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2019年2月

2019年2月25日 (月)

『薔薇族』創刊号の表紙絵の少年に!

上野駅から京成電鉄をつなぐ地下道に、戦後、焼け出されて家を失った人たち、戦災孤児などが、こも(草で作ったむしろ。当時はダンボールはなかった)をひいて寝転んでいた。
 
駅側は困りはてて、片側をお店にして貸し出した。
 
その中にカーテンだけで囲ったゲイバアも何軒かあり、年老いたご夫婦でエロ本ばかりを売る丸富士屋書店もあった。
 
ぼくはご主人にお願いして『薔薇族』の創刊号から置かせてもらった。
 
表通りに車を停めて、息子を乗せる乳母車に載せて運び込んだものだ。
 
 
 
楯四郎さん。
 
名作を数多く残してくれたNHKラジオのアナウンサーで、子供の頃から下町に住んでおり、お父さんに連れられて、演劇や、歌舞伎、映画などを見ていたので演芸物の司会を得意としていた方だ。
 
創刊号をこの丸富士書店で買い求めたときのことを書き残している。
 
 
 
「夏の終わりが近づいてくると、いつも、物憂い。
 
遊びすぎた時間が遠のいていくからである。
 
上野の国鉄(現在のJR)から京成に通じる地下道は、その物憂さがよく似合う道だった。
 
くすんだ灰色の道である。
 
その夜……というのは10年前のある夜、灰色の中にポツンと黄色い1点が浮き、それがたちまち私の目の中いっぱいに広がった。
 
これが私と『薔薇族』の出逢いである。
 
地下道の片側には、10人も入ればいっぱいになる酒場……もちろん仲間の……ちっぽけな店が数軒ならんでいた。
 
その中のひとつ……なんの飾りもなく、愛想もないが居心地も悪くない……互いに干渉せず、それでいてやさしく、少し哀しげな目つきの、歌いもしない男たちが集まってくるちょっと湿った店に、私は時に足を運んでいた。
 
店の並びに、そこだけは扉がなく、いくらか地下道に張り出した木の台いっぱいにポルノ雑誌を……といっても、当時、そんな表現はせずエロ本と呼んでいた雑誌を……裸電球があかあかと照らしている本屋があった。
 
いつもチラリと視線を投げるだけで通り過ぎてしまう私の、その夜、ふと足をとめさせたのが、黄色い表紙の、うすっぺらな雑誌である。
 
……というよりも、その表紙に描かれている少年のオレンジ色のTシャツを着て、むき出しの足をかかえている少年の場違いな戸惑いの瞳に……描きかたが素人っぽいだけに、かえって新鮮な表紙の少年に、ほとんど一目ぼれしたのだと思う。
 
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だが、すでに私は、この雑誌のやがて発行されることを……伊藤文学さんが何かに書いていた文章を以前に読んで知っていた。
 
雑誌を買うのに躊躇はなかった。
 
それというのも一番上の一冊だけはむきだしのままだが、その下に積んであるのはすべてカバアをかけている丸冨士書店の客の顔にいちいち好奇の目などは決して向けない店主の心遣いがあったためと、客同士まったく関心をかわさない都会の気安さのせいであった。
 
地下道を出て、公園わきの街灯の下で、私はページをめくった。
 
上質の紙面に街灯の青白い光が落ちていた。
 
……青白い街灯の下で『薔薇族』をめくった記憶は、その後、もう1回だけ、私にはある。」(『薔薇族』創刊10周年記念特別号)
 
 
 
「もう1回だけ『薔薇族』を街灯の下で読んだ記憶」というのは、楯さんの処女作が載った創刊7号目を読んだときのことだ。
 
唐沢俊一さんが『薔薇族』の果たした大きな役目は、発表の場を才能ある読者に与えたことだと書いてくれたが、楯さんはまさにその通りだった。
 
丸富士書店の老夫婦のことは忘れることはできない。
 

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2019年2月23日 (土)

次々とゲイ雑誌が消えて!

