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2018年11月

2018年11月24日 (土)

川柳はしょせん悲しい玩具

父は俳句、詩、短歌、そして最後は川柳にたどりついたようだ。
 
近所に住んでいる、なべおさみさん。ぼくが斎藤茂吉の歌碑を建てた桜並木沿いに面した豪邸に住んでいる。
 
なべさんのお父さんと、ぼくの親父とは短歌を通しての友人だった。
 
なべさんはお父さんが亡くなったあと、立派な歌集を残している。
 
ぼくはどうしても何度も不倫をして母を泣かせ続けてきた父を許せない気持ちから、戦前の第一書房刊の自由日記(1枚の挿絵・第18回仁科点出品作の臥せる裸体の陰毛がいけないということで発禁になった)に伊藤柳涯子(川柳の雅号)の作品が多く残されているが、ぼくは本にしなかった。
 
20181120_205413_1
第一書房の豪華な自由日記。この中に父は川柳を残していた。
 
20181120_205413_2「自由日記」の中の挿絵。これで発禁とは。
 
 
父は関西の川柳界の第一人者、岸本水府さんの「番傘」の同人になって、朝日カルチャーセンターの講師、世田谷婦人大学講師をつとめ、また草津のハンセン氏病の「楽泉園」に講師として患者たちにも川柳を教えていた。
 
 
 
  人生は旅その旅で逢ったひと
 
 
 
いい句だ。女好きでどうしようもない父だったが、あの女のことを言っているのだなと思わせる句が多い。
 
父が尊敬していた作家Y氏亡きあと、その遺産をすべてお手伝いさんに残してしまったが、Y氏も奥さんが生存している頃から、男と女の関係になっていた。
 
そのお手伝いさんと、今度は父が男と女の関係になってしまったのだから、なんということだ。
 
 
 
  つぼの骨くずれる夜に恋進む
 
 
 
Y氏の骨つぼが置いてある部屋で、お手伝いさんと父は床を共にしていたのだ。
 
ぼくも先妻の骨つぼを置いていた部屋で寝ていたが、夜静かになると、骨つぼのくずれる音を聞いた記憶がある。
 
 
 
  最高の形見は生きてて美しい
 
 
 
作家のY氏が残してくれた、30歳ぐらいの若いお手伝いさんは美しかったのだろう。
 
 
 
  臆面もなく宿帳に妻と書き
 
 
 
家に帰らないこともあった父だから、どこかの温泉にでも二人で行っていたときの句か。
 
 
 
  妻と書いて年齢をさばを読み
 
 
 
20歳以上も若いお手伝いさんだから、年齢をさばを読んで宿帳に書いていたのか。許せない親父だ。
 
 
 
  よくよくのこと手切金を出す女
 
 
 
お手伝いさん、ぼくの母に手切金を出して親父と結婚したいと言ったようだけど、子供が4人もいては、当時としてはあきらめざるをえなかったのか。
 
 
 
  逢えばまたくずれてしまう別れる気
 
 
 
親父も未練があるし、随分悩んだのだろう。
 
 
 
  あきらめのつかぬ気持ちがつめを切り
 
 
  結婚を迫るその目が恐ろしい
 
 
  別れ言うつもりきし夜になぜ燃える
 
 
  ピリオドを打ったつもりにある未練
 
 
  愛してはいけないひとと知りながら
 
 
 
親父の気持ちはよく分かる。
 
いい作品を残してくれた。
 
父は病で倒れてから、母の看病なしでは生きていかれなくなって、十数年、母だけのものになってしまった。
 
母も満足して死んだのでは。

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2018年11月19日 (月)

『薔薇族』が廃刊になって14年とは!

『薔薇族』が廃刊になったのが、2004年の11月号、382号、もう14年の歳月が過ぎ去っている。
 
駒沢大学の大学祭に行って学生たちに『薔薇族』を知っている? と聞いても誰も知らない。
 
学生たちが幼稚園の生徒の頃のことだから知らないのは当然だ。
 
それなのに山川純一のことはみんなが知っている。
 
印刷所に印刷代の未払いがたまっていたので、次号を印刷したら未払いが多くなってしまうため突然投げ出されてしまった。
 
読者に廃刊を知らせることができないのだから、なんとも申しわけなかった。
 
その最後の№382号をしばらくぶりに頁をめくってみた。
 
なんと裏表紙にオカモト株式会社のコンドームの広告が載っているではないか。
 
一般企業の広告を掲載することが、ぼくの夢だったが、それが最後になってしまったとは。
 
「ニューゴクアツ」コンドーム・カラー=ブラック・12個入り。1575円。
 
ゲイの読者用で肛門性交にも耐えられるように作られた丈夫なコンドームなのだろう。
 
エイズから身を守るためのものでこれからもぜひ使ってもらいたいものだ。
 
 
 
