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2018年12月

2018年12月31日 (月)

韓国の社長さんを2丁目のゲイバアに!

今でも『週刊プレイボーイ』は生き残っていると思うけど、月刊誌は姿を消しているのかも。
 
アメリカで『プレイボーイ』が売れまくっていた時代、多くの美女をはべらせている社長の姿をテレビで見て、うらやましく思ったものだ。
 
月刊『プレイボーイ』が小学館から発売されたのが、1975年頃のことだから、今から43年も前の話だ。
 
『薔薇族』が創刊されて4年目ぐらい、創刊号50万部がなんと即日完売だったという話は覚えている。
 
その『プレイボーイ』日本版第6号にぼくが原稿を依頼されたわけが今でもわからない。
 
美女のヌードが満載の雑誌に、同性愛の雑誌編集長のぼくに原稿を依頼するとは。
 
タイトルが「もしかして、あなたもアレかもしれないぞ! やってみよう……ホモセクシャル・テスト」という見出しだ。
 
 
 
「推定人口が、なんと200万人。
 
いったいどういうことなんだ、アダムがアダムを好きになるって。
 
オレが愛せるのは女性だけだよ、なんて決め込むまえに、ちょっと待った!
 
そういうあなたこそ、このテストをやってみるべきだ。
 
結果、ひょっとすればオトコ好きの素質が、隠されてないとも限らないのだから……」
 
 
 
創刊号からの協力者で、ゲイの世界に精通している間宮浩さんと、知恵をしぼって考え出したなんと50問。
 
今から考えるとなんということをと思うが、『薔薇族』が多くのマスコミに取り上げられていたから、4頁も使って、その次代のゲイたちの悩みや苦しみを書かせてくれたのだ。
 
とっても50問を載せきれないが、まあ、よく考えたものだ。
 
 
 
③1日に何回となく鏡を見る
 
④ものごとに熱中する反面あきっぽい
 
⑨自分の年齢を若くいいたがる
 
⑩被害妄想が強い
 
㉔頭髪は短髪を好む
 
㉖感情の起伏が激しい
 
㉗メカニックなものに弱い
 
㉚みだしなみは若作りである
 
㊴相手に対して好き嫌いが激しい
 
㊿見栄っ張りである
 
採点・自己診断
 
・ハイが10コ以下――あなたは女性しか愛せない(単純男性型)です。
 
・31〜40コ以下――あなたは男好きの素質が隠されています。
 
このあとのぼくの文章は、今読んでも間違ったことは書いていない。
 
「ぼくはホモは持って生まれたものだと信じています。
 
もっとつきつめれば、人間の業のようなものだと理解しています。
 
だから当人が悪いのではない。
 
まして両親の責任でもないのです。
 
当人が好き好んでなったものでないのに、なぜ世間の人は偏見をもって見るのでしょうか。
 
それを不思議に思い、怒りを感ずるのです。
 
それと、だれも世の中の人にホモを正しく理解してもらう努力をしなかったことにも……(中略)
 
いつか『薔薇族』の存在を婦人雑誌で知ったというお隣の国、韓国の出版社の社長さんが、日本に立ち寄ったおりに電話をかけてくれたことがありました。(当時は個人情報なんてものがなかったので、婦人雑誌の編集部がぼくの電話番号を教えた)
 
その社長さんは自分が女好きだということを友人たちに知らせるために、わざわざ女と寝ているところをのぞかせてまで、自分の性癖をさとられないようにしているとのことでした。
 
夜の新宿のゲイバアを飲み歩きました。
 
どんなに彼が感激したことか。」
 
ぼくはいいことをしていたんだ。

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2018年12月29日 (土)

人間の子供より犬のほうが多い!

ぼくが平成5年、11月にオープンさせた、女房の古里・新潟県弥彦村(弥彦神社で栄える人口8千人ぐらいの村)にあったロマンの泉美術館が華やかなりし頃、イベントを開くたびに大きな記事で紹介してくれた三條新聞。
 
今も無料で送ってくれている。
 
三条市は弥彦村のとなりの町で、三条市の出来事の記事が多いが、弥彦村の記事も載っているので、弥彦村がいまどんなことになっているのかを知ることができている。
 
大きな梨が収穫される頃になると、毎年送ってもくれるありがたい新聞社だ。
 
ぼくが知っている記者は社長の息子だと思うが、「無題録」というコーナーがあって、おそらく物知りのベテラン記者が書いているのだろう。
 
2018年12月2日の新聞にこんなことが書いてあった。
 
ぼくも気にしていたような話だ。
 
ぼくは毎日のように、下北沢駅の近くのスーパーに買物と運動を兼ねて、わが家から30分ほどの車が通らない裏通りを歩いている。
 
その道は犬の散歩道で、そこで出会う犬を散歩させている人の多いのは驚くほどだ。
 
今の世の中、子供よりも犬のほうが多いのでは。
 
それに独身と思われる若い男女が増えている。
 
恋人と付き合うより、犬のほうが裏切らなからいいのかも。
 
「無題録」は今どきの若者の性について憂いている。
 
 
 
