« 文通欄、一通の手紙が生きがいに! | トップページ | 針金とじの『薔薇族』ご夫婦だけで! »

2018年12月 3日 (月)

オッちゃんは、ある意味での救世主だ!

『薔薇族』を創刊した頃は載せる写真に苦労した。
 
大阪のオッちゃんが撮った写真がなかったら続けられなかった。
 
そのオッちゃんが『薔薇族』のグラビアに載って、大変よろこんでおられたが、間もなく胃がんで亡くなってしまった。
 
そのオッちゃんを追悼する文章を藤田竜さん、甲斐久さんが寄せている。
 
 
 
「どの世界にも奇人、変人はいるものだが、もしホモの世界の奇人と名をあげれば、私がここに紹介する人物などは、もっとも奇人の一人であったと思う。
 
まずその数例から申し上げると、17年間に約10万枚に近い男性ヌードの写真を撮りまくった男である。
 
そのモデルの数は約2千人ともいわれる。
 
すると計算からすれば、3日に1人は彼のカメラの前にヌードとなっていることになる。
 
そのモデルの職種だが、学生・工員・自衛隊員・店員・ヤクザ・バーテン・農業・漁業・土方など数え上げればきりがないほどに種別される。
 
この種の撮影は自分の好みにどうしてもかたむくものだが、彼の場合、相手の需要に応じてタイプをさまざまに撮りわけなければならないことになるので、その日によって彼のカメラの前には、たくましい若者であったり、美少年であったりした。
 
 
 
こんなエピソードがある。
 
近所の男の子に憧れているある男が、「あの子のヌードが欲しいけれど、無理でしょうね」と、半ばあきらめ顔で頼んだことがある。
 
「おまかせください。できるだけやりましょう」
 
その男はできないという言葉がいやであった。
 
数日後に、その男の子のヌード写真が送られてきた。
 
話をしてみればそれだけのことだが、家の前に2時間も、3時間も出てくるのを待っている。
 
その男のねばり強さを聞いたときは、強く頭の下がるものがある。
 
 
 
写真の内容はポルノである。
 
いまの時代でなく17年前に一般の人にホモと言っても何のことだか通じない時代に、この男は撮り始めたのである。
 
これから先にもこれだけの枚数と人数の保持者は、おそらく世界にもでないと思っている。
 
それらの写真を見つめながら、満足した男の数もかなりいることになる。
 
ある意味の救世主であったことは間違いないと思う。(中略)
 
そして、その男は死んだ。
 
その死は思いがけない死でもあったし、無理なスケジュールからすれば、死なないにしても大痛が待っていたとしか思えないほど、自分のからだを酷使していたから、当然におこりくる結果であったかもしれない。
 
死ぬ一週間ばかり前に本人から電話があって、「明日、入院しようと思っているのだが」という知らせがあった。
 
私はそのとき、もう彼には会えないと思って遠方である彼の家へ初めて訪ねた。
 
彼は駅までわざわざ出向いてくれた。
 
その姿には、もう生気はなかった。
 
涙を流さんばかりによろこんでくれた。
 
そして帰り際に玄関で彼はよろけた。
 
そして、それを見ながら別れた。
 
もう二度と会えないことを知りながら。
 
昭和46年、10月12日夜、ときに男は誰の見届けもなく、ある病院で永眠した。
 
死因は胃がんである。享年54歳。
 
まだまだこれからの人間であった。
 
 
 
そして、それらの10万枚に近い作品は、東京のある警察から、警視庁の何処かの一室に物件として保管されている。(ある人が警視庁におもむいて調べてもらったら処分されていた)
 
波風がおさまれば、世間では、ただひとりの男が死んだとしか思わないだろう。
 
わざとその男の名前を言わないことにする。
 
冥福を祈る。   甲斐久」
 
 
 
忘れられない人だ。

|

« 文通欄、一通の手紙が生きがいに! | トップページ | 針金とじの『薔薇族』ご夫婦だけで! »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/101967/67427860

この記事へのトラックバック一覧です: オッちゃんは、ある意味での救世主だ!:

« 文通欄、一通の手紙が生きがいに! | トップページ | 針金とじの『薔薇族』ご夫婦だけで! »