「編集室から」には、ぼくはこんなことを書いている。
 
新人立てり立てり時代は正しく飛躍し来たれり、北原白秋作詞・山田耕筰作曲というすごいコンビの我が母校駒沢大学校歌が、阪神甲子園球場に響き渡った。
 
第86回全国高校野球選手権大会の決勝戦で、駒大付属の駒大苫小牧高校が、愛媛の済美高校を13対10で破って、初の全国制覇を果たした。
 
箱根駅伝では駒大が優勝して、正月早々気分がよかったが、大学の野球部はどうしたことか、最近は元気がなくてふるわない。
 
 
 
決勝戦をテレビで観て興奮してしまった。
 
点を取られれば取り返す。まさに死闘だった。
 
しばらくぶりに校歌を大きな声で一緒に歌ってしまった。」
 
 
 
こんなに母校、駒大の威勢のいい話を書いたのにこれが最後とは。
 
目玉の文通蘭も最盛期には千人を越していたのに、110人とは寂しい。
 
広告頁も激減している。頁数も半分ぐらい。
 
読者の投稿頁「人生薔薇模様」も、たったの3人とは。
 
内藤ルネさん、藤田竜さんのふたりの姿は『薔薇族』から消えている。
 
 
 
今の若い人は、この人の名前は知らないだろう。
 
50年台から70年台にかけて、全世界のゲイをしびれさせたフィンランド生まれのイラストレーター、トム。
 
若い世代にはなじみの薄い存在だが、今また、その画業が脚光を浴びている。
 
「強烈なエロティック・アートの全貌をコレクションする「トム・オブ・フィンランド財団」と親しいぼくが肉薄紹介する! その力強さに魅せられた青春の日々、その思い出を新たに「エロティック・アートショウ」がロスで開催された」のを紹介している。
 
トム亡きあとの財団の理事長ダークさんとぼくとの写真も載っている。
 
トムの館をぼくは二度ほど訪れたが、ぼくを財団の名誉理事にしてくれて、トムの作品を誌上に使ってもいいという、お墨付きまでもらっている。
 
トムの作品を展示する美術館を作ると、ダークさんは言っていたが、実現したかどうかは知らない。
 
表紙絵を描いているのは、藤原正彦さんだ。
 
写真のようなリアルな絵を描く人で、今でも年賀状はやりとりしているが、もう14年も会っていないということだ。
 
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『薔薇族』最後の382号
 
14年。そういえばブログを書き出してから13年は経っている。
 
東京医大の整形外科のひざに人工ひざを入れる手術をしてくれた正岡利紀先生が半年ごとにレントゲンを撮って診てくれているが、「もう12年になりますよ」と言ってくれた。
 
入院中でもブログを書いていた記憶が残っているから、東京オリンピックなんてもうすぐ来てしまうのでは。

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2018年11月17日 (土)

「文學」なんていう名前をなぜ?

昭和35年(1960年・今から58年前)12月発行の大場正史さん(1914年・佐賀県に生まれる。本邦最初の『アラビアン・ナイト』の完訳を遂げたほか著訳書多数ある)という方の『男の匂い・女の匂い=性における匂いの研究』という本の出版目録の前に「私の出版」と題して、父の伊藤祷一が自分の出版理念を書き記している。
 
箱入りの本だが父は香水のもとになるものをどこかで買ってきて、それを溶かして霧状にして製本した本にふりかけた。
 
製本所の中が匂いであふれて、働いている職人たちが気持ち悪くなってしまったそうだ。
 
B匂いは今は消えている。父の出版に対する理想どおりにはならなかった。
 
 
三井鉱山の三池闘争、浅沼稲次郎社会党委員長が演説中に右翼少年・山口二矢に刺殺された年だ。
 
ぼくが昭和7年3月19日に青山の隠田というところで生まれたときに「文學」という名前をつけてくれた。
 
なぜそんな名前をつけたのかが、この文章でよく理解できた。
 
 
 