「平安時代は「源氏物語」の主人公は、12歳で結婚している。
 
それに比べて現代の若者は恋愛や性に奥手なのか、さほど関心がないのか。
 
日本性教育協会が昨年行った「青少年の性行動」調査によると、男子大学生の28・2%、女子大生の30・7%がデートをした経験がなく、男子の40・9%、女子の45・7%はキスをした経験もなかった。
 
性交経験のある大学生は男子が47・0%、女子が36・7%、男女ともに60%を超えていた12年前の調査と比べると、性交経験のある大学生が大幅に減っている。
 
昭和世代にもデートやキス、性交を経験したことがない若者はいたが、いまとは理由が違っていた。
 
昭和世代は経験したくても、相手がいなかった。
 
興味や関心はあるのに、単にモテなかったり、出会いのチャンスがなかった。
 
今の大学生は男女ともに30%以上が、「付き合う相手が欲しくない」と思っているという。
 
異性と付き合うことが面倒くさいのか、恋愛よりも、もっと楽しいこと、やりたいことがあるのか。
 
日本家族計画協会が行った調査では、16歳から19歳までの女性の58・5%が性交に「関心がない」「嫌悪している」と答えた。
 
「今の若者は生身の人間と付き合うことに伴うストレスを恐れ、ゲームなどのバーチャルにハマる。
 
その結果、性交を回避する人が増えているのだろう」と、分析する医師もいる。
 
日本の出生率はますます減ってしまうのではないだろうか。」
 
 
 
確かに今の若者はやることが多い。
 
今のゲームはテレビの画面で見ながら楽しめるのだから、はまってしまったらやめられない。
 
どこの国の兵隊と撃ち合い、殺し合っているのか、わからないが、アメリカで製作されたゲームだろうがよくできている。
 
どのように撮影されているのか、画面に出てくる街が現実の街なのかもわからない。
 
メンコや、ベーゴマに夢中になっていた、ぼくらの少年時代とは違う。
 
男性の精子の数も減っているそうだから、先進国では結婚する年齢も上がっている、子供の数が減るのは当然のことだ。
 
結婚しない男女も増えている。
 
後進国の人たちから子供をもらうか、働いてもらうしかない時代になってしまった。

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2018年12月24日 (月)

人間を商品として扱うなんて!

2018年12月16日午後1時からのホテルニューオータニでのぼくの講演会、豪華な固定した椅子が付いた階段になっている会議室。
 
なんと60席が満席になってしまった。
 
お膳立てしてくれた女社長の林由香里さん親子と、ご主人まで受付を手伝ってくれた。
 
お女郎さんを千人近くも苦海から救い出した話、妹の東京女子医大心臓病等、401号室での患者たちの心のふれあい、そして『薔薇族』の話と、長い年月をかけての話だから、とても二時間や三時間で語り尽くせるものではなかった。
 
中途半端になってしまって申しわけなかったが、またの機会に語りたいと思っている。
 
「文ちゃんと語る会」も、2019年1月26日、午前11時から午後2時まで、いつものようにカフエ「織部」で続けるので、ぜひ足を運んでください。
 
歩けなくなるまで続ける覚悟でいるので。
 
 
 
2018年12月16日の東京新聞の見出し「外国人30年間「商品」扱い・労働者受け入れ拡大・落下パイプで大けが、休業補償渋る」の記事を読んで怒りがこみあげてきた。
 
救世軍の大尉だった祖父、伊藤富士雄が大正時代、吉原の自廃志願者、千二百人の娼妓の相談を受けて、九百八十七人を完全に自廃成功させた話。
 
その話は昭和39年11月6日―40年4月29日まで「ときのこえ(救世軍が発行している機関誌)」と題して、吉屋信子さんが連載した。
 
その中にお女郎さんの悲惨な話が書かれていて、浄閑寺(女郎たちの駆け込み寺)の話は以前ブログに書いたが、ぼくのブログの中でも一番多く読まれた話だった。
 
吉屋信子さんが浄閑寺の住職から話を聞き出したころは、ご住職は元気な頃で、その話は貴重だった。
 
空襲で浄閑寺は焼け残ったのか、過去帳は公娼哀史の貴重な文献だった。
 
 
 
「むかしから安女郎は米俵に包んで投げこんだといいますが、わたしの子供の頃は、粗末なたるのような棺に入れられて、夜になるとそっと運ばれてきたものです。
 
 
 