2007年1月号の幻冬舎刊『GOETHE(ゲーテ)』に、ぼくの著書の『薔薇族編集長』の紹介記事が写真入りで載っている。
 
取材と文は唐沢俊一さんで、ぼくが言いたいことを理解して、忠実に書いてくれている。
 
見出しには「同性愛者がこぞって読み込んだ伝説の雑誌には父親のまなざしがあった」と。
 
茂呂幸正さん撮影のぼくの写真がいい。
 
この文章はどうしても残しておきたいので、引用させてもらう。
 
B
C
 
「日本にクリエイターは多いがコーディネーターは滅多にいないという嘆きをよく聞く。
 
コーディネーターとは、文化を生み出す「場」を設定する人物を言う。
 
どんな天才クリエイターであっても、作品を発表する場が無くてはどうしようもない。
 
日本人に世界に通用する才能がなかなか育たないのは、この「場」をコーディネートできる人物が少ないからだとも言われている。
 
そういう面で言えば、日本におけるゲイカルチャーは幸運だったのかも知れない。
 
1971年にすでに、ホモの男性たちの交流の場として、日本初のホモ専門誌『薔薇族』を創刊させ、文化を育てるその土壌を育成させた伊藤文学という人が存在したからである。
 
本書はいわば日本のゲイカルチャーの「創造史」でもあるのだ。
 
伊藤さんが作り上げたその「場」には、美輪明宏、寺山修司、内藤ルネといった異才たちが集い、長谷川サダオ、木村べん、田亀源五郎などの異色の才能が育っていった。
 
自らはホモでも何でもない伊藤氏が、そのような場を作り上げようとした理由は何か。
 
 
 
「自分の性的指向を打ち明けられずに苦しんでいる人が、誰にもはばからず、自分はホモであると、発言できる場所を作りたかったんですよ」
 
 
 
その状況は、はるかに性に対し開放的になったはずの、35年後の現在でもなお社会に根強く残る。
 
「この人ならわかってくれるのでは」という最後の願いをこめて伊藤氏に手紙や電話をよこす人が「今でも月に何人かはいます」という。
 
しかし、表では一般人として過ごし、裏ではホモである自分に悩む彼らに、伊藤さんが与えるサジスチョンは、最近流行のカミングアウトを勧めるものではない。
 
 
 
「秘められた性は秘められたまま墓場まで持っていく方が幸せなこともあるんです」
 
 
 
というのがスタンスだ。
 
最近のゲイリブ関係からは、その姿勢に対する批判もある。
 
しかし、35年間、日本社会におけるホモの人々の苦悩と向き合ってきた伊藤さんの主張には重みがある。
 
悩めるゲイたちに時には優しく、時には厳しく言葉をかける伊藤さんの姿は、きわめて日本的な父親像に重なる。
 
日本のゲイカルチャーが欧米とは一味ちがう、独自のものとなっているのは、伊藤文学という人間がそこに存在し、しっかりと「場」作りのしごとをしていた、というその理由によるのだろう。」
 
 
 
ゲイ雑誌がネットやスマホが普及するにつれて、次々と姿を消していった。
 
確かに『薔薇族』は、才能のある人たちの小説、劇画、写真などの発表の場だった。
 
NHKのアナウンサーで活躍された楯四郎さん、初めて書いた短編小説が載ったので、それから次々と力作を寄せられ、アメリカで翻訳されるまでになった。
 
笹岡作治さん(ぼくが命名したペンネーム)もSM小説の力作を残され、単行本にもなった方だ。
 
他にも素晴らしい小説を誌上に発表された方は数知れずだ。
 
劇画では山川純一君、『薔薇族』だけにしか作品を残さなかった。
 
これからの時代、発表する場が無くなって、才能ある人々はどうなるのか心配でならない。

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2019年2月20日 (水)

「文ちゃんと語る会 ―87歳の誕生日を祝って―」開催

次回「文ちゃんと語る会」は、文ちゃん87歳の誕生日祝を兼ね、3月23日(土)に開催いたします。
 
日時・3月23日(土) 11時~13時
場所・下北沢南口から4分、カフエ「織部」
住所・〒155−0031 世田谷区北沢2—2—3
電話・03—5432—9068
会費・コーヒー代のみ
 
文ちゃんをはじめ、集まる人もやさしい人ばかりなので、はじめての方も、女性おひとりでの参加も、安心しておでかけくださいませ。

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2019年2月18日 (月)

本当のホモの愛情は心と心の問題だ!