「私の出版は、どう贔屓目に見ても趣味の域を出ていません。
 
私にもう少し商魂というものがあったなら、なんとかもっと格好のついた出版社になっていると思います。
 
私はもともと文学青年で、小学校2年生の頃から上級生の友達と俳句を作ったり、綴方を書いて回覧雑誌を作りました。
 
中学生のときには、もう詩を作り、小説を書いて、ガリ版雑誌を作りましたが、女学校にまで売り込んで誌友を獲得しました。
 
集まった連中は、いずれもティーン・エイジャーで、もちろん詩人や小説家志望でした。
 
いま登山家として、また紀行随筆家として一家を成している川崎隆章が中心となっていた同人雑誌『青潮』には、のちにプロレタリア作家になった岩藤雪夫もいたし、劇評家として活躍している安藤鶴夫などもいました。
 
そういう仲間がときおり集っては文学を語り、劇をやったりして楽しんでいました。
 
また雑誌が出来上がると、あちこちの本屋さんへ頼んでは並べてもらうのですが、5冊ぐらい預けていたものが殆ど売り切れていることもありました。
 
今日のように雑誌の数も多くなく、今から考えると本当にのんびりとしてよい時代だったのです。
 
そんなことが病みつきとなって、学校を終えると私はすぐ出版社に入って、ずっと今日まで本の虫になりきっていました。
 
戦時中も鉄かぶとにゲートルをはいて、1日も休むことなく出版の仕事を続けました。
 
私はどんなに売れそうなものでも、自分の面白くないもの、気に入らぬものは出版したくありません。
 
自分が読んでみて、これはいい、これを出さねばならぬと思えば、いかに無名の新人の原稿でも本にして世に出しています。
 
売れる売れないにかかわらず、本を作ることの楽しさはまた格別です。
 
一冊でも多くよい本を作る、よい原稿を美しい装釘にして本を作ること、それが私の信念であり、また理想でもあるのです。」
 
 
 
この文章を読むと、ぼくに「文學」と名付けてくれたのがよく理解できる。
 
まあ、いい名前をつけてくれたと、父に感謝しているが、果たして父はぼくのその後の出版をどう思っていたのだろう。
 
確かに戦後、雨後の筍のように出版社が生まれたが、そのほとんどが倒産してしまい、第二書房は長く続いたほうだろう。
 
ぼくは文才は父のようにはなく、貧乏な岩手県の山奥で育った母親似で、辛抱強く、くよくよしない性格がよかったのでは。
 
親父が女に狂って出版の仕事を投げ出してくれたお蔭で、ぼくの思うように仕事を続けられた。
 
もう少し生きて「文學」の名にふさわしい仕事を残したいものだ。

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2018年11月12日 (月)

残り少ないぼくの人生に活力を!

ぼくは人との出会いでは運のいい男だ。
 
駒沢大学に頭の悪いぼくを入学させてくれた方は山田霊林さんという偉い坊さんだ。
 
世田谷学園の学長から、駒沢大学の総長、そして曹洞宗の本山、永平寺の貫首にまでなられた方で、父が戦前勤めていた第一書房で『禅学読本』という本を出されていたので、父とは知己のある方だ。
 
山田霊林さんのコネで世田谷学園、駒大とお世話になったいい時代だった。
 
 
 
駒大の国文科には素晴らしい教授がおられた。
 
『広辞林』の編集者、金沢庄三郎先生、富倉徳二郎先生、樋口一葉の研究者の塩田良平先生、渡辺三男先生、そして万葉集の研究者の森本治吉先生、森本先生は歌人の斎藤茂吉の弟子で、短歌結社の「白路」の主催者だった。
 
ぼくは短歌を作歌することを森本先生の「白路」に入会して教えられた。
 
その頃の駒大は学生数700人ほど、ぼくは文芸部で活躍していたが、劣等感のかたまりだった。
 
各大学では短歌を学ぶ学生も多かった。
 
とりわけ國學院大學の国文科は折口信夫先生がいたので一番多く、早稲田、中央、学習院、共立女子大などの学生が東大で短歌会を開くまでになった。
 
その時の歌会で東大国文科の中西進先輩がぼくの作品を絶賛してくれた。
 
中西さんのお蔭でぼくは自信をもち、それからの人生が変わったほどだった。
 
中西進さんはぼくの歌集に序文を書いてくれたり、女房久美子と結婚式をあげたときには仲人もしてくれた。
 
数年前には文化勲章も授賞した万葉集研究の第一人者だ。
 
 
 