貧しい農家の娘は郭に売られると、人間扱いされずに商品として扱われたのだ。
 
病気になって商品として使えなくなると、まだ息のあるうちに浄閑寺に投げこまれたという。
 
2万5千人の娼妓の霊がまつられているそうだ。
 
 
 
「出稼ぎで働くオーバーステイ(不法滞在)の外国人が目立つようになってきた。
 
「下町は人手不足に悩む零細の製造業が多く、たくさんの外国人を雇っていた。彼らは日本人が働こうとしない3K(きつい、汚い、危険)職場を底辺で支えていた」と振り返る」と、下町ユニオンの加瀬さんから聞いた話を東京新聞の中沢佳子記者が聞き出している。
 
これは若い人は知らないだろうが、戦前はトイレの汲み取り、紙くずを拾って歩くバタ屋、くず屋、炭鉱で石炭を掘り出す危険な仕事をみんな韓国の人にさせていた。
 
「93年には不法在留は30万人に迫った。
 
バブル崩壊で不況に陥った94年ごろから相談は増え、やがて年百件を越えた。
 
解雇をめぐる内容が多かった」
 
「人間を「商品」とみなすことを許しちゃいけない」と訴えている加瀬さん。
 
これでは苦界に身を沈めたお女郎さんと変わりがないではないか。
 
日本は人口が減るばかりで、海外から働くひとを受け入れなければどうにも仕事を続けられなくなっている。
 
大企業は儲かっているけど、小さい町工場は安い賃金で外国人を使わなければやっていけない。
 
いい雇い主に出会った外国人は幸せだが、ひどい雇い主に使われる外国人はみじめだ。

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2018年12月22日 (土)

美しい東京の街を見せたい!

2000年の『薔薇族』7月号に「昨今の世相に思うこと」と題して、ぼくはこんなことを書いていた。
 
年配の人だってこんなこと覚えていないだろうが、若い人にも知っててほしい話だ。
 
 
 
「アメリカのB29爆撃機の連日、連夜の空爆で終戦間際の東京は焼野原と化していた。
 
そして終戦、わが家の近くを走っている井の頭線を、焼け残った車輌は数台で、椅子もまったくない、みじめな車輌が走っていたのを覚えている。
 
山手線から見渡す東京の景色は荒涼たるもの、石塀と鉄筋ビルの残骸だけがところどころに残っているだけ。
 
数年して復興の兆しがみえてきた頃、車窓から見える焼け残りの石塀という石塀に、ペンキで「角万とは何ぞや」と書きまくった人がいた。
 
確か「角万」って、大塚駅近くの料理屋だったと記憶しているが、なにしろ50年も前の話だから間違っているかもしれない。
 
看板なんか建てられない時代に、焼け残った塀に、店の名前をペンキで、あちこちに書きまくった商魂と、アイデアにぼくは今でも敬服している。
 
誰もそんなこと考えつかなかっただろうから、これはすごいことだった。
 
こんなこと今の若者は知るよしもないし、年配の人だって忘れているだろう。
 
しかし、これは誰の迷惑にもならないし、その当時としては合法的だったのかも。
 
 
 
なぜ、こんな古い話を持ち出したかというと、昨今の若者がスプレーで、他人さまの塀や建物のかべ、店のシャッターなどに、横文字で落書きするのが流行している。
 
この現象はアメリカが最初なのかもしれないが、世界中の街でも同じことかもしれない。
 
ぼくの住んでいる下北沢の街は、若者の街と化しているから、このスプレーでの落書きはすさまじいものがある。
 
この落書きをにがにがしく思っている人は、ぼくだけではないだろう。
 
だが新聞の投書欄にも載ったことがないから、もう、すでに諦めてしまって街の風景と、とらえているのだろうか。
 
消したって、また書かれるから、誰しもが諦めの境地でいるのか。
 
不思議なことに、落書きが全部横文字で、日本語で書かれたものがないのは、横文字のほうがカッコいいとでも思っているのか。
 
たまに暴走族の下手くそな日本語の落書きを見ると、なぜかほっとさせられる。
 
人さまの店のシャッターや、壁、塀などに落書きすることが、いいことなのか、悪いことなのか、書いている人の感覚はマヒしていてわからなくなっているのだろう。
 
警察が犯人を捕まえたという話は聞かないから、警察も諦めているのか、現行犯で捕まえなくてはならないから、他の犯罪で忙しいし、張り込んでもいられない。
 
しかし、ぼくはこのなんとも思わなくなってしまった人々の諦めの心が問題だと思っている。
 
最近の警察は不祥事続き、病院もミスばかり、子供たちも大人がびっくりするような犯罪を犯すけれど、大人たちだって同じ。
 
日本の社会全体がおかしくなってしまっている。
 
人さまの塀や、建物にスプレーで書きなぐったからといって、目くじら立てることもないと言うかもしれないが、こういう小さな悪を許してしまうから、世の中全体のタガがゆるんで、どうにもならない世の中になってしまったのではないだろうか。
 
