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2018年12月22日 (土)

美しい東京の街を見せたい!

2000年の『薔薇族』7月号に「昨今の世相に思うこと」と題して、ぼくはこんなことを書いていた。
 
年配の人だってこんなこと覚えていないだろうが、若い人にも知っててほしい話だ。
 
 
 
「アメリカのB29爆撃機の連日、連夜の空爆で終戦間際の東京は焼野原と化していた。
 
そして終戦、わが家の近くを走っている井の頭線を、焼け残った車輌は数台で、椅子もまったくない、みじめな車輌が走っていたのを覚えている。
 
山手線から見渡す東京の景色は荒涼たるもの、石塀と鉄筋ビルの残骸だけがところどころに残っているだけ。
 
数年して復興の兆しがみえてきた頃、車窓から見える焼け残りの石塀という石塀に、ペンキで「角万とは何ぞや」と書きまくった人がいた。
 
確か「角万」って、大塚駅近くの料理屋だったと記憶しているが、なにしろ50年も前の話だから間違っているかもしれない。
 
看板なんか建てられない時代に、焼け残った塀に、店の名前をペンキで、あちこちに書きまくった商魂と、アイデアにぼくは今でも敬服している。
 
誰もそんなこと考えつかなかっただろうから、これはすごいことだった。
 
こんなこと今の若者は知るよしもないし、年配の人だって忘れているだろう。
 
しかし、これは誰の迷惑にもならないし、その当時としては合法的だったのかも。
 
 
 
なぜ、こんな古い話を持ち出したかというと、昨今の若者がスプレーで、他人さまの塀や建物のかべ、店のシャッターなどに、横文字で落書きするのが流行している。
 
この現象はアメリカが最初なのかもしれないが、世界中の街でも同じことかもしれない。
 
ぼくの住んでいる下北沢の街は、若者の街と化しているから、このスプレーでの落書きはすさまじいものがある。
 
この落書きをにがにがしく思っている人は、ぼくだけではないだろう。
 
だが新聞の投書欄にも載ったことがないから、もう、すでに諦めてしまって街の風景と、とらえているのだろうか。
 
消したって、また書かれるから、誰しもが諦めの境地でいるのか。
 
不思議なことに、落書きが全部横文字で、日本語で書かれたものがないのは、横文字のほうがカッコいいとでも思っているのか。
 
たまに暴走族の下手くそな日本語の落書きを見ると、なぜかほっとさせられる。
 
人さまの店のシャッターや、壁、塀などに落書きすることが、いいことなのか、悪いことなのか、書いている人の感覚はマヒしていてわからなくなっているのだろう。
 
警察が犯人を捕まえたという話は聞かないから、警察も諦めているのか、現行犯で捕まえなくてはならないから、他の犯罪で忙しいし、張り込んでもいられない。
 
しかし、ぼくはこのなんとも思わなくなってしまった人々の諦めの心が問題だと思っている。
 
最近の警察は不祥事続き、病院もミスばかり、子供たちも大人がびっくりするような犯罪を犯すけれど、大人たちだって同じ。
 
日本の社会全体がおかしくなってしまっている。
 
人さまの塀や、建物にスプレーで書きなぐったからといって、目くじら立てることもないと言うかもしれないが、こういう小さな悪を許してしまうから、世の中全体のタガがゆるんで、どうにもならない世の中になってしまったのではないだろうか。
 
犬を散歩させると、必ずあちこちにオシッコをして自分の匂いを残しておくけど、落書きをあちこに書いている連中の真理は犬と同じではあるまいか。」
 
 
 
2年先には東京でオリンピックが開催される。
 
落書きをすべて消して、世界中からやってくる人たちに、美しい東京を見せたいものだ。

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コメント

中学の先生に
ドアが無い車両があったという話を
聴いたことがあります

総武線です


落書きを消すのを
公共事業としてやれば
景気対策としても機能して
一石二鳥だと思います

投稿: もうすぐ60歳 | 2018年12月23日 (日) 02時16分

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