を祝う会
 
  • 日時:3月24日(土)午前11時から午後1時まで
  • 会費:¥1000
  • 場所:織部下北沢店
 
◎ 持ち込み大歓迎♪
 
 
★お手数ですが3月22日(木)までに、電話で出欠をお知らせ下さい。
 
電話ではその他、相談事も承ります。
 
ご遠慮なく下記の番号へ!
 
電話:03−3413−9411(夜7〜9時まで)

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2018年2月17日 (土)

山川純一君に、ぼくのセーターを!

NHK名古屋局制作の『そして“カワイイ”が生まれた~内藤ルネ 光と影~』すごい人気だった。
 
 
 
「NHK東海地区の番組で、内藤ルネさんの特集。ちゃんと知ることがなかったので視聴。カワイイ少女たちの認知度が高いのですが、『薔薇族』の表紙まで手がけていたことを初めて知りました。
 
70年代、本屋で見かけた懐かしい、あの表紙を思い出します。」
 
 
 
「まさかNHKで『薔薇族』が出てくるとは思わなかった。」
 
 
 
民間放送では『薔薇族』の話で、いろんな番組に出させてもらったし、その前、50年ぐらい前かな、ぼくの末の妹が32歳で2人の子供を残して亡くなったが、朝日新聞の記事のおかげで、あらゆるマスコミが取り上げてくれ、最後はNHKでラジオドラマ、そして日活で昭和40年秋の芸術祭参加作品となり、妹の役を十朱幸代さん、ぼくの役を東大出身の俳優 佐藤英夫、『ぼくどうして涙が出るの』はヒットし、本はベストセラーになった。
 
 
 
内藤ルネさんが表紙絵を描いていた『薔薇族』を見たいという人が多かった。
 
1986年(今から32年前)の『薔薇族』№161・6月号、最後のページの「編集室から」小さな文字で2ページにわたって書いている。
 
山川純一君のことは、すべて書いてしまって、新しい発見はなかったが、びっくりするようなことが書いてあった。
 
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「山川純一くんの劇画集も今月末に単行本として出版されます。
 
短髪好きの読者には、気に入られないかもしれないけれど、山川フアンの諸君には朗報です。
 
山川君は本当に地味な男で、このマンガだけで生活をしているのです。僕もなんとかしてあげたいと応援してきたので、うれしくてならないのです。
 
冬の寒い日に、いかにも彼の着ているものが寒そうなので、僕のセーターを何枚かあげたこともありました。
 
月に1作書き上げるために全力投球している山川君に声援を送ってほしいのです。
 
また山川君も単行本にまとめたことによって、はずみをつけて良い作品を書き続けてほしいのです。
 
『君にニャンニャン・チビバラ行進曲』定価600円、出版社はけいせい出版です。」
 
 
 
3冊もの単行本になったものの、けいせい出版は倒産、印税などもらえなかったのでは。
 
山川君にぼくのセーターを何枚かあげたことなんて、まったく忘れてしまっていたけど、ちょっといいことをしてたのだ。
 
この号を出すまえに胆石の手術で、関東中央病院に1ヶ月ほど入院していて、退院してわが家に帰ってきたころのようだ。
 
 
 
「今月号のように『薔薇族』には決まって、1作以上、感銘を受ける作品がのっていますね。
 
はじめて購入したときは、「千円、高いなあ〜」なんて思いましたが、最近ではちょっと安いかな……、いや、丁度いいのかなとも思えるのです。
 
不思議だな、というわけで今後とも千円でお願いします。
 
こないだの「11PM」で、ぼくは初めて伊藤文学さんを画面で見ることができました。
 
思っていたより体格のいい人でしたので、ちょっと驚き。
 
だって入院してると書いてあったから、痩せている人と思ったんだもん。」
 
 
 
復刊ドットコムがネットで、山川純一君の劇画を見れるようにしてくれている。
 
内藤ルネさん、山川純一君、いつまでも見てくれてる人がいるなんて、嬉しいことではないか。
 

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2018年2月12日 (月)

NHKが『薔薇族』を取り上げてくれた!

