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2018年3月 3日 (土)

『アドニス』は『薔薇族』の原点だ!

戦後、紙さえ手に入れることができれば、誰でも出版の仕事ができるようになった。B29爆撃機の空爆により、地方都市まで焼け野原になってしまったので、本や、雑誌も燃えてしまった。
 
本や雑誌にすれば、なんでも売れた時代が、2、3年は続いたが、世の中、少しずつ落ち着いてきて、闇成金が始めた出版社は、次々と倒産してしまった。
 
エロ雑誌も次から次へと創刊されたが、警視庁の風紀係が目を光らせているので、雑誌の内容も医者や、学者の文章をのせ、いかにも堅い雑誌のように見せかけていた。
 
 
 
その中の『人間探求』という雑誌の編集者のひとりに上月竜之介さんという、おそらくゲイの人だと思うが、誌上にゲイの記事を載せると、ゲイの読み物に飢えていた読者からの反響は大きく、ひんぱんに舞い込む同性愛者の孤独を訴える投書だった。
 
昭和20年代の同性愛者たちを一般の人から見ても異常な人たちと思い、当事者であるゲイの人たちも自らも異常だと思っていた。
 
上月さんは経営者ではないから、読者からの会費を集めてからでないと、雑誌を出せなかった。
 
『人間探求』の誌上に会員募集の広告を載せることは許された。
 
 
 
「未だ類をみない本会の誕生に当っては、思わぬ反対妨害に直面し、一時は中止のやむなきに至るやも知れざる危機もあり、アドニス創刊が極度に遅延し、会員募集以来、約3ヶ月もかかってしまった。
 
ゲイシーンにとって、『アドニス』がのこしたもっとも重要なアイテムは「文通欄」という出会いのシステムだろう。」
 
 
 
『薔薇族』も文通欄には力を入れたが、その当時は仲間をみつけるためには、その方法は文通欄しかなかった。
 
『アドニス』の編集は創刊当時の上月さんから、15号で田中さんに引き継がれた。田中さんと中井英夫さんは、よきパートナーだった。
 
田中貞夫さんは後に作品社という出版社をおこし、中城ふみ子歌集『乳房喪失』は、田中貞夫さんが発行人だ。
 
 
 
中井英夫さんは『短歌研究』の編集長もやっていて、寺山修司君や、春日井健君を世に出した人だ。
 
中井さんは我が家から歩いてもいけるところに住んでいたので、我が家にも父に会いによくこられていた。(伏見憲明君が中井さんは、角川書店発行の『短歌』の編集長と書いているが、これは間違いである)
 
『アドニス』の増刊号で『アポロ』(1960年刊)に3人の方の小説が載っている。
 
そのひとりは三島由紀夫さんの『愛の処刑』で、三島剛さんがイラストを描いている。
 
もうひとりはNHKの職員で、『薔薇族』に小説を発表してくれ、『薔薇の快楽』の単行本も出している仁科勝さんだ。後に三島剛さんをぼくに紹介してくれた人だ。
 
もうひとりの方がずっとわからなかったが、中井英夫さんが、碧川潭のペンネームで書かれたものだ。(『アドニス』と『アポロ』は早稲田大学の図書館にある)
 
 
 
『アドニス』の創刊は昭和27年(1952年)『薔薇族』が創刊される20年も前のことだ。
 
会員がどのくらいいたのか、4,500人と推定するが、書き手がいなかったのか、いつも同じ、中井さんの仲間たちということになってしまう。
 
中井英夫さんの著書で、平凡社カラー新書13『薔薇幻視』に書かれている、たった1枚の写真と「切手からメダルから薔薇に関するものなら何でも集めた、小ていな薔薇博物館はパリ近郊のライレローズにある。奥に創立者の肖像がこれも薔薇に埋もれて描かれている」
 
ぼくはこれを見て美術館を造ってしまった。

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