エイズのことを忘れてはいけない!
あれほど大騒ぎになり、とくに『薔薇族』の読者はエイズの恐怖におののいたものだ。
『薔薇族』は藤田竜君と手を組み、帝京大学付属病院の松田重三先生の指導で、エイズをなんとかくいとめようと、毎号キャンペーンをくりひろげた。
ゲイホテルのオーナーたちも、お客がへると心配されたようだが、理解してくれた。
今ではエイズのことなど忘れ去られているが、一度流行した性病は、感染者がいなくなることはない。
1988年(今から30年前)の『薔薇族』11月号(190号)に、藤田竜君がこんなことを書いている。
「先月は夏休みでニューヨークやパリから友人、知人が何人か帰ってきた。
「お葬式ばかりで気が滅入っちゃってさ」とNYからの友達は言う。
日本でも交通事故死の数がニュースにならないように、NYでのエイズ死も、もうあまり報道されなくなっているそうだが、実態は死者が続出していることに変わりはない、というより悪くなるばかりなのだと、それでも他人事のように言う。
葬式で「次は誰かしらね」と言った本人が次に死んでしまったりしたこともあったらしい。
NY在住のその友人の場合、知っている日本人のエイズによる死者は10人を越えた。
何号か前のこの欄(今月の裏話)に、僕の友人がNYでエイズ死したことを書いたが、彼を最後まで世話した日本人も、しばらく経ってエイズで死んだという。
その人は日本の映画専門誌に長く寄稿していた、洋画マニアには知られた人だ。
タンゴ歌手のことは週刊誌に書かれたが、他にファッションデザイナー、美容師、日本レストランのオーナー、NHK関係者などがすでに死に、急に仕事をやめたりして、「あぶないんじゃない?」と、うわさされている日本人が、4,5人いて、これは増える傾向にあるらしい。(中略)
前項で伊藤編集長も警告しているが、日本では今が正念場なのかもしれない。
この1年で死者を含めて日本では感染者が一気に2倍にもなった。
この3ヶ月の間にホモからは4人がエイズ患者に認定された。
日本人同士の感染もないわけがない。
NYの友人は、同じくNYから帰国した日本人と一緒に東京や、大阪のサウナ・ホテルに行っている。
僕が忠告したって聞くもんじゃない。
「日本風の短髪にしてさ」だから、あるいはその彼らから何かを引き継いでいる男が関東関西にいるかもしれない。
もちろん僕の友人、知人以外にも大勢このお盆に帰国しているのだから「日本人とやったのだから」と安心はしていられない。
「私が元気なうちにNYに来てよ。さびれちゃったけどさ。もし何かあっても新盆には帰ってくるからね」
友人は空港からの電話で冗談ごかしに親兄弟にも言えないことをもらす。
僕も冗談で受けるしかない。
「その前に夢枕に立ってくれるんでしょ」
これに似た会話をした男たちが、もうどれだけこの世からいなくなっているのだろう。
8月いっぱいでの日本の感染者は、死者を含めて1048人。
たぶん来年は急カーブに増えるだろう。
僕も、僕の友人も、そしてまだ見知らぬ大勢の読者も、はつらつと、イキイキと楽しく面白く、悔いなく生きていきたい」
エイズの防波堤になろうと、藤田竜君と真剣になって、エイズの恐ろしさを読者に伝えた頃のことを思い出す。
こんなことを書いた藤田竜君も、この世にいないなんて。
| 固定リンク
コメント
80年台に入りエイズ問題がゲイの間や世間で強く認識された。女装者が売りのゲイバーも客が減ったそうだ。ニューハーフの呼称は普及し始めて一般的ではなく、ゲイボーイと言った時代だった。まだ、空気感染すると誤解した人が多かった時代です。
それにも関わらず、エイズ感染者のことが余りニュースにならず、日本人の体質に合わないとか、直ぐにワクチンが開発されるという楽観論が、世間の間でもゲイの間でも実は多かったのです。ゲイの有料発展場は大盛況でした。
エイズをゲイの間の特殊な病気と印象付けたい政府発表によるエイズ第一号患者も、ゲイの男性であるとのねつ造があったのもこの頃です。政府筋によるLGBTQ差別の基本的な姿勢も当時と今でも全く変わっていません。今では、チルドレンと呼ばれる捨て議員を使う点が幾らかの進歩ということだろうか。かつては武藤、今は杉田である。
投稿: 50歳台の男性 | 2018年9月 3日 (月) 21時17分