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2019年7月27日 (土)

昔からの女性は、男よりも強かった!

2019年6月にしばらくぶりに女房の古里の弥彦村(新潟県)の別荘に行ってきた。「ロマンの泉美術館」(今は廃墟になっている)のフアンだった女性が、上越新幹線の「燕三条」駅まで車で待ってくれていて、別荘まで運んでくれるという。
 
 なんとガスが止められていて風呂に入れないので、ダンボールに入ったままのものを開いて、捨てるものと置いとくものを選び出してきた。その時持ち帰った92年前、昭和2年刊行の「文藝市場」という雑誌。
 
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サトウ・ハチローさんという詩人のエッセイ「東京不良少年往来」が載っている。若い頃、キングレコードのディレクターの友人、長田暁二君に連れられてお会いしたことがある。ぼくも長田くんも長生きしているということだ。
 
日本性愛奥義篇の秘具篇、張型考とある。これはオナニーをするときの道具のことだ。
 
他に獣姦雑考なども、とんでもない読物ばかりが載っている。その中に小座間茂さんという方の「死刑執行所覗き」はわかりやすいが、どういう仕事をされていて書かれたものかは不明だ。
 
昔の文章を読むのは大変だ。わかりやすくして興味のあるところを紹介したいと思う。こんな話が載っている。
 
 
 
「明治40年7月、仙台の第2師団の軍法会議で死刑を言い渡された一人の兵士がいた。
 
宮城県石狩郡の農家の山川藤五郎(27歳)で、死刑になる理由は、入営前からあるお茶屋の若い女と深い仲になっていたが、入営後は日曜ごとの休みの日でないと、逢うことができないので悩んでいた。そのうちに女が、足遠くなってきた藤五郎に飽き足らず、他に男ができて、一緒になろうとしている話を噂で聞いた。藤五郎は無理にでもその女と一緒になろうと決心したが、軍隊からは抜けられない。軍隊から脱走したが、すぐに発見されて、重営倉に投げ込まれてしまった。
 
それでも女を諦めきれずに、深夜に営倉から逃げ出して、兵舎に放火してしまう。八百屋お七(江戸時代の話)とよく似た気持ちの話である。
 
それも不幸に見つけられて、ついに死刑を言い渡されてしまった。そこで上官は藤五郎と戦友仲で、最も親しかった3名の兵士が選ばれて、3名の一斉射撃で銃殺されたという。」
 
 
 
銃殺されたのは、藤五郎で終わりで、それからは一般死刑囚と同じように、絞首刑になった。
 
昭和の初めの時代、毎年死刑になる者の数は、30名ぐらいである。試みに過去45年の統計を見ると、大正10年に31人、同11年に30人、同12年に28人、同13年に13人、同14年に11人死刑執行されている。直接執行の任に当たる刑務所長の話によると、裁判所で罪を裁かれるときは、男より女の方が女々しいが、いざ死刑を宣告されて、獄中にある間、まは執行の場合などになると、男より女の方が覚悟がいい。女性の方が死にたいして従順である。
 
男は死刑執行となると、狂人のようになって騒いだり、泣いたりするが、女性は涙一滴も流さないという。
 
かなり古い話だが(江戸時代)有名な高橋お伝という女が死刑になった。獄中で教誨師が「何か言いたいことはないか?」と尋ねたら、お伝は「別に言いたいことはないが、腹が空いたから何か食べさせてもらいたい」と落ち着き払って食べ物を注文した。
 
看守が今でいう親子丼のようなものを持ってくると、ペロリと平らげて、絞首台に上り死についたという。
 
人間、死刑にならなくても、死は必ずやってくる。落ち着いて死にたいものだ。

 

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「文藝市場」の裏表紙・三越は呉服店

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