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2019年5月 6日 (月)

『薔薇族』がエイズ予防の防波堤に!

アメリカでエイズが大騒ぎになったころ、日本にも感染者がでるのではと、日本のマスコミは、からだ中にブツブツができたエイズ感染者の映像を、テレビではとくに、くり返し、くり返し放映した。
 
エイズが海を越えて日本に入ってきたとき、同性愛の雑誌『薔薇族』のようなものを出しているから、エイズが広がるんだと、雑誌をつぶされてしまうのではと危機感をもった。
 
その頃、梅毒や淋病に感染した読者も多かった。
 
泌尿器科の医院が近所にあったとしても行きにくいものだ。
 
銀座の三原橋病院の柳沢先生が、読者に対しての理解者なので、先生にお願いして読者を紹介するように「編集室から」に毎号書いていた。
 
病気のことだけでなく、肛門にゴルフボールまで入れてしまってとれなくなり、ぼくに電話してくると、三原橋医院を教えてあげていた。
 
多くの読者が柳沢先生のお世話になったことか。
 
 
 
某大学の膠原病内科のM講師(現在は教授)の日本におけるエイズ第1例発見の記事を読んだ柳沢先生がM教授と相談して、日本にエイズの感染者がいるかを調べようとしたが、どうやって集めていいか分からず『薔薇族』に協力を求めてきた。
 
そこでぼくは誌上で「某大学病院研究班と第一線医師によるエイズ特別相談」を秘密厳守で、1985年の7月2日、5日、9日、12日の4日間、三原橋医院で時間を分けて、百名の人を検査することにした。
 
全国からエイズに感染しているのではと、心配している読者が集まった。
 
その結果、百名中、3名の陽性者を見つけ出したのだが、なぜか某大学病院のM教授から報告がなく、しばらくしてその検査のことが新聞紙上で報告されたが、なんと『薔薇族』の協力なしでは出来なかったことなのに、まったく無視されてしまった。
 
柳沢先生がぼくにくれた私信で「当日の検査結果について私にも連絡がなく、一番お世話になった伊藤さんにも失礼の極みで、今日まで心にひっかかっていましたことをお許しください。
 
昨今の報道のごとく、サーベランスの委員連中の真実をただただ隠したいという結果ゆえと思っています。(今にして思えば)」と怒っておられる。
 
 
 
日本のエイズ患者第1号は、本当は血友病の人なのに、アメリカで感染して、日本に帰国していた日本人男性を当時の厚生省と、某大学病院がデッチあげて第1号患者にしてしまった。
 
血友病患者を第1号にしてしまったら、厚生省の責任になるので、某大学病院と共謀してデッチあげてしまったことは間違いない。
 
なぜなら同性愛者同士の殺人事件や、空き巣の事件など、紙上に書くとゲイの世界は狭いから必ず逮捕されてしまっているのに、この第1号にされてしまった日本人は、紙上に書いてもどうしても見つからなかった。
 
確か読売新聞と、週刊ポストの記者が執拗に見つけ出そうとしたが、ついに見つけられなかった。
 
ぼくは今でも架空の患者だったのではないかと疑っている。
 
 
 
その後、帝京大学付属病院の松田重三先生の指導のもとに『薔薇族』誌上で、エイズ予防のキャンペーンを毎号くりひろげ、病院に読者専用のエイズ検査の窓口を作ってもらって、読者を多数送り込んだ。
 
同性愛者のエイズ患者が、それほど多く出なかったことは、エイズ予防の防波堤になったのではと自負している。
 
あの時代、藤田竜君と、ぼくと、あんなにエイズ予防のために真剣に取り組んだことはなかったのでは……。

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