« 2018年12月 | トップページ

2019年1月

2019年1月21日 (月)

長い人生で出会った心に残る人たち!

2019年、今年も300通に近い年賀状が送られてきた。
 
「人生は旅 その旅で会ったひと」
 
これは父の川柳だが、87年という長い年月の間に、多くの人との出会いがあった。
 
年賀状だけのお付き合いの人もあり、一度は会ったことがあったのだろうが、お顔さえ思い出せない方も多い。
 
しかし、心のこもった言葉を書き添えてくれている方もいる。
 
 
 
10数年前に四谷シモンさん(人形作家)が本を出されたときに、新宿のバアでお祝いの会があった。
 
そのときに、お会いしたのが澁澤龍彦さんの奥さま、龍子さんだ。
 
先妻の舞踊家、ミカが『オー嬢の物語』を舞踊家した折にお世話になったお礼と、貝がらの話を書いて年賀状を出した。
 
まさか覚えていないと思ったが、賀状が送られてきたではないか。
 
 
 
「お元気な御様子、何よりでございます。
 
昨年は澁澤没後30年のイベントがすべて終わり、気がぬけたのか、ちょっと体調を崩していましたが、今年は『高丘親王航海記』が、笠井叡さん(ミカと同じ頃、活躍していた舞踊家)の舞踏になったり、近藤ようこさんのマンガになったり楽しみです。」と記されていた。
 
ぼくの手許に置いてある貝がらが、より一層美しく輝いているように見えた。
 
 
 
ぼくが平成5年にオープンさせた女房の古里、弥彦村の「ロマンの泉美術館」、東京からいろんな方を招いてイベントを何度も開いたが、いつも参加してくれた新潟市に住む詩人の松井邦子さん。
 
「月光の中で」と題して「何故、こんなところにこんな建物が? 私は目を見張り、息をのんだ。足が震えるような驚きだった。」と書いてくれた。
 
「華やかなドレスの出番がなくて泣いております。」と。
 
新潟の女性たち、美術館でのイベントにみんな着飾って参加してくれた。
 
そんな場所が新潟にはない。
 
時折閉館している美術館をそっと見に行っておりますと、書き添えてあった。
 
 
 
茂呂亜弥さん、「文ちゃんと語る会」に参加してくれて知り合った女性だ。
 
亜弥さんがぼくのブログのすべてを紙焼きにして送ってくれたので、その中から選び出して一冊の本にすることができた。
 
彩流社刊『やらないか!』早稲田大学教授の丹尾安典先生が「元気を出して行動を起こせ! 下北沢のオッチャンの新刊を推す」と、オビに推薦文を寄せてくれた。
 
亜弥さん、タイに指圧の修行に行った折に知り合った男性と結婚し、赤ちゃん(真奈さん、1歳)が生まれ幸せに暮らしている。
 
「文學さんにお会いしたいです。
 
私が生きている間、ずっとお元気でいてほしいと、いつも願っています。」
 
泣かせるではないか。
 
 
 
神戸に住むアルフォンス井上さん。
 
澁澤龍彦さんが名付けたと聞いている。
 
日本一、いや世界一の銅版画家だ。
 
この人に蔵書票を描いてもらいたいと、お願いしても、何年も待たなければならないようだ。
 
「伊藤文学のひとりごと、ずっと続けてください。拝見しています。「文ちゃんと語る会」に参加できれば良いのですが。目下作品の「レゾネ」に取り組んでいます。」
 
うれしい話ではないか。
 
神戸に行った折と美術館に来てくれたときに、お会いしただけなのに……。
 
20190112_141439_3
アルフォンス井上さんの年賀状
 
 
 
東京大学院教授の木下直之先生、今年の3月で定年退職される。
 
「今年の目標は、次の本『猥褻論』に向けてスタートを切ることです。「文ちゃんと語る会」にお邪魔します」
 
とにかく変わった先生だ。
 
講義を聞きに行きたいものだ。
 
猥褻には負けないぼくだから……。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2019年1月19日 (土)

貝がらには不思議なロマンが!