犬を散歩させると、必ずあちこちにオシッコをして自分の匂いを残しておくけど、落書きをあちこに書いている連中の真理は犬と同じではあるまいか。」
 
 
 
2年先には東京でオリンピックが開催される。
 
落書きをすべて消して、世界中からやってくる人たちに、美しい東京を見せたいものだ。

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2018年12月18日 (火)

新年第1回「文ちゃんと語る会」のお知らせ

新年第1回「文ちゃんと語る会」は1月26日(土)開催
 
 
2019年、新しい年も、歩けなくなるまで続けるぞ! ぼくの生きがいだから!
 
 
日時・1月26日(土) 11時~13時
場所・下北沢南口から4分、カフエ「織部」
住所・〒155−0031 世田谷区北沢2—2—3
電話・03—5432—9068
会費・コーヒー代のみ
 
はじめての方も大歓迎!
この機会にぜひ、ご参加を!

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2018年12月17日 (月)

小学校の運動会には父兄だけしか!

毎日曜日にぼくを誘って、三軒茶屋にある「銀座アスター」で、おそばをごちそうしてくれるカフエで知り合ったお金持ちがいる。
 
駒大の後輩で青山通りに大きなビルを持っているので、家賃収入だけでも大変な額になる。
 
これは親父さんが建てたビルで、彼はそれを管理しているだけのことだ。
 
彼は趣味をもたないし、友だちもいない。
 
話す話題は病気のこと。ひとり娘の亭主の話、孫の話。
 
同じ話をもう3年も聞かされている。
 
ぼくは『薔薇族』の読者と、どれだけ出会い話を聞かされて続けてきたことか、だから聞き上手だ。
 
「銀座アスター」で食事をしてから立ち寄るのは、ひとり娘の友人夫婦が経営しているハワイ大好きのカフエ。
 
彼は障害者手帳を持っているから、車をどこに停めても違反になることはない。
 
それからスーパーの「信濃屋」で買い物だ。
 
「信濃屋」は良いものをおいているので以前はよく買い物に行ったが、ぼくが買い物をしている下北沢駅前のスーパー「オオゼキ」に比べたら野菜ものは高い。
 
彼は「信濃屋」では顔だ。肉の定員から買っているのは、犬に食べさせる鶏肉のようだ。こまかく切って食べやすくしてくれている。
 
なんとレジの女性ふたりが、ぼくのブログを読んでくれているそうだ。
 
彼に紹介されて出会ったが、かわいい女性だった。
 
ブログってどんな人が読んでくれているのかわからない。
 
レジの女性が読んでくれているのかとうれしくなって、力を入れて書かないとと思わされた。
 
 
 
買い物をすませてから、ぼくが建てた斎藤茂吉の歌碑のあるところを曲がって、桜並木を走ると、一軒の家の前へ。ここは彼の亡くなった奥さんのお姉さんの娘の家だという。
 
ぼくもこの家には思い出すことがあった。
 
ぼくの長男の子供、男の子と女の子の孫が代沢小学校に通っていた頃、運動会のときにぼくは子供たちの写真を撮りまくって、近所の信用金庫のロビーを借り、「ピチピチランラン運動会写真展」(校歌からとっている)を毎年展示していた。
 
そのときにそこの家の娘さんが、かわいい子で表情もよくとらえていた写真だったので、写真展の宣伝のためのポスターに娘さんの写真を使わせてほしいと頼みに行ったことのある家だった。
 
その家の前を通って曲がろうとしたら、偶然にもお母さんと、成長した娘さんが帰宅してくるところに出会ってしまった。
 
あのかわいい小学生が成長した娘さんに。
 
車の窓を開けて声をかけたら、その時のことをよく覚えてくれていた。
 
お母さんも50歳は過ぎているだろうが美しい人だった。
 
スーパー「信濃屋」のレジの女性、そして運動会の小学生のときのかわいい少女が成長しての出会いと、こんなにうれしいことは、しばらくぶりだった。
 
運動会の写真展のチラシを校長先生が全校生徒にくばってくれたので、たくさんのお母さんが見にきてくれた。
 
「子供の顔がイキイキしているのを見て、とてもうれしくなりました。
 
ビデオよりも子供たちの表情がイキイキとしており、親が写すのとは、また違ってとても感動しました。」(小2の母)
 
「子供たちの自然な表情がとれていて、とてもすてきな写真でした。」(小1の母)などと、置かれたノートに母親たちが書いてくれていた。
 
それが教育委員会から校長に電話がかかってきて、写真に写っている子が、狙われ誘拐されるかもしれないと注意されてしまった。
 
運動会は今では父兄しか参加できなくなり、ガードマンが警備している世の中に。
 
情けない話ではないか。

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2018年12月15日 (土)

ゲイとレズの結婚、うまくいったのかな?

