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2018年8月

2018年8月14日 (火)

原爆投下はやむを得なかった!

父が出版し残した本の中で、歴史に残るものとしたら、昭和29年(1954年)8月6日発行の『歌集 廣島』と、B級戦犯が獄中で作歌した『歌集 巣鴨』と、米軍基地建設に反対する『歌集 内灘』の3冊だろう。
 
いずれも朝日新聞が社会面トップで報道してくれた。
 
アメリカ人は「戦争を早く終わらせるために原爆を投下するのはやむを得なかった」と言うが、広島での死没者は、31万4千108人にも及ぶという。なんという残酷な仕打ちだ。
 
この歌集を読んだ人は、日本人でも2000人足らずだが、英文に翻訳してアメリカ人にこの悲惨な短歌を読んでもらいたいものだ。
 
 
 
序文を寄せてくれた長田新さんは、「原爆歌集『廣島』に序して――氷はひしめきはじめた――」と題して書かれている。
 
 
 
「この歌集『廣島』のもつ特色の一つは、今廣島にあるすべての歌の団体が手をつないで仲よくこの一巻を作り上げたところにある。
 
(中略)
 
この歌集に作品を寄せたのは、平成歌を専門とする先生方だけではなくて、生まれて初めて歌を詠んだであろうような多くの市民の方々である。
 
この歌集のもつ特色の一つはここにある。
 
歌を専門とすると否とにかかわらず、昭和20年(1945年・敗戦記念日は8月15日)8月6日のあの世紀の怪物、いや鬼畜原爆を身をもって体験し、そして9年後の今まで生きながらえた人々の魂の叫びであるところ、そこにこの歌集の特色があるといっていい。
 
(中略)
 
実際この歌集が私たちに与える感動は、身をもって原爆を体験することもなく、ただ遠く外から眺めて筆を走らせた作家たちの作品とは根本的に違って、つぶさに惨苦をなめ、さらに9か年の長きにわたって、死生の間を生きながらえてきた廣島市民の声といってもよかろう。
 
(中略)
 
このようにして今、世に出るこの歌集『廣島』こそは「廣島の声」として、また『原爆萬葉』として、廣島市民が後世に残す世界史的文化遺産といっていい。
 
私はまたこの歌詞を『廣島』と呼んだことにも感心した。
 
というのは「ヒロシマ」とか「ひろしま」とかいっては、人々はいささか植民地的の劣等感さえ覚えるだろう。
 
ところがそうではなくて、あえて『廣島』としたところ、そこに編者の毅然たる識見もうかがえて嬉しいと思うのは、おそらく私1人ではあるまい。
 
(中略)
 
思えば土や銅で造った記念碑はわずか1000年も経たないうちに、きっと腐って倒れてしまう。
 
ところがこの歌集『廣島』は永劫不朽の記念碑として、とこしえに人類の胸を打たずにはいないだろう。(中略)
 
実際にこの歌集『廣島』で、氷はひしめきはじめたではないか。」
 
 
 
なんという素晴らしい序文ではないか。
 
全文を載せられないのは残念だが、長田新さんの序文で、歌集『廣島』が輝きを増している。
 
この歌集を出版するという予告を出したところ、6500首もの作品が集まった。
 
15人の編集委員会が結成し、時間をかけて753首を選んだようだ。
 
結社などに困らない一般民衆によって本作品が支えられているなどの事実は現歌壇に対しても、一つの示唆と方向を促すものではあるまいか。と、編集委員たちは書いている。
 
 
 
20数年前、編集委員の生き残った人たちが会合を開いた時に、親友の国学院教授の阿部正路君と共に、ぼくは会合に出席している。
 
この歌集『廣島』を年号が変わった8月6日に復刻してくれる出版社はないものだろうか。
 
版権などないと思うから!(つづく)

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2018年8月11日 (土)

同性愛は趣味ではない!

「LGBTに冷たい自民」と、2018年8月3日の朝刊の一面に大きな記事を東京新聞が載せている。
 
自民党の杉田水脈氏の「新潮45」に寄稿した抜粋が載っている。
 
 
 
「LGBTだからといって、実際そんなに差別されているものでしょうか。」
 
 
 
LGBTの人たちが、どれだけ世間から差別されてきたか、何も知らないのに、こんなことを言うだけでも、衆院議員としての資格はない。
 
 
 
「生きづらさを行政が解決してあげることが悪いとは言いません。しかし、行政が動くということは税金を使うということです。例えば子育て支援や子どもができないカップルへの不妊治療に税金を使うのであれば、少子化対策のためにお金を使う大義名分があります。
 
しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。
 
彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」
 
 
 