昭和62年(1987年)59歳で亡くなられた澁澤龍彦さん。
 
澁澤龍彦さんは多くの著書を残されているが、ぼくには難しくて一冊も読んだことはない。
 
先妻のミカ(本名・君子)日本女子体育大を卒業し、世田谷区立の松澤中学校の保健・体育の教師として働きながら、邦千谷舞踊研究所に通い、後に独立して「伊藤ミカビザールバレエグループ」を立ち上げた。
 
澁澤龍彦さん訳のフランス地下文学の最高傑作と言われた『オー嬢の物語』をミカは熟読して、舞踊化することを決意した。
 
澁澤さんに電話して舞踊化を決意したことを話したら快諾してくれた。
 
当時の澁澤さんの影響力は偉大だったから、無名の舞踊家ミカなのに、有名なアーティストたちが舞踊化に協力してくれ、大成功を納めることができた。
 
篠山紀信さんはミカを撮影してくれて『芸術生活』に載せてくれたことがあったが、篠山さんは澁澤さんの亡きあと、書斎や、建物などを撮影して写真集を出されている。
 
その中の棚の上に、いくつもの大きな貝がらが置かれているのを見て、長い間、ぼくの脳裏から貝がらの姿が消えることはなかったが、どこで手に入れれば良いのかわからなかった。
 
 
 
澁澤さんがなぜ貝がらに興味を持たれたのかは知るよしもないが、『澁澤龍彦をもとめて』(季刊「みづゑ」編集部編・美術出版社刊)に、澁澤さんと交友関係にあった方々が追悼の文章を寄せている。
 
その中の野田弘志さんという方の「遠い日の情景」という文章が目にとまった。
 
「貝殻頌(抄)澁澤龍彦」の見出しで、こんなことが書かれている。
 
 
 
「詩人のヴァレリーは貝殻が好きだった。
 
わたしも貝殻が好きだ。
 
あの美しい幾何学的な曲線、なめらかな石灰質の光沢、あれが自然の生み出した作品だというだけで、わたしには、すでに神秘であり驚異である。
 
古代のアンモン貝の殻は、厳密に正確な対数渦巻状の曲線を描いて形成されるという。
 
わたしのは、直径20センチくらいの美しいオウム貝の親類のようなもので、まことに微妙カーブを描いている。
 
机の上において、眺めているだけでも楽しい。」
 
 
 
人との出会い、物との出会いも不思議なものだ。
 
昨年のことだ。
 
下北沢の次の駅が池の上、井の頭線の駅と駅との距離は短い。
 
池の上はわが家から歩いて10分ほどだ。
 
池の上の商店街で毎年、フリーマーケットが開かれる。
 
出店する人は若い人が多いのだが池の上は年配の出店者も多い。
 
今にも雨が降り出しそうな日だった。
 
いつもより出店者が少ない。
 
午後3時は過ぎていただろうか。
 
心配していたとおり雨がポツ、ポツ降り出してきたので、衣類を並べている人たちは商品を片付けはじめていた。
 
60歳は過ぎている男性が、なんと貝がらを台の上に並べているではないか。
 
5コぐらいある。
 
欲しそうな顔をしたら、高いこと言われると思ったので、なんとなく手にもってみた。
 
「だんな、500円でいいですよ」と。
 
「南の国の海底からとり出したものです」
 
なんという貝がらか分からないが、5コも500円で買い求めてしまった。
 
机の上に置いて眺めているが、過去に買い求めたアンティークのものよりも、500円の貝がらの方が価値がある。
 
澁澤さんに少し近づいたような気がする。
 
ミカもよろこんでくれるだろう。
 
5つの貝がらに大きなロマンを感じずにはいられないからだ。
 
20190112_141439_1 
20190112_141439_2 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月14日 (月)

思わぬお金が入ると人は変わる!

2018年12月31日の午後、心臓病で32歳の若さで亡くなったぼくの姉弟の末っ子・紀子の長男の純ちゃん(高校の教師をしている)から電話があって「父が今日の午後2時ごろ、80歳で亡くなりました」と知らせてきた。
 
埼玉県の老人ホームに入居していて、生活保護を受けていたようだ。
 
草薙実、紀子の亭主だった人だ。
 
 
 
紀子が心臓の最初の発作を起こしたのは、昭和36年(1961年)の12月、クリスマスの楽しい夕げのひとときだった。
 
下高井戸の吉川病院で精密検査をしてもらったら、僧帽弁閉鎖不全症という聞いたこともない病名を言い渡されて、「東京女子医大の榊原先生に診てもらったほうがいいですよ」ということだった。
 