10月の「文ちゃんと語る会」定刻11時に、会場の「織部」下北沢店で待ち受けていたのに誰も入ってこない。
 
今日は駄目かとあきらめていたら、10分ほどおくれて5人の人が参加してくれた。
 
その中に女性がひとり。
 
その若い東京医大で医者になるべく勉強している人が、ぼくのこれからの運命を変えてくれる女神のような女性だった。
 
ぼくの著書『『薔薇族』の人々』を読んで持参し、サインをということで、その本からぼくのブログにたどりつき「文ちゃんと語る会」に出席してくれたのだ。
 
若い女性が出席してくれると、ぼくの話に熱がこもりハッスルしてしゃべってしまう。
 
年をとれば誰ともしゃべる相手がいなくて、テレビを観るしかないが、こんなことができる老人って、世の中にそう多くはいないだろう。
 
 
 
この医大生、自宅は埼玉だそうだが、その日はお母さんが車で娘を乗せて送ってきて、車で待っているというではないか。
 
すぐに「お呼びしたら」と言ったら、電話して「織部」に来てくれた。
 
まだ若くて美しい方でいかにも行動的な方だった。
 
このお母さんとの出会いが、残り少ないぼくの人生に、また『薔薇族』を毎月出し続けていた頃のような活力をよみがえらせてくれた。
 
このお母さんは六本木に事務所を持ち、イベントの企画運営をする会社の社長さんだった。
 
なんという幸運な出会いではないか。
 
すぐさま「ホテルニューオータニ」に豪華な会場を予約してくれた。
 
 
 
ぼくの講演のタイトルは「『ひとりぼっち』の人たちをつないで」。
 
2018年12月16日(日)、13時〜15時・赤坂「ホテルニューオータニ」1Fの紀尾井フォーラム。会費は2000円。
 
ぜひネットで申し込んでください。
 
 
 
なんとしても満席にしたいので、友人を誘っておでかけください。
 
協力をおねがいします。

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2018年11月10日 (土)

精薄児を愛している先生!

1991年8月号の『薔薇族』の「編集室から」で、読者から送られてきた貴重な手紙を紹介している。
 
 
 
「精薄児の面倒をみているという先生から、こんな手紙をもらいましたので紹介します。
 
世間の垢にまみれることのない青年たちは、心身ともにとてもきれいです。
 
特に自閉的、ダウン的傾向にある子は、おしなべて美しい瞳をしていて、まるで神さまが、この世につかわした天使かと見まがうほどの美しい表情をしています。
 
当校の大多数の生徒は、知能の発育はおそいけど、からだの性だけは普通に生育している、いわゆる精薄の子供たちです。
 
ホモへの要因はいろんな説がありますが、性の関心、発育が幼児期でストップした現象ととらえる有力な説があります。
 
私自身は先天的なものだと考えているし、途中で発育が止まったなんて不自然な説は否定したかったのですが、養護学校に勤めていやが上にもこの説を認めざるを得ない。強烈な実証に毎日触れることになりました。
 
 
 
赴任1日目から美高校生が、かたく勃起したチンポをこすりつけて、強引に抱きついてきました。
 
次の日からは自閉症のK君が僕のからだをいじくり回しながら、オナニーを始めました。
 
今では勃起した僕のモノをしごいて大喜びしています。
 
とんでもない不謹慎と思われるでしょうが、あえて僕は自然にまかせています。
 
この子らを無理にノンケにしたところで、どんな幸せが待っているというのでしょうか。
 
生涯独身で女を買う能力もなく、童貞のまま空しい人生を送るしかないのです。
 
 
 
学校の職員の8割は女性です。残り2割の男教師の中にホモがいる確率は低いのです。
 
どの先生も男生徒が抱きついたといっても、それが性の対象としては受け止められず、投げ返したり、ぶったりします。
 
それが原因かどうかはわかりませんが、Mの子も多いのです。
 
 
 
