もう誌面からにじみでる気迫がない!
『薔薇族』一番最後の号、2004年11月号No.382。もう廃刊になって14年の歳月が流れているとは。
しばらくぶりに最後の号を読んでみた。
印刷所に印刷代を払えなくなっていたので、もう次の号は印刷できませんと、引導を渡されてしまった。
この号には内藤ルネさん、藤田竜さんの匂いがないからもう手を引いていたのだろう。
文通欄も100名足らず、あんなに多くの読者からの投稿があった「人生薔薇模様」のページもわずかに1ページで3名というさびしさ。
広告も少なく、厚かった時代の半分ぐらい、誌面からにじみ出る気迫もない。落ち目の雑誌というところか。
編集後記にぼくはこんなことを書いていた。
「新人立てり立てり時代は正しく飛躍し来たれり、北原白秋作詞・山田耕筰作曲というすごいコンビの我が母校駒沢大学校歌が、阪神甲子園球場に響き渡った。
第86回全国高校野球選手権大会の決勝戦で、駒大付属の駒大苫小牧高校が、愛媛の済美高校を13対10で破って、初の全国制覇を果たした。
箱根駅伝では駒大が優勝して、正月早々気分がよかったが、大学の野球部はどうしたことか、最近は元気がなくてふるわない。
決勝戦をテレビで観て興奮してしまった。
点を取られれば取り返す。まさに死闘だった。
しばらくぶりに校歌を大きな声で一緒に歌ってしまった。」
最後にぼくはこんなことを書いている。
「雑誌づくりも同じこと。気迫が誌面からにじみ出ていなければ、読者は読んでくれない。
ねばりにねばらなければと、自戒している。」
そうは言うものの、坂をころがり落ちていくものをとめることはできない。
今の若い人は知らないだろうが、50年代から70年代にかけて、全世界のゲイをしびれさせた、フィンランドからアメリカに渡ってイラストレーターとして活躍したトム。
その画業がアメリカで再び脚光を浴びている。
トムは亡くなっているが、恋人だったダークさんが「トム・オブ・フィンランド財団」を設立して、ロサンゼルスにあるトムの自宅を美術館のようにして作品を展示している。
ぼくは2度ほど、ここを訪問し、日本の男絵をプレゼントした。
日本で最初にゲイ雑誌を創刊したパイオニアとして、ぼくを財団の名誉理事にしてくれて、トムの作品を誌上で使っても良いという、お墨付きまでもらった。
ロサンゼルスを訪問した時のことを8ページに渡って写真入りで紹介していて、こんなことを書いている。
「トムが好んで描いた若者は、粗野で荒々しいマッチョのカウボーイ、兵隊、水兵、労働者だ。
入れ墨と、革ジャンでオートバイを乗り回す若者たち。
彼ら、Gパンがよく似合うが、インテリジェンスには関係のない若者たちだ。
ぼくは2度、ロスのトムの館を訪れた。
扉をあけると、トムがやあっと、手を上げて現れてくるのではとおもうくらい、トムが生活していた当時のままで残されている。
確かに室内は、黒のジャンバー、ブーツ、ベッドも革でトムのイラストそのものだ。
しかし、ヨーロッパから移住した人だけに、各部屋の照明器具は、ヨーロッパのアール・ヌーヴォー、アール・デコの時代のセンスのいいものばかりが使われている。
ゲイ特有の繊細な感覚がうかがわれる趣味のよさには驚かされてしまった」
トムの美術館を建てる計画があって、その模型が展示されていたが、実現したかどうかは知るよしもない。
10数年も前の話だから。
★コメントよろしく
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コメント
伊藤様
初めまして。
いきなりのメール、失礼いたします。
僕は現在、京都で婚礼の写真撮影やその他のカメラマン派遣、また旅行会社をパートナーとして観光に携わる企画などを生業としています。
今年の夏の終わりに、滋賀県の琵琶湖のクルーズ船を貸し切ってLGBTQ及び一般の方も含めたイベントを開催します。
https://www.loveonthelake.jp
メールをしましたのは、伊藤様がストレートであったという事を知ったからです。
僕も前述のイベントを主催していますがストレートです。
ちょうど2年前くらいに色々と心を動かされることがあり、「未来の世代には少しでも良い社会を残したい」、という気持ちだけで自身で色々なところへ行き今までやって来ています。
しかし、僕はゲイの方達の交わり(キスなど)を目にすると、目も向けられないくらい嫌悪感を抱いてしまうのも正直なところです。
ただ、こんな僕だからこそ伝えれることがあるのではと思っている次第です。
前置きが長くなりましたが、一度お話しがしたくて失礼ながらご連絡をさせていただきました。
もし可能であればご返信をお待ちしております。
何卒宜しくお願い致します。
末継 佳大
投稿: 末継 佳大 | 2018年6月27日 (水) 01時57分