年が明けて正月の休みが終わったばかりの東京女子医大に診察を受けに行った。
 
「すぐに入院の手続きをしてください。
 
手術をしなければ、あと2、3年ももちませんよ」と。
 
それから半年もまたされてやっと入院ができ、東京女子医大の心臓病棟、401号室、8人部屋に入ることになった。
 
何度も何度も医師の都合で手術の日が決まっていたのに変更されたので、紀子はやけくそになっていた。
 
そこでぼくはたまりかねて、朝日新聞朝刊の「読者のひろば」という読者投稿頁に、「妹に激励の手紙を」と呼びかけた。
 
ネットなんていうものがない時代の朝日新聞の力は偉大だった。
 
この投稿がきっかけとなって、昭和40年の日活映画「ぼくどうして涙がでるの」にまで広がっていった。
 
多くの人たちから激励の手紙が寄せられたが、月日が経てば手紙の数は減っていく。
 
それでも続いていたのは、北海道の日高という競走馬の産地として有名な街の貧乏な家で生まれ、5人姉弟の長男だった実君で、彼は上京して大田区の朝日新聞販売店で配達人として生活していた。
 
新聞を配り終えて、新聞を広げて目についたのが「読者のひろば」だった。
 
それから毎日のように長い手紙が妹の病室に送られてきた。
 
妹は発作が起きる前は、何人かの男性と付き合っていたが、心臓病だと知ると、みんな去っていった。
 
 
 
ぼくが書いた「ぼくどうして涙がでるの」が映画化され、ベストセラーになり、新聞配達人の実君と結婚するというので、フジテレビ「テレビ結婚式」がとりあげてくれた。
 
スポンサーは花王石鹸で、花王の製品1年分と電気洗濯機まで贈ってくれた。
 
その後、4畳半のアパートを借りて、ふたりの新生活が始まった。
 
実くんは明治大学に入学したが、長くは続かなかった。
 
 
 
最初の手術後、「あと10年ほどしか生きられませんよ」と医師に言われたが、そのとおりで11年目にまた手術をして帰らぬ人となってしまった。
 
 
 
実くんは子供のときから読書好きで文才があり、その後の話を学習研究社から『限りある日を愛に生きて』と『愛すれど生命哀しく』として出版した。
 
それが大映で映画化、東芝日曜劇場で石井ふく子さんがドラマ化してくれ、これが大好評で再放送までされた。
 
思わぬお金が入って、実くんの人生は変わってしまった。
 
何に使ったのかわからないが、また元の貧乏生活に。
 
彼の残した本を読み返してみたら、名文で書き上げた小説のような話になっていたではないか……。
 
Img_6081

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2019年1月12日 (土)

おいらん道中で浮かれる前に知ってほしい!

ぼくの女房の古里、弥彦村の近くに分水という街がある。
 
川に沿った桜並木が有名で、多くの観光客が訪れる。
 
その観光の目玉となるのが「分水桜まつり・分水おいらん道中」で、桜が咲く季節になると催される。
 
今年4月21日、公募して選ばれた何人かのおいらんが、はなやかにお供をひきつれてねり歩く。
 
ぼくはこの催し物にケチをつけるつもりはさらさらない。
 
毎年多くの観光客が訪れる催し物なのだから。
 
Poster 
 
ぼくの祖父・伊藤冨士雄は救世軍の大尉で廃娼運動の闘士だった。
 
祖父から聞いた話が書かれている『娼妓解放哀話』(中央公論社刊・沖野岩三郎著)に、こんな話が載っている。
 
道中に選ばれる花魁は、美しいことはもちろん、大正時代とはいえ、高等女学校も卒業していて、教養もある女性が選ばれたようだ。
 
おいらんとはいえ、親から廓の楼主がお金で買った商品で、多くのお女郎さんと変わりはない。
 
おいらんともなれば、かなりのお金を払わなければ相手にならないだろうから、おおだな(大きなお店)のご主人などに限られたのだろう。
 
 
 
大正4年の話だ。
 
吉原で一番大きな「角海老楼」の娼妓、白縫が、廃業したいと救世軍の本営にかけこんだ。
 
おいらん道中とは、大変な虐待だというのだ。
 
白縫はリューマチで、それに持病の脚気が再発しそうだという。
 
「頭痛のする私の頭へ、入髪をめちゃくちゃに沢山して、何十本という櫛や笄をさすんですもの、たまったものじゃありません。
 
その上に長い厚ぼったい着物を着せられて、大きな帯を前で結び、どてらのようなものを着せられ、長さ1尺、重さ2かん目の3枚歯の下駄をはかされ、仲之町のはしから、はしまで8文字をふんで歩かされるのです。
 