民家のテレビ局には、32歳で心臓手術で亡くなった妹のことが、いろいろと話題になり出演する機会が多かったが、NHKの番組で出演するのは、今回が初めてだ。
 
NHK名古屋局のSさんが上京されて、カフエ「織部」で出会ったのは、昨年の11月23日のことだ。NHKの番組に出演してほしいとのことだった。
 
12月11日に目黒の三宿病院に痔の手術で入院、12日に手術、5日間で退院、その直後にNHKのカメラマンに2名と、ディレクターのSさんが取材にやってくる。
 
寝室と仕事場のわが家の6畳の狭い部屋でのおしゃべり。ディレクターのSさん、早稲田大学出身だそうだが、メモも取らないし、テープレコーダーも使わない。ぼくに対する質問が全て頭の中で整理されているのだからすごい。
 
 
 
放送日が決まり、番組名も
 
1月26日(金)夜7時56分〜8時39分『そして“カワイイ”が生まれた~内藤ルネ 光と影~』
 
残念なことに全国放送でなく、愛知県・岐阜県・三重県、福井県・石川県・富山県の人にしか見られない。
 
数日後、Sさんから番組のDVDと、反響をまとめたもの(まだまだごく一部ですが)をお送りします、とあり、Twitterでの評判、『薔薇族』と伊藤文学の部分を送ってくれた。
 
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「昨日、NHKでやってた内藤ルネさんの特集、正直自分は『薔薇族』で知った人だからああいう少女の絵で、第一人者と知ったのはだいぶ後のことで、こんなすごい人がこういう形でカミングアウトしてたっていうのは、当時では画期的だったんだろうなと。
 
でも内藤ルネが表紙で、ヤマジュンのマンガが載ったとか、『薔薇族』最強すぎ。編集長もお元気そうでなにより。」
 
 
 
「昨日のNHKの内藤ルネの特集を見た。カタカナの「カワイイ」(たまたま大昔のタモリ倶楽部の『薔薇族』の回を見たばかりだったので、編集長、まだご存命なんだと、びっくりした。」
 
2丁目のゲイバアでの『タモリ倶楽部』バレエボールの背の高い河合?さんも一緒。読者ってありがたい。よく覚えてくれてたものだ。
 
 
 
「ちょっと、昨日、NHKの内藤ルネの生涯やってて、最後に号泣してしまった。
 
『薔薇族』創刊したおじいちゃんが出てて、あなたが勇者か!」
 
 
 
痔の手術から退院したばかりの取材。
 
映像でおのれの姿を見たら、よたよたの老人の姿。でもご安心、今はもう少し若々しくなっているから。
 
 
 
「今日、ちょうど、NHK名古屋放送局制作の「金とく」で内藤ルネさんの特集を見た。本当にいい内容だった。
 
私が見た限り今までテレビであまり触れてこなかったセクシャリティの話、パートナーの本間さんの話、『薔薇族』の絵の話、本当によかった。伊藤文学のインタビューまで聞けて本当に嬉しかった。」
 
 
 
「NHKで『薔薇族』をやるとは。変わったものだね」
 
 
 
「『薔薇族』めっちゃ読んでみたい!」
 
 
「ついさっきご飯食べてたら、NHKで内藤ルネ特集で『薔薇族』の編集長の伊藤文学が出てきて、いろいろ気まずい空気になってご飯食べてた。(百合が出ないとは何事だ 笑!)」
 
 
 
百合族の特集もNHKでやってくれるかも。
 
 
NHKってすごい。いろんな映像を持っている強み。ルネさんとぼくは昭和7年生まれ。
 
内藤ルネと藤田竜のまれにみる偉大な才能に出会ったこと。当時、ゲイ雑誌を創刊しようなんて、出版社はなかったのでは。
 
ぼくがやらなかったら、日本でのゲイ雑誌の創刊はどのくらい遅れただろうか。人と人との出会いって不思議なものだ。
 

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2018年2月10日 (土)

バイセクシュアルってなあに!

『LGBTってなんだろう=からだの性・こころの性・好きになる性』(合同出版株式会社刊)
 
ぼくが購入した本は、2016年4月5日・第4刷発行とある。いまは何度も増刷されているだろう。
 
「LGBT」という言葉は、だれが考えてつけたのかは知らないが、最近とくに目につく言葉だ。
 
企業でも知らないではすまされないから、講師を招いて講習会を開いているようだが、この言葉を的確に話せる人はいないだろう。
 
最近、話題になった岩波書店刊の広辞苑(第7版)が解説文に誤りがあったと、訂正した解説文とともにお詫びをサイト上で謝罪している。
 
広辞苑が間違うぐらいだから、LGBTを短い言葉で解説するのは難しい。
 
LGBTを巡っては、当初、「多数派とは異なる性的指向をもつ人々としていた。しかしT(トランスジェンダー)は、体の性別を自認する人を差す。
 
自らの性別をどう認識するかという「性自認」についての説明がなく、誤りを指摘する声が上がっていた」(2018・1・26毎日新聞朝刊)
 
この合同出版株式会社の著者は、みんな若い人ばかりで、ネットや携帯電話などなかった時代、ゲイの人や、レズビアンの人たちがどんな生活をしていたか、知る由もない。
 
参考図書の中に、1971年に日本最初の男性同性愛者を対象にした『薔薇族』のことなど無視されている。ましてやぼくの著書のことも。
 
 
 
「バイセクシュアル」について書いてみよう。
 
男も女も同じように愛することができる人。そんな人っているのだろうか?
 