ゲイ雑誌が次々と姿を消してしまった。
 
これらの雑誌は小説や劇画を描く人の発表の場でもあったのだから、これらが無くなってしまえば発表の場が無くなってしまう。
 
唐沢俊一さん、ぼくの良き理解者で、22年前に光文社文庫『トンデモ美少年の世界』にぼくが出版した『ホモテクニック』のことを紹介してくれている。
 
A
 
「「第二書房」といえばかの『薔薇族』を出している出版社だ。
 
発行人の伊藤文学氏は、自身はヘテロ人間でありながら、ホモであることを悩む若い人々の苦悩を救うために『薔薇族』を創刊したという人で、この『ホモテクニック』は、そういう伊藤氏の理念のもとに、同性愛の存在と歴史を考察し、かつ、フィジカルな面においてもハッキリと「男性が男性を愛するにはどうしたらいいか」について考察した画期的な本なのである。
 
地下出版としてならともかく、一般書籍としてこういう本を出したということの革新性と勇気は、いくら称賛しても称賛しきれるものではない。
 
読者の欲求にも充分応えたとみえ、昭和43年7月末(1968年・今から51年前)に第1刷が出てから、11月半ばにはもう3刷までいっている」
 
 
 
確かに唐沢俊一さんの言うように、51年前の日本では、ホモの世界は隠花植物とまで呼ばれ、誰もが自分の性癖を隠して、ひっそりと暮らしていた時代だ。
 
マスコミの世界でも同性愛の世界はタブーで、同性愛の本など出す出版社はなかった。
 
社員が何人もいる出版社では、同性愛の本を出そうと言う人がいても、とんでもないと握りつぶされてしまっただろう。
 
わが第二書房は社員はぼくひとりだけ。
 
父は女性に狂っていて、ぼくに仕事をまかせっきりだったから、ぼくが決断すればよかったからできたことだ。
 
そうはいうもののぼくだって『ホモテクニック』なんて、ずばりの本を出すということは、かなりの勇気が必要だった。
 
『レズビアンテクニック』を先に出したぐらいだから……。
 
 
 
「この『ホモテクニック』の前書きで、著者の秋山正美は意外にも、一般にホモセクシュアルと呼ばれているものは本当の同性愛ではないと言っている。
 
同性を思ってするマスターベーションなどは単なるエゴイズムとナルシシズムであって、本当の愛情などではない、遊戯的、機械的刺激の方法にすぎないと断言するのである。
 
お互いに快楽のみを目的にして行うホモセックスも性器の相互刺激にすぎないという。
 
本当の愛情とは心と心の問題であり、それがありさえすれば、その相手がたまたま同性であることに、そうまで苦しんだり、恥じ入ったりする必要はない。
 
それ故に、この本は同性愛そのものを書いたのではなく、こんにち同性愛と呼ばれているものの正体を、あかるみに出してやりたいという思いから書いたのである、というのである。
 
なにやら複雑ではあるが、僕が古書店でこの本を買ったとき、中をパラパラと見てみると、この本の最初の持ち主が、その部分にしっかりと傍線をひいていた。
 
ホモの読者にとっては、心にグサリと突き刺さる言葉であったのだろう。
 
そしてこの本は、第一部で世界史の中における男色史を述べ、続く第二部で文学に描かれた男性同士の恋愛を紹介し、第三部で具体的な男性同士の性行為のテクニックを述べている。
 
この本一冊で、ほぼホモという概念の全貌がつかめるという点では、基本図書的なものといえる。」
 
 
 
唐沢さんの書いていることが面白いので、書きたいと思ったことと違ってしまった。

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2019年2月16日 (土)

愛の潤滑液「ラブオイル」よ、永遠なれ!

「ラブオイル校長」とは、薔薇族編集長・伊藤文学のネットを見ている若者なら誰もが知っている仇名だ。
 
コートコーポレーションというゲイビデオの制作会社の監督に頼まれて、修学旅行に行く高校生の男女を前にして訓示をする校長の役をやってくれと頼まれてしまった。
 
母校の代沢小学校の裏手の桜並木が続く遊歩道で、スーツ姿で、7,8人の高校生? を前に、修学旅行中の注意をしゃべった。
 
男女の間でおかしなことになってはいけないと、男子生徒が欲望がおきて、どうにもならなくなったら「ラブオイル」を使いなさいと、男子生徒に手渡した。
 
なんというタイトルのビデオか忘れてしまったが、その部分だけをネットに載せてしまった人がいた。
 
それが面白かったのか、ネット上でひろがり、あっという間にぼくが「ラブオイル校長」の名で呼ばれるようになってしまった。
 
 
 