楼主はたまりかねて叫んだ。
 
「それはおいらんの道中ではないか。それが虐待とは途方もない!」
 
白縫は手をふって、楼主を制するように言った。
 
「むろん道中ですわ。
 
けれどもその道中が私には大変な虐待でした。
 
旦那はご自分の頭にあんな重いものをのせたことがありますか。
 
旦那のはいている、その桐の下駄はなんもんめありますか。
 
私は近ごろリュウマチでスリッパをはいて階段を上り下りするのさえ苦しいのに、2かん目の下駄をはかされて、すっかり神経衰弱になってしまいました。
 
それに持病の脚気が再発しそうです。
 
これでも虐待でないと、おっしゃるのですか」
 
 
 
白縫の申立が、あまりにも意外だったので、楼主も警部(警察官も間に入って話を聞いている)も、あぜんとしているところへ、白縫はさらに言葉を足した。
 
「ね、警部さん、私は思いましたの、ただ今は昭憲皇太后陛下のご諒闇中で、まだどなたも喪章をおつけになっていらっしゃるのに、吉原だけが治外法権じゃありますまい。
 
いけませんわね、今ごろおいらん道中なんて、あんな騒ぎをするなんて」
 
 
 
この話、白縫は廃業することができた。
 
祖父の話では、「やはり教育のお陰だ。
 
高等商学校を卒業していなかったら、2かん目の下駄で神経衰弱と脚気は起こらないよ」と伊藤君は笑ったと。
 
今どきの女性はスポーツでからだをきたえているし、それに公募で選ばれた女性だ。
 
しかし苦界に苦しんだ女郎たちのことを少しでも知ってもらいたいと、こんな話を持ち出したのだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2019年1月 7日 (月)

常識では考えられないことが!

「孤独死」という、なんとも悲しい、嫌な言葉を目にすることが多い。
 
孤独死しているのを誰も気がつかず、悪臭がするというので通報があり、警察官がかけつける。
 
身寄りの人がいればいいが、それがいないとなれば役所が片付けるのだろう。
 
『薔薇族』という雑誌は、買うにしても大変な思いをして手にするが、これを処分しなければならないとすると、これまた処分に困ってしまう。
 
今は堂々と古本屋に売ったり、ゴミと一緒にしたりして捨ててしまうこともできるが、1970年台、80年台の頃は、デパートの中にある書店で『薔薇族』を万引きした高校生が女店員につかまり、警備員室に連れて行かれ、親を呼ばれたことよりも、自分がゲイであることを知られたことのショックで、トイレに行かせてくれと言って外に出て階段をかけのぼり、屋上から飛び降り自殺してしまった悲しい出来事さえあった。
 
どうしても結婚をしなくてはならなくなり大事にしていた『薔薇族』を編集部に送り返してくるというようなことが、年に何回もあった。
 
そんなときのために、これは友人の伊藤文学からのあずかりものだから、処分に困ったら送り返すように、ダンボール箱に書いておくようにと、「編集室から」に書いておいたこともある。
 
買った雑誌をまた発行所に送り返すなんてことは、他の雑誌ではありえないことだ。
 
ゲイの世界では常識的に考えたら信じられないような出来事が今でもある。
 
稲垣征次君という少年愛者で、エッセイも書き、少年愛の小説の挿絵も書き続けてくれた人が、田亀源五郎篇で「ポット出版」から『日本のエロティック・アート・Vol3』として、2号目を出版してから10年の年月を経て、作品を多く扱った3号目を刊行した。
 
今の時代、使った原画は、出版社から作者に返却しているが、かつては原画は出版社の元にあり、それがどう始末されたかわからない時代があった。
 
田亀さんは原画から印刷するという信念の持ち主なので、大変な努力だったろう。
 
どうしても原画を見つけられなかった作者もいたという。
 
田亀さんも画家のようだが、海外でも広く名前が知られている方だ。
 
田亀さんの解説の文章はすべて英文に翻訳されている。
 
本の装幀も見事な出来栄えで、この本はゲイの歴史に長く残るに違いない。
 
定価は¥4500+税。
 
箱入りの本で安価すぎる。
 
絶対に手許に置いておくべき本だ。
 
稲垣征次君の絵は、少年に対する愛情に満ち溢れていて、手抜きなどしない。
 
丹念に一枚の絵に情熱をこめて、長い時間をかけて描いている。
 
 
 