「生産性」がないというだけで、非難するのはおかしいのでは。
 
男女が結婚していても子供がいない夫婦も世の中には多くいる。
 
同性婚を認める国が多くなってきているということは、その存在を認めざるを得なくなってきているからだ。
 
セックスしなくても子供を作ることはできる。そのような人たちの存在をぼくは何組も知っている。
 
子供を作らない男同士、女同士を男女の夫婦として認めることは、先進国では当然のことになってきていて、法的にも税金を使って守るのは当たり前のことではないか。
 
 
 
「「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、いずれ崩壊していくことになりかねません。」
 
 
 
この考えもおかしい。
 
LGBTの人たちの存在がやかましく報道されるようになったのは最近のことだけど、人類が存在するようになった大昔の時代から、LGBTの人たちは同じ確率で存在していたのに、崩壊などしなかったではないか。
 
同性愛といってもいろんな人がいる。
 
『薔薇族』を30数年出し続けてきて、多くの同性愛の人たちと出会ったが、まだまだわからないことが多い。
 
生半可な知識で意見を述べるから批判されるのは当然だ。
 
 
 
自民党の谷川とむ衆院議員が、同性愛の人たちを「趣味みたいなもの」と語ったことが批判されている。
 
「趣味」とは、ぼくが使っている辞書には「なぐさみのために愛好するもの」とある。
 
自分の意志で愛好するもので、同性愛は趣味であるわけがない。
 
男が女を好きになることを趣味だと言う人はいない。それは当たり前のことだからだ。
 
本人の意志で男が男を好きになるわけはない。もって生まれたもので、死ぬまで変わらない。
 
ぼくは同性愛を趣味と考える人のことを口酸っぱくして批判してきたが、ぼくの書いた本がベストセラーになったことはない。
 
同性愛の人たちのことを理解し、知ろうとする人が少ないということだ。
 
この2人の議員さんが、こんな発言をするということは、世間の人たちが、この程度の知識しかないということだ。
 
我々がもっと努力して、LGBTの人たちのことを少しでも知ってもらうことが大切なことだ。
 
自民党のお偉方も、人それぞれ考え方が違うということで、お叱り程度で終わらせてしまうようだ。
 
同性愛の人たちがこんな時こそ大きな声を上げるべきではないか!

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2018年8月 6日 (月)

マスを電話で聞いた日々がなつかしい!

ぼくもどれだけ『薔薇族』の読者からの電話でマスターベーションのお付き合いをさせられたことか。
 
『薔薇族』に載っているお店に電話したところで、ガチャリと切られてしまう。
 
読者サービスと思っているぼくだけしか聞いてくれる人はいなかった。
 
 
 
「人生薔薇模様」の投稿ページにこんな話が載っていた。
 
広島県の雲井丈さんのものだ。
 
 
 
「テレビのナイターを観終わって、ふと藤椅子に収まり、ウイスキーの水割を飲んでいると、そばの電話が独居の静けさを破って鳴る。
 
「はい、もしもし」と応答したが、向こうは答えないで、「あ〜、う〜」と何やら悶ているような気配。
 
「誰だい君は?」
 
「ぼく高校生です」
 
と、上ずった声で答える。
 
「センズリでもかいているのかい」
 
「はい、マスをかいているんです」
 
「どうしてうちへ電話したんだ」
 
「電話帳開いたら、どこでもよかったんです。おじさん、ぼくのイクまで聞いてください。おじさん1人?」
 
俺、42歳子なしだ。
 
妻は病気のため、セックスは消極的で月に1回がやっと。
 
「すまないね。あんた」
 
妻はそう言いながら、時たま俺のセンズリしてくれる。
 
それがまた格別なアジがあっていいものだ。
 
野球を見ない妻は、風呂からあがるとすぐに2階へあがって寝てしまった。
 
彼女とて自分でオナニーをしているのだ。
 
「このほうが息切れしないから、ラクでいいわ」
 
と言ってオナっているところを俺に見せてくれることもある。
 
「君まだイカすなよ。俺と同時に射精しようや」
 
受話器の高校生に言ったときには、俺のジュニアは準備OK。
 
テントを張ったようにふくれたパジャマの下の分身をつかみ出しながら、「君の息子は大きいほうかい」
 
「普通だと思いますが、皮は完全にムケています」
 
「シゴイている音を聞かせてよ」
 
高校生はすぐ受話器を当てがったらしく、シコシコと上下運動している音が、かすかではあるがハッキリと伝わってくる。
 
彼は自分では普通だと言っているが、音からしてギンギンに隆起したマラの若さと、デカさとが想像される。
 
「オジさん、いまマスっているの?」
 
「そうだ、こんどは俺のを聞かせてやるからな」
 
俺は手のひらにツバをたっぷりつけかえた。
 
(こんなときに「愛の潤滑液・ラブオイルがあったらな)
 
「おじさんのは、大きいようだね」
 
妻に尺八してもらうこともあるが、卵をほおばったように妻の口いっぱいになる。
 
妻は尺八が上手だが、射精した液をどうしても飲んでくれない。
 
「くさいのがたまんない」と、吐き出してしまう。
 
今宵のようなテレホン・セックスなんて初めてのことで、思ってもみなかった。
 
「あ〜、はあ〜、おじさんと天国で遊んでいるみたい」
 
「同時にイカせるんだぞ」
 
「ぼくマスするときは、いつも肛門にソーセージをつっこんでやっているの」
 
「おじさん、ぼく、もうイキソウです。ああ」
 
「ああ、俺イク……」
 
「ぼくもイッた……」」
 
 
 
お疲れ様でした。
 
こんな偶然ってあるのかも。
 
不思議な夫婦だ。
 
こんな夫婦のためにバイセクシャルという言葉があるのかな。
 
ネットの時代、映像を見ながらマスをお互いにカイているのだろうか?