Y君はよくお尻をつねってくるので、思いきりつねり返してやったら、「アーン」と悶え声をあげて、ビンビンになりました。
 
それだけのことで感じる子供たちですから、本気でプレイしたらどうなるか心配でもあります。
 
一度「犯ってしまうぞ」と言って、チンポの上に座っただけで発射してしまったことがあります。
 
ろくに洗ってないチンポですから、教室中に匂いが充満し、女の先生は顔を赤らめていました。
 
彼らがホモなら、ホモのままであり続ける方がまだ良いように思うのですが、いかがでしょうか。
 
 
 
食堂で朝食をしてるときでも、両どなりの高3の子がお尻を触ってきます。
 
短髪の不良っぽい、からだのがっちりした、いい男ばかりです。
 
彼ら同士でも先生の見ていない所でキスしたり、触りあったりが盛んです。
 
精薄の子らは総じてホモか、ホモを拒まないといっても過言ではない。
 
ならば仲間同士でホモだち、恋男を作ることの方がより自然、よりハッピーだと確信します。
 
 
 
現に僕は彼らをとても愛していますし、一生愛し続けたいと思っています。
 
毎朝、勃起した彼らの着替えに付き合い、この世の天国だとつぶやいている僕は罪人でしょうか。」
 
 
 
ホモでない男の子は、女性の先生に抱きついたりしているのだろうか。
 
普通の知能を持っている人は、なんとか苦しい性欲を理性で抑えているけれど、知能が低くて、理性で性欲をコントロールできない子たちは毎日、欲望をどうやって処理し続けるのか。
 
僕の孫が精薄の子を教える学校に勤めているので、一度見学に行ってみたいと思っている。
 

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2018年11月 5日 (月)

生きがいが幸せのカギだ!

「ツイッター」ってどんな意味かと、一緒に住んでいる息子の嫁に聞いたら、「つぶやき」ということだ。

 

「ブログ」ってどんな意味と聞きたかったが、前にも聞いたことがあったような気がしたので、聞くのをやめてしまった。

 

ぼくが使っている小学館発行の『新選国語辞典』は、2006年の発行なので、そんな言葉は載っていない。

 

意味がわからず書いているとは情けない話だ。

 

 

 

「つぶやく」とは、ぶつぶつ小声でひとりごとを言う意味だそうだが、それを読んでくれている人がいるとはありがたいことだ。

 

「ブログ」も「伊藤文学のひとりごと」と題して書いているのだから、他人さまに読んでもらうというよりも、自分の生きがいとして書いている。

 

20181022日の日本経済新聞に「茂木健一郎さんに聞く・人生100年時代の備え・生きがいが幸せのカギ・趣味など身近なことから」という見出しで、脳科学者であり、作家の茂木健一郎さんに、話を聞いて長い記事にしている。

 

 

 

100年時代を幸せに生きるキーワードとして「IKIGAI(生きがい)」を挙げる。

 

日本人にとって幸せは本来、社会的な成功や名声だけでなく、自分の役割の中に充足を見出すことにあったはずで、この生き方が海外でも評価され始めているという。

 

長寿を支える生き甲斐とは何かを聞いた」とある。

 

 

 

確かにそのとおりだと思う。

 

ぼくは86年の人生をかえりみると充足した人生を送ってきたと思う。

 

 

 

「仕事で成功をおさめることも大事ですが、幸せに生きるにはそれだけが正しい道ではないのです。

 

生きがいを探すにはもっと身近な小さなこと、極めてプライベートなものに着目することから始めればいいのです。

 

例えば学生時代に熱中した音楽や運動、趣味などはありませんか。

 

長い人生の生きがいを探すうえでヒントになる例は少なくないでしょう」

 

 

 

成功を求めない生き方で幸せになれますかという質問に茂木さんは、こう答えている。

 

 

 

「有名か無名かは幸せとはまったく関係がありません。

 

人生は地味でもいいのです。

 

誰もが有名ブロガーになる必要はないのです。

 

自分を卑下したり、背伸びしたりすることは不要です。

 

等身大の自分を受け入れればよいのです。

 

もし他人からの承認欲求を満たしたいと思うのであれば身近な数人から始めてみればいいのではないでしょうか。

 

脳科学的に言うと、脳は他人のためになにかすることと、自分のために何かをすることとをほぼ同じようにうれしいと感じます。

 

自分が幸せになるには、他人のために何かできるか考えてみることも大事なのです。

 

他人を喜ばせようと自分が学ぶことは他人のためになることであり、世の中に貢献することで感謝され、回り回って自分が幸せになるのです。

 