『薔薇族』が創刊されたのは、今から49年前の1971年のことだ。
 
その頃は「ゲイ」と言わず「ホモ」「オカマ」と呼ばれていた時代だ。
 
書店で書いにくいので、下北沢の自宅まで買いに来る人が多かった。自分から「ぼくはゲイです」という人はいない。
 
「ぼくはバイセクシュアルです」という若者が多かった。
 
かっこよく聞こえるし、ゲイの人の逃げ場になる言葉だった。
 
50年も前の日本の社会では、女性は25歳を過ぎて結婚しないでいると、「売れ残り」と悪口を言われ、男性は30歳を過ぎて結婚しないでいると、「あの人、少しおかしい、ホモでは」と言われてしまう。
 
両親は早く結婚して、孫の顔を見たい、おせっかいな人も多かったから、お見合い用の写真が持ち込まれてくる。
 
会社の上司も結婚話を持ち込んでくる。
 
結婚していないと、出世の妨げにもなった。
 
女性もその時代は、勤め先が限られていたから、男性と結婚し専業主婦にならざるを得なかった。
 
昔の男性はよくもがまんして好きでもない女性と、セックスしたものだ。
 
結婚式の当日新郎がいなくなってしまったという話を聞いたことがある。
 
どうしたら女性とセックスができるかの方法を雑誌にも書き、電話でもくわしく教えたものだ。
 
女性がそばに寄ってくるだけでも、鳥肌だってしまうような人は、どう考えても結婚生活は無理だ。
 
今の世の中、結婚しない男女が増えているから、いい時代になったものだ。
 
テレビによく出てくる女性が、50代になって老人と結婚したという話。
 
籍を入れなくても一緒に暮らすだけでも心強いのでは。
 
ぼくも病気になって、家族のありがたみを実感したぐらいだから……。
 

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2018年2月 5日 (月)

関東大震災を体験した人はいない!

ぼくの祖父、伊藤冨士夫は、大正12年6月2日、53歳で病死している。関東大震災はその年の11月1日のことだから、数か月前に亡くなっているので、震災にはあわなかった。
 
家族は都心から離れた牛込富久町に住んでいたので、みんな無事だった。
 
新潮社は新築した社屋も、社員もすべて無事、印刷所も無事だったので、『文章倶楽部』10月特号には、執筆36家、「凶災の印象 東京の回想」と題して、当時活躍していた西条八十、芥川龍之介、竹久夢二、吉屋信子などに震災の体験記を書かせている。
 
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東北での地震、洪水のことなど、すでに忘れられているが、次から次へとおこる災害に、多くの人々が亡くなった関東大震災のことを若い人たちに知ってもらうことも大事だろう。
 
人々が不安な気持ちを抱いているときに、流言飛語(デマ)がとびかい、韓国の人たちが井戸に毒を投げ込んでいるというので、各地に自警団を結成して、警戒していたようだ。
 
今、東京に大地震が発生したら、後の世の人のために、ぼくはどんなことを書き残すだろうか。
 
新井紀一さん、作家だと思うが、全く知らない方だ。このひとの書いていることが短い上に地震のさまをよく描いているので、紹介してみたい。「刹那」と題している。
 
 
 
