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2019年3月25日 (月)

昭和の時代のエロには愛があった!

朝日新聞の記者というイメージは、いかにもインテリでスーツを着てネクタイをぴしっと締めた人のように思うが、この本の著者である小泉信一さんは、全く違う人だ。
 
ゲイなどというものを毛嫌いするような朝日新聞が、『薔薇族』と編集長の伊藤文学を初めて記事にしてくれたのが小泉信一さんだ。
 
もう30年以上も前のことで忘れてしまっているが、それからのお付き合いで、先妻の舞踊家、伊藤ミカとの出逢いから、33歳で事故死するまでを綴った『裸の女房』を出版したときも、大きな記事を書いてくれた。
 
最近、朝日新聞出版から『裏・昭和史探検』(定価¥1300+税)という本を出版された。
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奇人、変人という言葉があるが、小泉さんのスーツ姿って一度も見たことがない。
 
朝日新聞の記者とはとても思えない、ひげ面で髪の毛はぼうぼう、着ている服も古着みたいで下北沢の街には似合うような人だ。
 
川崎って行ったことがないが、想像するにあまりおしゃれな街とは思えないが、川崎で生まれ育った人のようだ。
 
この本は週刊朝日に連載したものと、「昭和のエロには愛があった」というタイトルで、風俗業界の動きは昭和のほうが圧倒的に面白かった。
 
アナログでデタラメでインチキだけど、人間味あふれるホンモノ。
 
そんな昭和のエロを名物編集者、末井昭さんと語り合った、とある小泉さんとの対談はめっぽう面白い。
 
日本が不景気になり、活気がなくなって元気がない、平成の時代に育った若者には到底想像がつかない戦後の昭和時代の裏話を知ってもらいたい。
 
 
 
まえがきに小泉さんは、こんなことを書いている・
 
「そろそろ平成も終わる。どんな時代を私たちは迎えるのだろうか。ただ郷愁を込めて言えることは、昭和とは実に人間くさい時代だった」と。
 
「「額縁ショー」「トルコ」「愛人バンク」「テレクラ」……。
 
「カストリ雑誌」や「のぞき部屋」も昭和の産物だ。
 
法規制に抗しつつ、なんとか生き延びてきた風俗。
 
伝説の街娼ヨコハマメリーは横浜から姿を消し、故郷の中国地方の施設で亡くなったという。
 
正史では取り上げられることのない人々や好色の徒たち。
 
その素顔に迫ろうと週刊朝日で不定期ながら連載が始まったのは平成28(2016)年の春だ。」
 
 
 
よくまあ、いろんな人と出会い取材し、文献を調べて書いたものだ。
 
当然、「薔薇族=著名人も愛したゲイ雑誌」のタイトルで藤田竜表紙絵のなつかしい創刊号とぼくの写真も載って、6頁も紹介されている。
 
2004年9月22日、朝日新聞は夕刊の社会面で「発売中の382号を最後に『薔薇族』が廃刊する」と報じてくれたのが小泉さんだ。
 
2019年3月23日に下北沢のカフエ「織部」で「文ちゃん87歳・誕生日を祝う会」を開くが、2019年3月21日の朝日新聞朝刊に「伊藤文学さんが語る催し23日に」のタイトルで予告を書いてくれた。
 
短歌を通じて学生時代に知り合い、ぼくが催すパーティには必ず参加してくれた学芸大出身で教師をやっていた金田義直君(亡くなっている)の奥さんが、新聞を見たと言って電話をかけてくれた。
 
「生きていたら参加したろうに」と。
 
 
 
「昭和の時代のエロには愛があった」この言葉は小泉さんの名言だ。
 
『薔薇族』も読者に愛を持ち、おもいやりを持ち続けたことは、他誌とは違うところだ。
 
小泉さんよりは長く生きているから、昭和のエロの裏話をこれからも書き続けていく。

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コメント

かつてはトルコ・大使館という名前のトルコ風呂が有った。結局トルコ人の抗議からトルコ風呂という名前が使えなくなり、日本全国でソープランドという名前になった。
トルコ風呂という名前の始まりは昭和33年の売春防止法がキッカケで、表向きは売春はしないという建前の売春施設だった。使わないのに、当局の指導で首から下の蒸風呂が置いて有りました。
葛飾区柴又の帝釈天の門前には、キングトルコというトルコ風呂が有った。駅から行くとバス通りを渡って門前商店街を進むと右側にデカイ看板が見えた。
門前商店街は夜はやらないので、夜中には目立ってましたね。寅さんシリーズでは何故か出てこないのが残念。

投稿: トルコ大使館とキングトルコ | 2019年3月28日 (木) 00時07分

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