利他性は結局自分の幸せを呼び起こすことになるのです。」

 

 

 

学者の言うことは、分かったような、分からないようなことだが、ぼくはストレスっていうものはえんなく過ごしてきたし、いつも『薔薇族』の良き相棒の藤田竜君が、読者から何かを求めてはいけないと言っていたが、その通りだと思う。

 

 

 

茂木さんは堅い頭の持ち主だから、エッチなことには触れていないが、年をとっても女好きの人は女のことを考え、男の好きな男の人は男のことを考え続けていなければ駄目だ。

 

欲望を感じなくなったら人間おしまいだ。

 

趣味だけでは人間生きられないのだから。

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2018年11月 3日 (土)

「孤立死」『薔薇族』の読者の顔が!

月日の過ぎゆくのは早いものだ。もうそろそろ年賀状を書く準備をしなければ。

 

今年も300枚を越す年賀状を手書きで書いたが、何通か戻ってくるものがある。亡くなられてしまっているのだろう。

 

 

 

ぼくがよく通っている「織部」下北沢店には、日本経済新聞と朝日新聞が置いてある。

 

この新聞を読む人は、お客さんの中で数名だろうが、本店の会長さんが2紙を置くようにと言ったそうで、息子の店長さんがその言いつけを守っている。

 

ぼくは経済的な理由で東京新聞しかとっていないので、2紙を読むのを楽しみにしている。

 

日本経済新聞は株など買ったことがないぼくでも、世の中の移り変わりを知ることができる。

 

2018年1022日(月)の日本経済新聞にこんな記事が載っていた。

 

「孤立死した男性の住居を片付ける遺品整理業者の作業員(都内)」とあり、ダンボールの箱を広げて、遺品を片付けている2人の男性の姿がカラー写真で載っている。

 

見るだけであわれさが漂ってくるようだ。

 

見出しには「都会の片隅で「孤立死」」とある。

 

 

 

「誰にも気づかれることなく死亡する「孤立死」。

 

高齢者の単身世帯の増加に伴い、孤立死を生むリスクも高まる。

 

職場を引退して親類、友人とも疎遠になり、いつの間にか都会の片隅で忘れられる――。

 

ある高齢者の死の現場は、問題が多くの人の身に降りかかる可能性があることを改めて教えてくれる。」

 

 

 

この記事を読んで『薔薇族』の読者のことが頭に浮かんだ。

 

ゲイの人は結婚しない人が多い。

 

それに親類や、兄弟などと付き合わない人も。

 

今年亡くなった方で、『薔薇族』に多大な貢献をしてくれた人がいる。

 

大阪出身の方でお妾さんの子だ。

 

紅白歌合戦が始まった頃、優勝して歌手になるために東京に出てきたが果たせず、広告代理店などに勤めていたようだ。

 

なにしろ器用な方で、小説も書き、イラストはさまざまな描き方が出来、小説の挿絵をどれだけ描いてくれたことか。

 

映画が好きで週に何本も観ていたようだ。

 

労働組合の雑誌の編集を引き受けていて、映画評論も毎号書いていた。

 

ゲイの映画がくると、ぼくに教えてくれて試写会に何度も連れて行ってもらったこともある。

 

 

 

この人、警察官が好きで、若い警察官に料理を作って食べさせるのが趣味だった。

 

ぼくより年上だったが、よく歩く人で健康だったのに病気になったと電話があった。

 

自分を生んでくれた母親は、お妾さんで、その母親のことを何年もかけて書き直し、書き直ししては仕上げた。が、今の時代、無名の人の小説を本にしてくれる出版社はない。

 

ぼくの本を出してくれた出版社に頼んだがことわられてしまった。

 

 

 

65歳以上で一人暮らしする人の割合は今後厚みを増すことが予想されている。

 

65歳以上の高齢者で一人暮らしをしている人の割合は1990年時点では男性が5.2%、女性が14.7%だった。

 

それが2015年には、それぞれ13.3%と21.1%に上昇。

 

40年は男性20.8%、女性24.5%になると推計される。

 

 

 

ゲイの人の一人暮らし率は高いだろう。

 

雑誌がない今では、一人暮らしのゲイの老人に呼びかけるすべがなく、ブログも老人は読んでくれていない。

 

あの人、この人と読者の顔を思い浮かべるがどうすることもできない。

 

どうしたらいいのだろうか。

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