「はっと思うと自分は「厠(かわや・トイレのこと)」をとび出した。尾籠な話だが、自分はそのとき、昨日からの下痢で厠にはいっていたのだ。
 
ぐらぐらっと、きたかと思うと、見る見るうちに壁は裂け、砂を落とし、きしみ、菱形になり、床は船にでも乗るように、いや、それよりも急激に動揺しだしたのだ。
 
横手の木戸から裸足のままとび出すにはとび出したが、見上げれば2階の屋根が2尺ぐらいも、ぎしぎしきしみながら揺れている。
 
いつそれが頭の上に、ガラガラっとくずれてくるかも知れない。足の下がゆらゆらする。電車に乗っているよりも烈しく動揺する。
 
なかなか足が進まない。4、5間ははなれたところで家の様子を見ている。そのときも、ぐわら、ぐわら、ずし〜んという小音が何度か自分の耳を打った。
 
素早い、いちべつをその方向へやる。すさまじい土埃が立っている。と、次の瞬間には、今まで目の前にそびえていた家がぺしゃんこになっている。
 
周りの家からは、ガラガラとかわらがずり落ちてくる。
 
ふとわれにかえれば、自分はひとりきりだ。父も母も、弟も、妹もいったいどうしたと言うのだ。何をぐずぐずしてるというのだ。
 
だれひとり家の中から出てはいない。様子を見ようにも危なくて家へは近寄れない。声を限りに叫んだ。やがて少し静まったとき、ぞろぞろ出てきた。
 
「柱につかまったまま動けなかったのだ」と母が言う。
 
弟は弟で家から少ししか離れていない欅の木によじ登っていたのだという。
 
家がつぶれなかったから助かったようなものの、もし家がつぶれたのならひとりとして助からない連中だ。
 
近所に住む文学青年のT君がとんできた。一緒に土手へ出てみる。恐ろしい避難者の群衆で、火事は土手の下、一面にひろがるあしの原を越した対岸の製靴会社である。
 
火焔はめらめらと天に渦巻き、地をなめ、奔放の限りを尽くしている。
 
T紡績がつぶれて女工が300人死んだ。製靴会社では、百人ぐらいは死んでいる。
 
群衆をかきわけてトラックが走ってきた。大根か芋でも積んだように、血みどろの人々が無造作に積み込まれている。生きているのか、死んでいるのか分からない。」
 
 
 
大地震はいつやってくるのか。
 
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2018年2月 3日 (土)

あっという間に、よたよた老人に!

年はとりたくないものだ。ぼくのブログを読んでくれている人って、みんな若い人で、86歳のぼくの年齢の人が読んでいるとは考えにくい。
 
坐骨神経痛も10本もお尻に痛みどめの注射を打って、乗りこえることができた。さてその次は痔の手術だ。
 
3日も便がでないので、気ばりすぎたら肛門に得体の知れないものが飛び出してきて、それが痛いのなんのって、肛門科の医師に診察してもらったら、手術しなければということで、目黒区にある三宿病院の外科を紹介してくれた。
 
翌日、病院をたずねたら即入院の手続きをしてくださいとのこと。息子の嫁がいろんな書類を書いて提出してくれた。
 
4、50年前は、医者のミスで患者が死亡したとしても泣き寝入りするしかなかった。
 
最近は医者を訴えることが多くなってきたので、病院側は慎重になってきているのだろう。
 
手術は肛門の突起物をきりとり、肛門の間口をひろげてくれたようだ。1週間で無事に退院することができた。
 
今のところ肛門は順調だが、痔ってまったく痛みがなくなるまでは、時間がかかるようだ。
 
新聞の死亡記事を見ているが、80を過ぎた頃に亡くなる人が多い。それを通り越した人が90歳まで生きられるようだ。
 
つい最近のことだが、ぼくは脂肪がつきすぎているので、寒さには強い。下北沢駅前のスーパーにたどりつくころには、汗がにじみ出てくる。
 
スーパーも暖房が強すぎるので、いろいろと買い物をしていると、もう汗びっしょりだ。帰りには必ずといっていいほど、カフエ「つゆ艸」か「織部」でコーヒーをのんで一休みしてから家に帰るが、そのときには汗はひっこんでしまう。
 
それがいけなかったのか、風邪をひいてしまった。帰ってくれば、手をよく洗い、うがいをして、からだをふいてシャツを着替える。
 
熱はないのにせきがやたらと出るようになってしまった。この程度なら医者に行くほどではないと、安静にしてねるようにした。
 
3日ばかり外には一歩も出ずにねたり起きたりしてもいたので、せきはほとんど出なくなった。
 
食事もいつもと同じように食べてもいた。歩いたり、軽い運動もしなかったせいか、自分でも分からないようなことになってしまった。
 
ベッドから自分の力で起きられないではないか。あんなに元気だったのに、たった3日ばかり歩かなかったせいか、トイレにもいかれない。ふらふらして歩けない。
 
こんなことってあるのだろうか。風呂に入ろうと思って、湯船に片足を入れたが、もう1本の足が自分の力でもちあがれないではないか。
 
すぐに助けを求めたら、一緒に住んでいながらあまり口をきいたことがない息子が、なんとかつぎあげて、もう1本の足も湯船に入れてくれたではないか。
 
トレイの便器に座ることはできるが、立ち上がれない。このときも息子の嫁が手でささえてくれた。
 
家族ってありがたい。ひとりで暮らしている人が多いというのに……。
 
みんなに迷惑がかからないように、元のからだに戻るように、リビングをお百度まいりのように、何度も、何度も歩き回っている。
 
明日から、雪もとけてすべることもないだろうから、外に出て歩いてみようと思う。

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