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2019年2月23日 (土)

次々とゲイ雑誌が消えて!

2007年1月号の幻冬舎刊『GOETHE(ゲーテ)』に、ぼくの著書の『薔薇族編集長』の紹介記事が写真入りで載っている。
 
取材と文は唐沢俊一さんで、ぼくが言いたいことを理解して、忠実に書いてくれている。
 
見出しには「同性愛者がこぞって読み込んだ伝説の雑誌には父親のまなざしがあった」と。
 
茂呂幸正さん撮影のぼくの写真がいい。
 
この文章はどうしても残しておきたいので、引用させてもらう。
 
B
C
 
「日本にクリエイターは多いがコーディネーターは滅多にいないという嘆きをよく聞く。
 
コーディネーターとは、文化を生み出す「場」を設定する人物を言う。
 
どんな天才クリエイターであっても、作品を発表する場が無くてはどうしようもない。
 
日本人に世界に通用する才能がなかなか育たないのは、この「場」をコーディネートできる人物が少ないからだとも言われている。
 
そういう面で言えば、日本におけるゲイカルチャーは幸運だったのかも知れない。
 
1971年にすでに、ホモの男性たちの交流の場として、日本初のホモ専門誌『薔薇族』を創刊させ、文化を育てるその土壌を育成させた伊藤文学という人が存在したからである。
 
本書はいわば日本のゲイカルチャーの「創造史」でもあるのだ。
 
伊藤さんが作り上げたその「場」には、美輪明宏、寺山修司、内藤ルネといった異才たちが集い、長谷川サダオ、木村べん、田亀源五郎などの異色の才能が育っていった。
 
自らはホモでも何でもない伊藤氏が、そのような場を作り上げようとした理由は何か。
 
 
 
「自分の性的指向を打ち明けられずに苦しんでいる人が、誰にもはばからず、自分はホモであると、発言できる場所を作りたかったんですよ」
 
 
 
その状況は、はるかに性に対し開放的になったはずの、35年後の現在でもなお社会に根強く残る。
 
「この人ならわかってくれるのでは」という最後の願いをこめて伊藤氏に手紙や電話をよこす人が「今でも月に何人かはいます」という。
 
しかし、表では一般人として過ごし、裏ではホモである自分に悩む彼らに、伊藤さんが与えるサジスチョンは、最近流行のカミングアウトを勧めるものではない。
 
 
 
「秘められた性は秘められたまま墓場まで持っていく方が幸せなこともあるんです」
 
 
 
というのがスタンスだ。
 
最近のゲイリブ関係からは、その姿勢に対する批判もある。
 
しかし、35年間、日本社会におけるホモの人々の苦悩と向き合ってきた伊藤さんの主張には重みがある。
 
悩めるゲイたちに時には優しく、時には厳しく言葉をかける伊藤さんの姿は、きわめて日本的な父親像に重なる。
 
日本のゲイカルチャーが欧米とは一味ちがう、独自のものとなっているのは、伊藤文学という人間がそこに存在し、しっかりと「場」作りのしごとをしていた、というその理由によるのだろう。」
 
 
 
ゲイ雑誌がネットやスマホが普及するにつれて、次々と姿を消していった。
 
確かに『薔薇族』は、才能のある人たちの小説、劇画、写真などの発表の場だった。
 
NHKのアナウンサーで活躍された楯四郎さん、初めて書いた短編小説が載ったので、それから次々と力作を寄せられ、アメリカで翻訳されるまでになった。
 
笹岡作治さん(ぼくが命名したペンネーム)もSM小説の力作を残され、単行本にもなった方だ。
 
他にも素晴らしい小説を誌上に発表された方は数知れずだ。
 
劇画では山川純一君、『薔薇族』だけにしか作品を残さなかった。
 
これからの時代、発表する場が無くなって、才能ある人々はどうなるのか心配でならない。

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