最近、稲垣征次君から電話で聞いた話だが、ゲイの世界だから当たり前のような話だが、常識的に考えられない話だ。
 
お客が買った絵を画家が亡くなり、奥さんが買い戻すというようなことは、ぼくにもあった。
 
この方は渋谷の画廊でお会いしたことが何度もあったが、かなり高収入の方で、高額の男絵や、人形をコレクションされていた方だ。
 
あっという間に時は流れている。
 
『薔薇族』が廃刊になってから15年も過ぎているのだから。
 
その方が男絵をコレクションされていた頃から20年、30年も時間が過ぎている。
 
稲垣君の作品を20数点、作者の元に返却してきたという。
 
何百万もかけて買ったものを。
 
からだの具合が悪く長く生きられないと思われたからだ。
 
ゲイの世界って常識では考えられないことが起こりうるのだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2019年1月 5日 (土)

年金支給日までの2ヶ月間が長い!

わが家の近所には幼稚園、保育園もあるので、下北沢駅前のスーパーへ買い物の行き帰りに、背もたれのついた自転車に幼児を乗せて走っているお母さんを頻繁に見る。
 
なかには前とうしろに乗せているお母さんも。
 
たまに前とうしろと背中に赤ちゃんをおぶって走っている、たくましいお母さんさえ見かける。
 
だから子供が少ないとは思えないのだが。
 
 
 
2018年12月22日の東京新聞朝刊に恐るべき記事が載っていた。
 
「18年生 過去最小92万人=自然減 最大の44万人」の見出しだ。
 
 
 
「2018年に国内で生まれた赤ちゃんは、1899年の統計開始から最小だった17年より2万5千人少ない92万1千人で、3年連続で百万人を割り込む見通しとなることが21日、厚生労働省が公表した人口動態統計の年間推計でわかった。
 
亡くなった人は、戦後最多の306万9千人で、死亡数から出生数を引いた人口の自然減は過去最大の40万8千人となるとみられる。」
 
 
 
生まれる人より、死ぬ人の方が多いなんてこれは大変なことだ。
 
ぼくの先妻のミカなど、まったく収入のないぼくのところへ、スーツケースひとつだけをもってとびこんできた。
 
なんとかふたりで無一文からがんばってよりよい生活へと思うミカのような若者は、今の世の中には少ないだろう。
 
収入の多い男のところへ嫁に行きたいという女性ばかりだ。
 
住むアパートやマンションの家賃が高すぎる。
 
それに給料が安すぎて、女房を食べさせていけない。
 
そうなると共稼ぎするしかないし、とても安心して子供を生んで育てられるわけがない。
 
軍備費ばかり増やさないで、いっぱいある空き家をリホームして、若い夫婦に住まわせたり、安くてすむ保育所をたくさん作って、子供をあずけて安心して働けるようにしなければとても子供を生む気持ちになれないだろう。
 
それに今の若者は結婚しても、お互いにがまんすることがないから、気に入らないと簡単に離婚してしまう。
 
これでは子供など作れるわけがない。
 
 
 
ゲイの人たちのことを生産性がないと言った議員がいた。
 
確かにそう言いたくなる気持ちはわかる。
 
しかし、好き好んでゲイになったわけではなく、生まれついたものだから、変えられない。
 
これはもっと同性愛に対する知識をもってもらわないと、議員の資格が無いと言わざるを得ない。
 
 
 
今日もスーパーに行ったら、ウクライナの女性が働いていた。
 
日本人の子供が少なくなるばかりだから、外国の人たちを日本に連れてきて働かせようとしている。
 
これも商品として働かせ、日本人が好まない仕事をさせる。
 
これは日本人と同じ給料で働いてもらうのは当然のことだろう。
 
国会議員は目先のことばかり考えないで、10年、20年先のことを考えてもらいたい。
 
じゃないと日本はさびれていくばかりだ。
 
 
 
下北沢の街を歩いていて感じることは、古着屋ばかりが増え続けていて、今では何10軒にもなるのでは。
 
これでは新品の洋服屋はみんなつぶれてしまう。
 
そんなことを嘆いているぼくが古着ばかり着ているのだから文句は言えない。
 
100円ショップの店、ユニクロのように安い新品の衣類でないと売れない。
 
これでは景気はよくならない。
 
 
 
オレオレ詐欺で何10億もだましとられるお金持ちの老人が多い。
 
お金持ちと貧乏人の格差が増えるばかりだ。
 
年金支給日までの2ヶ月間の長いこと、こんな生活で暮らしていると、愚痴をこぼしたくなるものだ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2018年12月 | トップページ