『文藝春秋』より厚くなった『薔薇族』
1998年(平成10年)1月号が創刊300号になる。
特別寄稿として、井沢満さん、宇野亜喜良さん、花田紀凱さんが、お祝いの言葉を寄せている。
なんと584ページの分厚い『薔薇族』だ。そのうち広告ページが220ページにもなる。表紙絵は内藤ルネさんだ。
この原稿を書き始めたときに電話が鳴って、大阪のアメリカ屋梅田店から、「ラブオイル」50本の注文だ。
雑誌は廃刊になってしまったけど、「ラブオイル」は今でも売れている。ありがたいことだ。
花田紀凱旋さん。随分と長いお付き合いだ。
現在は株式会社飛鳥新社から『月刊Hanada』の編集長、70歳をとうに過ぎているのに頑張っている。
「『薔薇族』を記事にして同性愛者の多さを実感」と題して、お祝いの言葉を寄せてくれた。
「3号雑誌という言葉がある。創刊後3号くらいで廃刊になる雑誌という意味だが、それくらい雑誌の経営は難しいという意を含んでいる。
300号、ざっと25年。
『薔薇族』がこんなに続くとは、正直、思っていなかった。
「今度『薔薇族』という雑誌を創刊するんですよ」
伊藤さんが、例のシャイな笑顔で、そう言ったとき、まさか、同性愛の雑誌とは思わなかった。
イカール(フランスの美女を描いた画家)を愛し、エクスリブリス(蔵書票のこと。自分の所有物だと、本の見返しに画家に頼んで、好みの絵を書いてもらい貼った)を愛する伊藤さんのことだから、美しい少女たちを対象にした雑誌、たとえば戦後まもないころ、中原淳一さんのsenseで圧倒的な人気を呼んだ『ひまわり』や『それいゆ』のような雑誌を連想した。
ところが伊藤さんは、同性愛の雑誌だという。
「そんなもの売れるんですか?」
今、思えばずいぶん失礼な質問をしたものだ。
その頃、ぼくは『週刊文春』の編集部にいたので、早速翌週号で短い記事にした。
その短い記事にたくさんの問い合わせがあった。
そうか、同性愛の人って、こんなにたくさんいるんだ。こんなに悩んでいるのか。
伊藤さんはいいところに目をつけたのかもしれないな。
ぼく自身は、皆目、そのケはないので、毎号『薔薇族』が送られてきても、人前では封を切りにくかったことを覚えている。
「伊藤さんも妙な雑誌を出すよね」
とか言いつつ、ハダカの男たちをチラチラ見る。
編集部の大机の上に置いておくと、みんな一度は手に取った。そしていつの間にか消えていた。
あの頃、編集部に、その趣味(趣味じゃないよ)の人間がきっといたのだろう。
いつの間にか『薔薇族』という言葉がそういう人たちの代名詞になった。
ひとつの雑誌が代名詞になるというのは大変なことである。『クロワッサン症候群』『ハナコ族』……。
後続の雑誌も何誌か出、200号記念号は「弁当箱」と呼ばれた『文藝春秋』より厚い雑誌を作った。
「とうとう日本一厚い雑誌を作りましたよ」
伊藤さんは嬉しそうだった。
今でも本屋の店頭で『薔薇族』を目にすると、ぼくはいつも伊藤さんの優しい笑顔を思い浮かべる。『薔薇族』は伊藤文学さんそのものである。」
先日、新宿から小田急線に乗ったら、初老の紳士がカバンの中から取り出して読み始めたのは『Hanada』ではないか。うれしかった。
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