1995年(今から23年前)4月号・№267に、ぼくはこんなことを書いている。
 
「今のところ、これしかない」と題して。
 
 
 
「二見書房から刊行されている隔月刊の雑誌『シャレード』という、新耽美主義をとなえる雑誌があります。
 
頼まれてエッセイを書いたことがあります。
 
おそらく『薔薇族』の読者と逆の女性が多いのではないか、そう思ったので「結婚のこと」と題して書いたのです。
 
25年前もそうでしたが、25年経った今も読者の最大の悩みは結婚のことであることは変わりません。
 
どうしても通らなければならない関所のようなものだからです。
 
確かに世の中が変わってきて、独身で通す女性も増えてきています。
 
また独身の男性も前ほど目立たなくなったというか、独身でいてもそう気にしなくてもいられる時代にはなってきています。(中略)
 
「結婚コーナー」を「薔薇通信」の欄に設けてからもう10数年になります。
 
毎月、かなりの人がこの欄に登場しているのだから、結婚までこぎつけた人も相当数いることは間違いありません。
 
しかし、残念なことに結婚してうまくいった人も、また、失敗してしまった人も、ちゃんとした報告をしてくれた人は、ひとりもいません。
 
ぼくの著書のあとがきに藤田竜君がこんなことを書いてくれました。
 
 
 
「人を救った出版物は数知れずあろう。しかし、世に知られることもなく、救われた当人も口にはしないものとして『薔薇族』はあり、これからもそうであろう。それゆえに伊藤文学は一般的には評価されにくい。それでもいいのではないか、とぼくは思っている。
 
もともと、わかってくれる人だけに心を通じたいと始めたことなのだ。
 
百人か、千人か、あるいは何万人の人か、『薔薇族』を見る前より、少しでも、心が晴れれば、それだけでいいではないか」
 
 
 
ぼくも藤田竜君の言うとおりだと思う。
 
何も期待してもいけない。何も読者に求めない。
 
この広い日本にひとりでも心が通じて、結婚してうまくいっているカップルがひっそりと生きている。
 
それでいいのだと思って、ぼくは『薔薇族』を出し続けているのです。
 
ぼくの思ったとおり『シャレード』の編集部から、何人かの女性から手紙が回送されてきました。
 
やはり同じことを考えてくれている女性がいたのです。
 
 
 
「私は元来、ジュネ系の本の読者ではありません。
 
この雑誌も友人から借りて読んでいるのですが、(このエッセイのために借りたのです)先日、その友人と結婚について話をしていたときに、薔薇族の人がカモフラージュの結婚を望んでいるという話を聞いて、「わ〜おっ」と本当に喜んでしまったのです。
 
私は現在、30何歳、バツイチの独身女性です。
 
決して男性が嫌いというわけでなく、女性が好きというわけでもありません。
 
でも、やはりノーマルじゃない点は、人間にあまり興味がないというところでしょうか。
 
ハッキリ言っちゃうと、SEXにあまり関心がないんです。
 
性生活ができないのかな。
 
鳥肌がたつほど男が嫌いというわけではありませんが、あんなもの月1回位で十分だわ、というくらい興味がありません。(中略)
 
でもSEXは相手によるものかもしれません。
 
離婚後、この6年、3人の男性とお付き合いしましたが、主人のときのような嫌悪感は少なかったようです。(中略)
 
生活協同者、おおいに歓迎です。
 
私もいい年なので、世間体だけは保ちたいし、年老いた母にも安心してもらいたい。」」
 
 
 
なんだかよくわからない女性だけど、この時代、ゲイとレズとの結婚、これしかないとぼくは思っていたのだが……。

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2018年12月10日 (月)

戦後生まれの議員たちが考えること!