『薔薇族』の創刊が1971年、それから10数年後だったか、「こんなもの売ってくれませんか?」と、数本の見本を持って訪ねてきた男がいた。
 
その晩、風呂に入ったときに、精液のようなぬるぬるしたものをたっぷりオチンチンにぬってしごいてみた。
 
その快感はすばらしい。
 
たちまち天国行きだ。
 
これは売れるぞとひらめいて、販売することを即座に決めた。
 
 
 
嵐万作さんという器用な男がいた。
 
小説は書くし、男絵も描く、デザインもできるという、どれだけ『薔薇族』のために役立ったかわからないぐらいの人だった。
 
「愛の潤滑液・ラブオイル」と、ぼくが命名して、デザインを嵐万作さんに依頼した。
 
器用貧乏というのは、嵐万作さんのような人のことを言うのだろうか。
 
何をやってもうまくいかず、風の便りでは借金をたくさんしてしまって、どうにもならずに自殺してしまったと聞いたことがあった。
 
嵐万作さんがデザインしてくれた「ラブオイル」のケースや容器はすばらしい傑作だ。
 
赤い箱を見るとやりたくなってくるから不思議だ。(これはぼくの10数年前の話)
 
 
 
戦後の食べ物がない時代、大学に入学してからオナニーを覚えてやみつきになってしまった。
 
その時代はオナニーをすると、からだに害になると言われていたので、やめようと思ってもやめられない。
 
つばをつけたり、石鹸をぬったりしてしごくと、あとがひりひりして痛くなってしまう。
 
そんなときに『平凡パンチ』だかで、医学博士のお医者さんの「オナニーをしても害にならない」という小さな記事が載り、それを読んだときに気が楽になったことがあった。
 
 
 
父の出版の仕事を継ぐようになって、原稿を持ち込んできた秋山正美という変わった男。
 
オナニーの正しいやり方を書いたという原稿。
 
これを読んで、これは売れるぞとひらめいた。
 
エロ本ががらっと変わってゲイ向けの本ばかり出す出版社に変身。
 
そして『薔薇族』創刊へとつながった。
 
世の中、あっという間に変わってネットの時代に。
 
『薔薇族』は15年前に廃刊。
 
たちまち貧乏生活に。
 
ところが神はぼくを見捨てなかった。
 
「ラブオイル」は今でも売れ続けているのだ。
 
「ラブオイル」がなかったら、ぼくは首をつっていたかも知れない。
 
今でもゲイホテル、ポルノショップが売ってくれている。
 
ありがたいことだ。
 
ネット通販でも購入できる。
 
 
 
〒262−0013
千葉市花見川区犢橋町1664−15
NLS
電話:043−215−0086
 
 
 
恋人を作るのは面倒、自分で楽しもうという人、「ラブオイル」は必需品だ。

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2019年2月11日 (月)

貼るカイロの効用を広げたい!

東京は春のようにあたたかい日があると思うと、また寒い日に戻ったりはするが、比較的に晴天の日が続いている。
 
北海道の札幌に住む須賀裕子さん、ご主人は古本屋さん(店を持たずにネットで古書を売っているようだ)で、古本業界のことを本にしたりしている方で、古書の業界では名の知られている方のようだ。
 
その方の女房の裕子さんと、どうして知り合ったのかは忘れてしまっているが、ぼくのブログを読んで手紙をくれたのがきっかけだろう。
 
かなり以前から年賀状だけのお付き合いだが、北海道のじゃがいもを送ってくれたこともあった。
 
心臓病の手術で32歳で亡くなった妹の亭主が本好きで、札幌の古書店のご主人を訪ねて呑み明かしたという話を妹から聞いたことを覚えていたので、昨年の大晦日に草薙実くんが80歳で亡くなったということを葉書で知らせた。
 
草薙実くんのことは何も書いていなかったが、その返事が送られてきた。
 
 
 
「暖冬という予報にそぐわず、今年の冬は例年にも増して、かなりの寒さでうっかり冬眠などしてしまいそうです。
 
電気毛布では足りず、湯たんぽなど抱えて寝ていますが、カイロは盲点でした。
 
教えてくださってありがとうございます。
 
年を経るごとに冬越しもきつくなってまいりましたが、暖かいお気遣い本当におそれいります」と。
 
 
 
