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2019年2月25日 (月)

『薔薇族』創刊号の表紙絵の少年に!

上野駅から京成電鉄をつなぐ地下道に、戦後、焼け出されて家を失った人たち、戦災孤児などが、こも(草で作ったむしろ。当時はダンボールはなかった)をひいて寝転んでいた。
 
駅側は困りはてて、片側をお店にして貸し出した。
 
その中にカーテンだけで囲ったゲイバアも何軒かあり、年老いたご夫婦でエロ本ばかりを売る丸富士屋書店もあった。
 
ぼくはご主人にお願いして『薔薇族』の創刊号から置かせてもらった。
 
表通りに車を停めて、息子を乗せる乳母車に載せて運び込んだものだ。
 
 
 
楯四郎さん。
 
名作を数多く残してくれたNHKラジオのアナウンサーで、子供の頃から下町に住んでおり、お父さんに連れられて、演劇や、歌舞伎、映画などを見ていたので演芸物の司会を得意としていた方だ。
 
創刊号をこの丸富士書店で買い求めたときのことを書き残している。
 
 
 
「夏の終わりが近づいてくると、いつも、物憂い。
 
遊びすぎた時間が遠のいていくからである。
 
上野の国鉄(現在のJR)から京成に通じる地下道は、その物憂さがよく似合う道だった。
 
くすんだ灰色の道である。
 
その夜……というのは10年前のある夜、灰色の中にポツンと黄色い1点が浮き、それがたちまち私の目の中いっぱいに広がった。
 
これが私と『薔薇族』の出逢いである。
 
地下道の片側には、10人も入ればいっぱいになる酒場……もちろん仲間の……ちっぽけな店が数軒ならんでいた。
 
その中のひとつ……なんの飾りもなく、愛想もないが居心地も悪くない……互いに干渉せず、それでいてやさしく、少し哀しげな目つきの、歌いもしない男たちが集まってくるちょっと湿った店に、私は時に足を運んでいた。
 
店の並びに、そこだけは扉がなく、いくらか地下道に張り出した木の台いっぱいにポルノ雑誌を……といっても、当時、そんな表現はせずエロ本と呼んでいた雑誌を……裸電球があかあかと照らしている本屋があった。
 
いつもチラリと視線を投げるだけで通り過ぎてしまう私の、その夜、ふと足をとめさせたのが、黄色い表紙の、うすっぺらな雑誌である。
 
……というよりも、その表紙に描かれている少年のオレンジ色のTシャツを着て、むき出しの足をかかえている少年の場違いな戸惑いの瞳に……描きかたが素人っぽいだけに、かえって新鮮な表紙の少年に、ほとんど一目ぼれしたのだと思う。
 
0
 
だが、すでに私は、この雑誌のやがて発行されることを……伊藤文学さんが何かに書いていた文章を以前に読んで知っていた。
 
雑誌を買うのに躊躇はなかった。
 
それというのも一番上の一冊だけはむきだしのままだが、その下に積んであるのはすべてカバアをかけている丸冨士書店の客の顔にいちいち好奇の目などは決して向けない店主の心遣いがあったためと、客同士まったく関心をかわさない都会の気安さのせいであった。
 
地下道を出て、公園わきの街灯の下で、私はページをめくった。
 
上質の紙面に街灯の青白い光が落ちていた。
 
……青白い街灯の下で『薔薇族』をめくった記憶は、その後、もう1回だけ、私にはある。」(『薔薇族』創刊10周年記念特別号)
 
 
 
「もう1回だけ『薔薇族』を街灯の下で読んだ記憶」というのは、楯さんの処女作が載った創刊7号目を読んだときのことだ。
 
唐沢俊一さんが『薔薇族』の果たした大きな役目は、発表の場を才能ある読者に与えたことだと書いてくれたが、楯さんはまさにその通りだった。
 
丸富士書店の老夫婦のことは忘れることはできない。
 

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そのアナウンサーの方は、勤務先の個人情報を公開していたのですか?

投稿: | 2019年2月28日 (木) 00時55分

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