政治にかかわることは、「ブログに書かない方がいいよ」と、コメントしてくれた人がいたが、戦争を経験してきたぼくにしてみれば書かずにはいられない。
 
衆議院議員にしても、参議院にしてもみんな戦後生まれの人たちで、あのいまわしい戦争体験などしたことのない人たちばかりだ。
 
サイパン島が米軍に占領されて、広大な基地ができ、B29爆撃機が大量に配置され、東京に200機、300機ものB29爆撃機が、1万米もの上空を整然と編隊を組んで、爆弾や、焼夷弾を落とすようになってきた。
 
高射砲で撃ち落とすべく撃っていたが、1万米上空まで砲弾がとどかなかったのか、命中しなかった。
 
たまに砲弾が命中したのか、煙をふいて飛んでいるB29を目撃したことがあった。
 
これも最初のころは、日本の戦闘機が飛びかかっていくのを見たことがあったが、あまりにも小さく、巨人におそいかかる小人のような感じで、B29の機体の上にのっかってしまったという話すら聞いたこともあった。
 
敗戦間際のころになったら、それこそやられぱなしになっていた。
 
B29はレーダーを備えているので、夜でも雪の日でもおかまいなくやってきた。
 
わが家では仕事師に頼んで頑丈な防空壕を作ってもらったが、土地が低いせいか、雨が降り続いたりすると、水びたしになってしまった。
 
連日、連夜、空襲警報が鳴るので、洋服も着たままだ。
 
それに石鹸がないので洗濯もできないので、しらみがわいてどうしようもなかった。
 
母は大きななべに下着を入れて煮沸していた。
 
 
 
こんな戦争のやり方は、太平洋戦争で終わりだ。
 
今朝の東京新聞(12月6日)を読むと北朝鮮は新しいミサイルの基地を作っているようだ。
 
政府はミサイルを迎撃するためのミサイル防空能力を強化する方針のようだ。
 
それにF35戦闘機を百機もアメリカから買うことを決めたとか。
 
北朝鮮や、中国がB29のような爆撃機で爆弾を日本全土に飛来して落とすような戦争をするだろうか。
 
そうなればそれらを迎えうつ戦闘機が必要だろうが、そんな戦争の仕方は過去のものだ。
 
東京新聞は総力をあげて、「税を追う」という安倍政権がアメリカの言うままに武器を多額のお金で買い求めているありさまを批判し続けている。
 
読者もこれらの記事を読んで、「毎回、驚きと怒りをもって読んでいます。登場する数字が大きすぎて実感を持てません。」「一般人は「兆」だとピンと来ないので、庶民目線で比較できるものを載せたらどうか。」と、半ばあきらめ顔だ。
 
記事の見出しだけでも「兵器ローン残高5兆円突破」「米製兵器維持費2兆700億円」「地上イージス6000億円超も」と、とてつもない数字が並んでいる。
 
2ヶ月おきにもらえる僅かな年金を首を長くして待っているぼくのような人たち。
 
生活保護を受けているような人にとっては考えられない話だ。
 
 
 
米国製の戦闘機F35は、一機百億円以上する。
 
都市部で定員90人の認可保育所を建てる場合、厚生労働省は建物費用を約2億円と想定しており、土地があれば一機分で少なくとも50ヶ所、4千5百人分を建てることができる。
 
中国やロシアの飛行機が、日本の領空内に侵入してきたときに、すぐさま飛び立って威嚇する戦闘機は必要かもしれないが、トランプ大統領をよろこばすために、百機も1兆円を出して買うこともあるまい。
 
怒るというよりも、情けなくなってくる。

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2018年12月 8日 (土)

針金とじの『薔薇族』ご夫婦だけで!

「伊藤文学のひとりごと」(№370)に、「多くの協力者に支えられての38年」と題して、ぼくはこんなことを書いている。
 
 
 
「『薔薇族』を支えてくれた人は、直接的に原稿を寄稿してくれたり、イラストや劇画を書いてくれた人たち。
 
その数は何十人、何百人にもなるだろう。
 
それに『薔薇族』を愛読してくれた何万人もの読者を忘れてはいけない。
 
それと『薔薇族』を印刷し、製本してくれた人たち。
 
そして販売してくれた取次店、書店の人たち、それこそ沢山の人たちの協力があって続けてこられたのだ。
 
創刊の頃の活字を一本、一本ひろって組んでいく、あの小さな組専門の印刷所の植字工のおじさんの顔が、今でも浮かんでくる。
 
製本はご夫婦の二人だけの製本屋さん、針金とじで、一冊、一冊、ガチャン、ガチャンと綴じていく。
 
一万部を製本するのに一週間はかかったものだ。
 
 
 
今でも思い出すのは、上野の成田行の電車に通じる地下道にあった本屋さん。
 
戦後、浮浪者がごろごろとこの地下道にむしろを敷いて寝ころんでいたので、駅が考えて片側をお店にして貸したのだ。
 
カーテンだけで仕切られたゲイバアも何軒かあり、エロ本ばかりを売る老夫婦が営む本屋さんがあった。
 
ご主人はおとなしい方だったが、奥さんは元気な人で、それこそ江戸っ子という感じの人だった。
 
表通りに車を停めて、息子を乗せた乳母車に『薔薇族』を積んで何百冊も運んだ。
 
シャッターをおろすまで売れ続けたのだから、このおばさんの元気な声は、今でも脳裏に残っている。
 
 
 