文中にあるカイロのことをブログを読んでくれている皆さんに知らせたかった。
 
このカイロのことは、ぼくが常連で通いつめているカフエ「つゆ艸」のママ、由美さんから教えてもらって、去年の冬から実行して、寒さ知らずで夜を過ごしている。
 
この製造会社からお礼をもらっているわけではないが、製造元は「アイリス・ファインプロダクツ株式会社」。
 
30ケ入で、600円ぐらい。
 
箱には「衣類に貼るタイプ・カイロ・ぽかぽか家族・日本製」と書いてあり、その効用は「足腰の冷え・通勤通学・屋外作業・レジャー・スポーツ観戦」とある。
 
これから皆さんに、付け加えたい偉大な効用をお知らせしたい。
 
 
 
夜、床に入る前にシーツの上に1枚、ちょうど寝たときに足の部分が当たるところに貼っておくだけのことだ。
 
このカイロ、持続時間が12時間とあるから、朝、目が覚めるまで、ふとんの中は適度なあたたかさを持ち続けるスグレモノだ。
 
朝、目が覚めたら今度はパジャマから着替えたシャツの上に貼っておけば、腰が昼すぎまでぽかぽかしていられる。
 
 
 
札幌の寒い中で寝ている古書店の女房の裕子さんが、その布団のあたたかさに驚いているぐらいだから間違いない。
 
シーツに貼る効用が広まったら、この貼るカイロ、売上が上がること間違いなしだ。
 
シーツに貼るのだから、ヤケドの心配はない。
 
ただし、薄いパンツの上に貼ったりするとヤケドをすることがある。
 
ぼくもヤケドしたことがあるからご注意を!
 
 
 
一日のポルノショップの売上が、250万、年商8億もあったというゲイ雑誌『Badi』が3月号で休刊ということになったようだ。
 
人もこの世を去ったときに、その人の評価がわかるというものだ。
 
雑誌もその通りだ。
 
『Badi』が消えたからといって、惜しむ読者は誰ひとりいない。
 
マスコミもどこも取り上げない。
 
月刊『サイゾー』の3月号、「伊藤文学の薔薇族・回顧譚」だけが、『Badi』の功績を高く評価している。

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2019年2月 9日 (土)

他人さまに支えられて幸せ者だ!

2019年、今年最初の「文ちゃんと語る会」は、1月26日(土)午前11時から午後1時まで、器と珈琲の店「織部 下北沢店」で催された。
 
東京大学大学院教授・静岡県立美術館館長でもある木下直之先生が、鎌倉の自宅からわざわざ参加してくれた。
 
2015年には紫綬褒章も受章されている偉い先生だ。
 
こんな方が気軽に「文ちゃんと語る会」に参加してくれ、お話もしてくれてコーヒー代もご自分で払ってくれる。
 
A
 
「文ちゃんと語る会」は、ぼくのブログを読んでくれている人たちが参加してくれて、おしゃべりをする会で、もう忘れてしまっているが、10年は細々と続いている。
 
もうやめてしまおうと思ったこともあったが、会場を4度も変えて、今では「織部」の店長の支援で3年にもなる。
 
もちろん自分のコーヒー代は自分持ちだ。
 
高齢者にとって初めて会う人たちとおしゃべりすることが、脳の刺激になり、ボケなり要因にもなるようだから……。
 
 
 
今年最初の「文ちゃんと語る会」は、15人も出席してくれたが、残念なことだが女性はおひとりだった。
 
この女性は木下先生の個展でのパーティーで知り合った若い女性で、フランスにも住んでいたことがあり、パリで木下さんと出会ったのだそうだ。
 
お若いのに古いことをよく知っている方なので、パーティーが終わってから、カフエで長いことおしゃべりしてしまった方だ。
 
この方は先妻の舞踊家、ミカが栗田勇さん原作の『愛奴』を舞踊化したおりに、作曲をしてくれた前衛音楽の第一人者の一柳慧さんと親しい方だ。
 
一柳さんに50年も前の話をしてくれたら、よく覚えていてくれて、なつかしがっておられたそうだ。
 
ぼくが耳が遠くなってきたという話をブログに書いたのを読んで、秋葉原の電気街で部品を買い集めて補聴器を作って持ってきてくれた方もいた。
 
テレビの音を大きくするので、女房などに嫌がられるが、これを使ったらテレビの音が小さくてもよく聞こえるではないか。
 
なんともありがたいことだ。
 
2月16日の「文ちゃんと語る会」でも、この補聴器を使ってみんなとおしゃべりしたい。
 
 
 