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2018年8月 4日 (土)

子供をホモに引き込んだ『薔薇族』が!

1981年10月号No.105の巻頭に『薔薇族』の編集スタッフ8人が「おなじみレギュラーから暑さにうだる皆さまにお見舞い申し上げます。夏の手紙」と題して、それぞれが書いている。
 
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編集長のぼくは「3つのはなし」を今一緒に住んでいる次男(現在は46歳、当時は9歳)のイラスト入りを載せている。
 
猛暑の中を8月12日から16日まで息子がレンタカーを借りて、1年ぶりに女房の古里新潟県の弥彦村にある別荘に行くという。
 
ぼくは7年ほど前に運転を止め、車も手放してしまった。
 
それまではどれだけ、ぼくが運転して弥彦村に行ったことか。
 
Img_2744
 
「8月の11日から14日まで、女房の田舎へ次男坊(9歳)を連れて、ぼくの運転で行ってきます。
 
いつも息子と仲の良い友達も連れて行ったのですが、不思議なことに帰ってくると仲が悪くなってしまうのです。
 
一緒に生活すると、お互いに嫌な面を見てしまうからでしょうか。
 
これは考えさせられる問題です。
 
それにしても、弥彦っていいところですよ。
 
 
 
昨日、高校1年の母親から電話で、ぼくを殺してやりたいと言うのです。
 
中年のオヤジさんから送られてきた、モノスゴイ手紙を母親が読んでしまったのです。
 
子供をホモに引き込んだ『薔薇族』がにくいというのです。
 
未成年者に手紙を出すときは、必ず親に読まれるということを考えて出して欲しいのです。
 
一人っ子で女の子のように育ててしまった自分が悪いのに、責任を他人に、転嫁するのはどんなものでしょうか。
 
警察に訴えたというから、この中年のオヤジさん呼びつけられるでしょうが、未成年者との交際はよくよく考えてからにしてください。
 
ぼくが殺されてしまうから……。」
 
 
 
池袋に住む38歳の人からの手紙。
 
 
 
「以前から『薔薇族』が欲しかったのですが、度胸がなくて書店の目が気になり、本屋にも行けない情けない男です。
 
ところで先日、池袋の東口の洗面所に、きれいな袋に入って『薔薇族』『さぶ』『アドン』と3冊、きちんと置いてあるではありませんか。
 
びっくりするやら、嬉しいやら、私の欲しい雑誌が置いてあったのです。
 
それで早速、通信欄を見て手紙を出すことにしました。
 
自筆でということで、僕はイラストが書けないから、息子との合作です。
 
2代目を継いでくれるといいのだけど。」
 
 
 
文字は37年前と今とでは、ブログを書き続けているお陰か、今の方が多少はうまく書けるようになっている。
 
9歳の息子が今は46歳、女房と息子の嫁と高1の孫と、5人で息子の運転で弥彦村に行くことになるとは。
 
年はとりたくないものだ。
 
9歳の頃の息子は可愛かったけど、『薔薇族』は廃刊になってしまったし、2代目も継ぐどころではない。
 
これも時代の流れで仕方がないか。
 
今では息子とは一緒に住んでいるのに、必要なことしかしゃべらない。
 
孫とは友達のようによくしゃべっているし、嫁ともよくしゃべっているから、それでいいのかもしれない。
 
それにしても別荘なんか建てるものじゃない。
 
今となっては1年に数回しか行けないのでは、ホテルに泊まったほうがよっぽどいい。
 
誰か住んでくれる人いないかな。
 
それとぼくがおしゃべりする場を作ってくれる人も。
 
昭和の時代のゲイの人たちの悩み、苦しみはぼくが一番よく理解しているから!

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次回「文ちゃんと語る会」のお知らせ

次回「文ちゃんと語る会」は8月25日(土)開催
 
日時・8月25日(土) 11時~13時
場所・下北沢南口から4分、カフエ「織部」
住所・〒155−0031 世田谷区北沢2—2—3
電話・03—5432—9068
会費・コーヒー代のみ
 
初めての方・女性・話を聞きに来るだけの方、
どなたさまも歓迎です。ぜひ、お気軽にお出かけください。

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