銀座のソニービルのとなりに「大雅堂書店」という木造2階建ての大きな書店があった。
 
表通りに面した本屋さんで、なぜか『薔薇族』を愛してくれたご主人は、届けるやいなや、ショウ・ウィンドウの一番めだつ場所に『薔薇族』を飾ってくれた。
 
取次店を通さないで、直接ぼくが運転する車で届けていたのだが、発行日と届ける時間が決まっていたので、届けるやいなや、お客さんが待ち受けてくれていて、すぐさま買い求めてくれた。
 
ここの書店で今東光(こん・とうこう・参議院議員)和尚と出会ったり、女流作家として有名な円地文子さんのご主人と出会ったりした。
 
 
 
ゲイ向けの単行本のあとがきに、ゲイ雑誌を出したいという思いを書いたら、それに応じてくれた人が、藤田竜さんと間宮浩さんだった。
 
昭和46年(1971年)3月1日の日付で雑誌の発行に協力したいという間宮浩さんからの手紙が届いた。
 
その直後、間宮浩さんが仕事場にしていた、新宿御苑に面した部屋に訪ね、そこで藤田竜さんとも出会った。
 
3月にふたりに出会って、7月には創刊号を出してしまったのだから驚きだが、それは他社と違って社員はいない、ぼくが自分で決断すればいいことで、会議などで決まるなんて面倒なことを必要としなかったからだ。
 
人間、運というものがある。
 
このふたりに最初に出会えたから『薔薇族』を出し続けることができたのだ。
 
『薔薇族』はトーハンや日販の大手の取次店と取引ができたので、日本中の書店に送ることができた。
 
地方に住んでいて、うっ屈していた才能ある人たちに発表の場を作ったのが『薔薇族』だった。
 
多くの人たちが作品を送ってくれた。
 
楯四郎さんもそのひとりで、名作を多く残してくれた。
 
華やかな『薔薇族』の時代を作ってくれた多くの協力者たちのことを忘れるものではない。」
 
 
A

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2018年12月 3日 (月)

オッちゃんは、ある意味での救世主だ!

『薔薇族』を創刊した頃は載せる写真に苦労した。
 
大阪のオッちゃんが撮った写真がなかったら続けられなかった。
 
そのオッちゃんが『薔薇族』のグラビアに載って、大変よろこんでおられたが、間もなく胃がんで亡くなってしまった。
 
そのオッちゃんを追悼する文章を藤田竜さん、甲斐久さんが寄せている。
 
 
 
「どの世界にも奇人、変人はいるものだが、もしホモの世界の奇人と名をあげれば、私がここに紹介する人物などは、もっとも奇人の一人であったと思う。
 
まずその数例から申し上げると、17年間に約10万枚に近い男性ヌードの写真を撮りまくった男である。
 
そのモデルの数は約2千人ともいわれる。
 
すると計算からすれば、3日に1人は彼のカメラの前にヌードとなっていることになる。
 
そのモデルの職種だが、学生・工員・自衛隊員・店員・ヤクザ・バーテン・農業・漁業・土方など数え上げればきりがないほどに種別される。
 
この種の撮影は自分の好みにどうしてもかたむくものだが、彼の場合、相手の需要に応じてタイプをさまざまに撮りわけなければならないことになるので、その日によって彼のカメラの前には、たくましい若者であったり、美少年であったりした。
 
 
 
こんなエピソードがある。
 
近所の男の子に憧れているある男が、「あの子のヌードが欲しいけれど、無理でしょうね」と、半ばあきらめ顔で頼んだことがある。
 
「おまかせください。できるだけやりましょう」
 
その男はできないという言葉がいやであった。
 
数日後に、その男の子のヌード写真が送られてきた。
 
話をしてみればそれだけのことだが、家の前に2時間も、3時間も出てくるのを待っている。
 
その男のねばり強さを聞いたときは、強く頭の下がるものがある。
 
 
 
写真の内容はポルノである。
 
いまの時代でなく17年前に一般の人にホモと言っても何のことだか通じない時代に、この男は撮り始めたのである。
 
これから先にもこれだけの枚数と人数の保持者は、おそらく世界にもでないと思っている。
 
それらの写真を見つめながら、満足した男の数もかなりいることになる。
 
ある意味の救世主であったことは間違いないと思う。(中略)
 
そして、その男は死んだ。
 
その死は思いがけない死でもあったし、無理なスケジュールからすれば、死なないにしても大痛が待っていたとしか思えないほど、自分のからだを酷使していたから、当然におこりくる結果であったかもしれない。
 