年をとるとからだのいろんなところが、おとろえてくるのは仕方がないことだ。
 
脚がよわってきているが、毎日、買物をかねて下北沢駅前のスーパー「オオゼキ」まで、途中で休まずに歩いている。
 
脚が弱ってきていることもブログに書いたのを読んで、「加齢で衰える歩行能力を維持・歩く力」という薬(30日分)を薬屋で購入してプレゼントしてくれた人も。
 
この人は『薔薇族』に苦労してモデルを見つけ、写真を撮ってくれた人だ。
 
この人の写真のモデルが若い青年で、評判のよかったカメラマンだ。
 
 
 
もうひとりの人は、新潟から駆けつけてきた方で、新築になった3階建ての薔薇の館の3階(16畳の大広間)で、読者の大学生ばかりを集めて会を開いたことがあったが、そのときに参加し、新宿の「祭」にも何度も通ってくれたそうだ。
 
女房の古里にオープンさせた「ロマンの泉美術館」にも何回も見に来てくれたとか。
 
この人は、言うに言えないみやげ物をくれたではないか。
 
感謝なんて言えないようなものだった。
 
 
 
横須賀市から中学2年生の男の子が、ぼくのブログをよく読んでくれていて参加してくれた。
 
この少年の飲食代、回転寿司で食事をしたお金を払ってくれた人も。
 
いろんな人に支えられて、ぼくはなんという幸せ者だ。

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2019年2月 4日 (月)

下北沢の町から有名なコンビが生まれてほしい!

87歳にもなって脚、腰が弱まってしまって、歩けなくなってしまったらお終いだと思い、下北沢駅前のスーパー「オオゼキ」へ、買い物をかねて、自宅から杖をついて歩いている。
 
ここ数年、家計簿もつけているから、2ヶ月に1度、ゆうちょ銀行に振り込まれる174450円の年金のことを考えながら買い物をしている。
 
女房は買い物に行かないから主婦の感覚になってしまっていて、新聞に折り込まれているオオゼキのチラシを見ての買い物だ。
 
一時高かった大根や、トマト、キューリなども最近は安くなってきている。
 
 
 
南口の商店街を歩いていると、若者が何人もお笑いの劇場の誘いを呼びかけているのに出会うことがある。
 
お笑いの芸人といえば、『薔薇族』を出し続けていた頃は、横山やすしさんと週刊誌で対談し、単行本になったときも入れてくれている。
 
吉本の人に頼まれて、次長課長のコンビとか、カウカウのコンビも表紙に使ってあげたり、大勢の吉本のお笑い芸人を裸にして写真に撮り、表紙にも使い、グラビア頁にも取り上げたこともあった。
 
この人たちも努力の甲斐があり、テレビに出られるようになったコンビもいたので、うれしかったことを覚えている。
 
 
 
呼び込みの若者に連れられて、「下北沢ミネルヴァ」という地下の劇場に行ってみた。
 
本多劇場のすぐそばの「「劇」小劇場」の路地を入ったところにある。
 
急な階段で手すりがない。
 
若者が親切に手を引いておろしてくれた。
 
年寄りの行くところではない。
 
ぼくみたいな酔狂な年寄りでなければ、この階段はおりられない。
 
すでにコンビの漫才は始まっていた。
 
一番前から二番目の席が空いていたのでそこに座った。
 
コンビが2、3組でしゃべるのかと思ったら、1組のコンビの芸は4、5分。
 
次から次へと出てくるではないか。
 
観客はほとんど若い女性で20人ばかり。
 
入場料は各回40分ほどの時間で500円。
 
となりの若い女性は、ゲラゲラ笑っているが、マイクの前でしゃべっているのに、話の内容が耳が遠くなっているぼくにはよく分からない。
 
しゃべっていることがよく聞き取れないのでは笑いようがない。
 
しかし、1組のコンビが退場すると音楽が鳴って、次から次へと出てくるのには驚いた。
 
彼らは何年も修行をして、テレビにも出演できるような芸人になろうと思って頑張っているのだろうが、芸人の世界はきびしい。
 
この中から芸で食べられるようになるコンビが生まれるのだろうか。
 
ネタはそれぞれのコンビが考えるのだろうが、話すネタが観客に受けるかどうかだ。
 
彼らのジェスチャーは、目はよく見えるので動きはかなり練習しているなということは伝わってくる。
 
それぞれ熱演しているので、短い時間だけど迫力はある。
 
ジャニー喜多川さんは、舞台で変わったことをやれと言ったそうだが、誰もがやるようなことをしていたのでは、今の世の中、受け入れられない。
 
発想の変わったもの、誰も考えられないようなことをやらなければどうにもならない。
 
街を歩いていても、電車に乗っていても周りの人間を観察し、新聞、週刊誌、本も読んで面白いネタを発見しなければ、ただの思いつきだけの話題がネタでは、人を心から感動させ、笑わすことはできない。
 
