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2018年11月24日 (土)

川柳はしょせん悲しい玩具

父は俳句、詩、短歌、そして最後は川柳にたどりついたようだ。
 
近所に住んでいる、なべおさみさん。ぼくが斎藤茂吉の歌碑を建てた桜並木沿いに面した豪邸に住んでいる。
 
なべさんのお父さんと、ぼくの親父とは短歌を通しての友人だった。
 
なべさんはお父さんが亡くなったあと、立派な歌集を残している。
 
ぼくはどうしても何度も不倫をして母を泣かせ続けてきた父を許せない気持ちから、戦前の第一書房刊の自由日記(1枚の挿絵・第18回仁科点出品作の臥せる裸体の陰毛がいけないということで発禁になった)に伊藤柳涯子(川柳の雅号)の作品が多く残されているが、ぼくは本にしなかった。
 
20181120_205413_1
第一書房の豪華な自由日記。この中に父は川柳を残していた。
 
20181120_205413_2「自由日記」の中の挿絵。これで発禁とは。
 
 
父は関西の川柳界の第一人者、岸本水府さんの「番傘」の同人になって、朝日カルチャーセンターの講師、世田谷婦人大学講師をつとめ、また草津のハンセン氏病の「楽泉園」に講師として患者たちにも川柳を教えていた。
 
 
 
  人生は旅その旅で逢ったひと
 
 
 
いい句だ。女好きでどうしようもない父だったが、あの女のことを言っているのだなと思わせる句が多い。
 
父が尊敬していた作家Y氏亡きあと、その遺産をすべてお手伝いさんに残してしまったが、Y氏も奥さんが生存している頃から、男と女の関係になっていた。
 
そのお手伝いさんと、今度は父が男と女の関係になってしまったのだから、なんということだ。
 
 
 
  つぼの骨くずれる夜に恋進む
 
 
 
Y氏の骨つぼが置いてある部屋で、お手伝いさんと父は床を共にしていたのだ。
 
ぼくも先妻の骨つぼを置いていた部屋で寝ていたが、夜静かになると、骨つぼのくずれる音を聞いた記憶がある。
 
 
 
  最高の形見は生きてて美しい
 
 
 
作家のY氏が残してくれた、30歳ぐらいの若いお手伝いさんは美しかったのだろう。
 
 
 
  臆面もなく宿帳に妻と書き
 
 
 
家に帰らないこともあった父だから、どこかの温泉にでも二人で行っていたときの句か。
 
 
 
  妻と書いて年齢をさばを読み
 
 
 
20歳以上も若いお手伝いさんだから、年齢をさばを読んで宿帳に書いていたのか。許せない親父だ。
 
 
 
  よくよくのこと手切金を出す女
 
 
 
お手伝いさん、ぼくの母に手切金を出して親父と結婚したいと言ったようだけど、子供が4人もいては、当時としてはあきらめざるをえなかったのか。
 
 
 
  逢えばまたくずれてしまう別れる気
 
 
 
親父も未練があるし、随分悩んだのだろう。
 
 
 
  あきらめのつかぬ気持ちがつめを切り
 
 
  結婚を迫るその目が恐ろしい
 
 
  別れ言うつもりきし夜になぜ燃える
 
 
  ピリオドを打ったつもりにある未練
 
 
  愛してはいけないひとと知りながら
 
 
 
親父の気持ちはよく分かる。
 
いい作品を残してくれた。
 
父は病で倒れてから、母の看病なしでは生きていかれなくなって、十数年、母だけのものになってしまった。
 
母も満足して死んだのでは。

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