初年兵同士で夜の楽しみを!
戦時中は軍隊だけでなく、世田谷中学時代でも、放課後に1年生は残されて「お説教」と称し2年生にわけもなく殴られたものだ。
「Tは複雑な家庭事情があり、他人を信じることができず、孤独な青春をひとり満州(日本の植民地)でいろいろなことをしてきたようです。
Tのいつも暗い顔が、あの夜から私に向ける目が、なにかやわらかく変わったように見えたのです。
数日過ぎた夜にTから初めての接吻をされましたが、それは経験したことのないテクニックでした。
当然、手は股間にのびて勃起した互いの性器を握り合いました。
それからは毎晩、Tの歩んできたであろう覚えたテクニックに、戸惑うばかりでした。
どこへ行っても慰安所はあり、また私娼窟もありましたが、戦友が性病にかかり、そのあまりの酷さに、とても出かける気にはなりませんでした。
6年間の軍隊生活でいろいろな人間との交流がありましたが、Tとの付き合い方が特別なものでした。
討伐のときも南方へ向かう輸送船の中でも、分隊が別になっても探し出してこっそり抱き合いました。
Tは南方では本隊に配属になり、ある島のジャングルの中を米軍に追い詰められ、全滅に近い状態の中で戦死したそうです。
私の分隊は小さな島に追いやられ、終戦を迎え復員してきました。
元の仕事に戻り、母の希望する従姉妹と結婚し、近親結婚なので、子供は1人だけにしてやめ(娘も昨年急死)8年前、仕事も弟子たちに任せリタイアして、家も処分して多摩に越してきました。
話が前後しますが、伊勢丹の前、今のマルイ以前は日活の直営館の隣の本屋(池田屋書店)で、その頃、第二書房が次々と刊行していた『薔薇の告白』『薔薇ひらく日を』『夜の薔薇』などを買いましたが、書店が無くなり、浅草、上野と探し、上野の駅前の書店(文省堂書店)に置いてあることがわかりました。
本は仕事と一般の本と、仕事に関する美術本、書斎に自分の好みの本をコレクションしていましたが、引っ越すときに美術本は、図書館と造形大学へ寄付し、『薔薇族』はダンボールに入れ、その他の本は古本屋に売りました。
『薔薇族』の創刊号、2,3号と三島剛画集を送りますので、お手数ですが差し上げてください。(その中に入っていた手紙のようだ)
まだまだ見て歩きたいことや、海外旅行にも行きたいし、美術展とか映画も見たいし、家に閉じこもってじっとしていられません。
職人の世界も世渡りのうまい一部の人は、無形文化財、人間国宝として残るでしょうが、大半の職人はハイテク産業に仕事をとられて埋もれていく時代です。
手に職のある職人は食いっぱくれがないと言われた時代は昭和とともに終わりました。
これから残った若い職員たちは大変です。
私たちの年の連中は、ほとんどリタイアしてしまいましたが、みんな長生きなのが不思議なくらいです。
自分の死との関係がなかなか見えてこないので、神は信じませんがお迎えが来るまで、ボケないように楽しく暮らしていきます。
先月、偶然寄った本屋で、『薔薇族』があったので、思わず買ってしまい伊藤編集長の名前を見てびっくりして、お手紙を差し上げる次第です。
この世界の開拓者である尊敬する編集長、くれぐれもご自愛を。」
ありがたい読者だった。
よくぞ戦地から日本に戻ってこられた。
幸せな人生を送ったのでは。
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