 
 
吉本とは関係ない別会社の芸人たちだそうだが、どのくらいの数の芸人たちがいるのだろうか。
 
下北沢からすばらしいコンビが生まれてほしいものだ。
 
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みんな個性的ないい若者たちだ
 
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2019年2月 2日 (土)

たばこを嫌うだけでなく知ってもらいたいこと!

渋谷駅から歩いて4、5分の公園通りに「たばこと塩の博物館」があったのを覚えている人は少ないだろう。
 
ここ数年、たばこの害に対しての規則がやかましくなり、オリンピックを前に、たばこを吸う人は肩身が狭くなっている。
 
ぼくはたばこを吸ったことがないから、別に気にすることもないのだが、たばこの箱に害になることが書かれている。
 
これは法律で書くことが決められているのだろうが、商品に害になると書いて売っているものはたばこだけだ。
 
吸っている人は百も承知で吸っているのだから、そんなこと書く必要はない。
 
たばこ屋の店先で後ろめたいように、たばこを吸っている人たちを見かけると、あわれに思えてしまう。
 
 
 
2003年9月6日〜10月19日まで、「たばこと塩の博物館」で、「葉巻の箱の小さな芸術・シガーラベルの世界」と題して、キューバのラベルが展示された。
 
たばこは500年以上も前から、いくつもの芸術品を残している。
 
ぼくもシガーラベルの美しさに魅せられてコレクションしてきた。
 
フランス製の19世紀に作られたブロンズの灰皿も数百個も集めたことがある。
 
「たばこと塩の博物館」の「シガーラベルの世界」のチラシには、こんなことが書かれていた。
 
 
 
「葉巻を入れた箱のふたの裏側には、「ビュー(View)」と呼ばれる美しいラベル=シガーラベルが貼られていることがあります。
 
現代のシガーラベルのほとんどは、写真製版技術を用いて作られたものですが、かつては18世紀末に生み出され、19世紀を通じて発展した石版印刷技術を駆使して制作されたシガーラベルが主流を占めていました。
 
とくに1890年代から、1920年代にかけて制作されたキューバや、アメリカ合衆国のシガーラベルは、当時絶頂期にあった葉巻産業を象徴するかのような、豪華で華麗なものが多く見られます。
 
ラベルに描かれた内容は、葉巻の銘柄を記しただけのシンプルなものから、有名な人物の肖像、風景、動物、あるいは葉巻の愛用者が主に男性であったことから美しい女性が描かれたものなど、非常にバラエティーに富んでいます。」
 
 
 
葉巻は高価なものだけに、より豪華に見せるために、マホガニーの木箱に束にして入れられていて、その箱の裏側にラベルが貼られている。
 
印刷に金箔を多く使っているので長い年月が経っているのに、その輝きは今も変わることはない。
 
たばこが生み出した芸術は、シガーラベルだけではない。
 
女房の古里の新潟県弥彦村に車で行く途中に、燕三条という町があり、そこにキセルやたばこ盆などを展示した美術館があった。
 
それは見事な細工が職人の手によって作られ、すばらしい芸術作品になっていた。
 
清水次郎長が愛用した、たばこ盆も飾られていたが、今は時代の流れで閉館になっているようだ。
 
 
 
とにかくぼくは昭和30年代、40年代に製作された時代劇にとりつかれて、午前中は何作品かを見ている。
 
池波正太郎原作の「鬼平犯科帳」「剣客商売」「江戸の旋風」などは何度見ても飽きることはない。
 
「鬼平犯科帳」の監督、高瀬昌彦さんと友人になってから、吉右衛門主演の「鬼平犯科帳」を見続けているが、名作揃いでもう二度とこのような作品は製作できないだろう。
 
鬼平が劇中でキセルできざみたばこを吸うシーンは、文章で言えば句読点のようなものでなくてはならないものだ。
 
時代の流れでたばこを規制するのは仕方がないが、たばこが生み出したいい所も知ってもらいたいものだ。
 
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19世紀のブロンズの灰皿
 
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キューバのシガーラベル

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