死ぬ一週間ばかり前に本人から電話があって、「明日、入院しようと思っているのだが」という知らせがあった。
 
私はそのとき、もう彼には会えないと思って遠方である彼の家へ初めて訪ねた。
 
彼は駅までわざわざ出向いてくれた。
 
その姿には、もう生気はなかった。
 
涙を流さんばかりによろこんでくれた。
 
そして帰り際に玄関で彼はよろけた。
 
そして、それを見ながら別れた。
 
もう二度と会えないことを知りながら。
 
昭和46年、10月12日夜、ときに男は誰の見届けもなく、ある病院で永眠した。
 
死因は胃がんである。享年54歳。
 
まだまだこれからの人間であった。
 
 
 
そして、それらの10万枚に近い作品は、東京のある警察から、警視庁の何処かの一室に物件として保管されている。(ある人が警視庁におもむいて調べてもらったら処分されていた)
 
波風がおさまれば、世間では、ただひとりの男が死んだとしか思わないだろう。
 
わざとその男の名前を言わないことにする。
 
冥福を祈る。   甲斐久」
 
 
 
忘れられない人だ。

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2018年12月 1日 (土)

文通欄、一通の手紙が生きがいに!

『「ひとりぼっち」の人たちをつないで』と題して、12月16日(日)13時〜15時、ホテルニューオータニの豪華な講義室で講演をすることになっている。
 
なんとしても満席にしたいので、ぼくのブログを読んでくれている人たちにぜひ参加をしてもらいたい。
 
その役目を果たしていたのは文通欄だが、数が増えてくれば、それを利用して相手をおどす人も出てくる。
 
長い文章でとても載せきれないが、ぼくはこんなことを書いていた。
 
 
 
「薔薇同士で傷つけあい、いがみあうなんて本当に悲しいことだ。と僕は何度か書いてきた。
 
世の中の偏見にあって肩身のせまい思いをしているのだから、仲間同士、助け合い、はげましあわなければいけないと思う。
 
薔薇族同士でおどかして金をまきあげるなんて、最低の人間のやることだ。
 
文通欄も号を重ねるごとに登場する人も増えて、今月号などとうとう500人を越す盛況ぶりだ。
 
それに寄せられる手紙も大変な数である。
 
 
 
それにしても今までは、トラブルもまったくといっていいくらいなかった。
 
みんな真面目に友人が欲しい人ばかりだからだろう。
 
しかし、数が増えれば悪い人も入ってくるのは当然のことだが、先月、とうとう嫌なことが起きてしまった。
 
北海道の札幌でお店をやっているNさんからの電話だった。
 
文通欄に載っている東京の大学生に手紙を出し、上京した折にその学生と会ったのだろう。
 
そしてホテルに入った。
 
嫌な予感がしたので少ししかお金をもっていかなかったそうだが、よそうと思ったそうだが、せっかく北海道から出てきたことだしと思ってそのホテルに入った。
 
コトが終わってからのことだった。
 
とたんにスゴみだして、2万円よこせという。
 
お金がないと言うと、腕にはめていた買ったばかりの高級時計をかたにとられてしまった。
 
それから電話番号を調べあげ、今度は金を遅れといやがらせ。
 
それで困りはてて僕のところに電話をしてきたのだ。
 
こういう経験をお持ちの方もきっと大いに違いない。
 
決して警察沙汰にはしないということを知ってのおどしだった。
 
彼の方だって住所もわかっているのだから、もし訴えでれば、困るのはわかりきっている。
 
それでもなおそういうことをするのは、絶対に訴えないというへんな自信があるからだろう。
 
 
 
文通欄を利用できない人が大多数だと思う。
 
全読者のちょうど1割ほどの人が利用しているわけだが、この1通が不幸を招いてしまうようではいけない。
 
この1通によって君になんらかのプラスになり、生きがいになる1通であってほしいと願う。
 
今日もたくさんの手紙が押し寄せるだろう。
 
郵便屋さんも、この管内では一番、郵便の数が多いので、最初に配達してくれている。(そのうち文通欄が千人にもなった時代には、特別の配達人が麻袋に入れて届けてくれた)
 
 
 
自分専用のしゃれた郵便ポストを日曜大工で作って、手紙が送られてくるのを浮き浮きして待ち受けていたばっかりに、家人に見破られてしまった岡山県のS君。
 
文通欄に出ていたステキな彼に、誠心誠意ラブレターを書いて写真まで入れて送った。
 
ところがその手紙が廻り廻って、着いたのが自分だったという千葉県のS君。
 
文通欄に載るときは原文と多少は違っているからね。
 
罰が悪かっただろうね。
 
S君、自分で書いたラブレターを自分がもらって読んでいるS君。
 
幸せだ、君が一番。」

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