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2019年7月13日 (土)

「文学」という名前は?

ぼくが愛読(本当は購読料が一番安いからだ)している東京新聞2019.7.1の朝刊に「紙つぶて」というコラムがあり、三田文学の副編集長・粂川麻里生さんが気になる「文学とは」というタイトルで書いている。慶応大学出の優秀な方なのだろう。後半の文章が難しい。引用させていただく。
 
 
 
「文学というものが昨今甚だ旗色が悪い。各大学では「文学部」は続々と解体・改組に追い込まれているし、文芸雑誌はどんどん廃刊だ。文部科学省は国語教育から「文学」の要素は極力減らしていく構えだ。ディランがノーベル文学賞を受賞すれば大騒ぎになり「ハルキは?」とも話題になるが、大多数の方々にとって文学はまるでいらないものなのだ。しかし、ちょっと待っていただきたい。皆さんは文学とは何か、お分かりの上でそういう態度をとっておられるのだろうか。
 
文科省の役人は、国語科目から減らすべき「文学」とは「フィクション」であると説明した(苦笑)。優秀なる官僚がその程度であるから仕方ないが、本当は文学とは「人間」のことである。古代以来、欧州では文学こそ「神」や「国家」の前で「人間」を担保するものであり続けた(今は欧州人も忘れているフシもあるが)嘘だと思うなら、「人間」を定義してみていただきたい。どうやっても「人権」とか「自由」の基礎になるような定義は出てこないはずだ。「人間」は定義できない。「文学」で描くしかないのである。
 
もちろん、ちゃんと「人間」に挑んでいない現代文学にも責任はある。しかし人間不在の社会運営、高位の人々の言葉の貧困を見るにつけ、近い将来「文学」は立ち上がらなければならないと感じる」
 
 
 
昭和7年に姉が生まれた後に、男子が生まれたので、子供の頃から文章を書くのが好きだった文学青年の父は、「文学」と名付けた。87年間生きてきて同じ名前の方にお会いしたことはない。嫌煙運動をしている方が、ぼくが経営していたカフエ「薔薇の小部屋」に訪ねてきたことがあった。この方のお父さんはロシア文学の研究者だったので「文学」と名付けたそうだが、ブンガクではなく読み方が違っていた。
 
「文学」と名付けられて良かったことってあまりなかったが、駒大は坊さんの大学なのでモンガクと呼ばれてしまった。
 
警視庁の風紀係に始末書を書きに行ったとき、係官に「いい名前ですね」と言われたぐらいしかない。
 
ぼくは国文科に入学したものの、万葉集や源氏物語など読んだことはない。小説も「坊ちゃん」とか「出家とその弟子」ぐらいは読んだ記憶があるが、現代文学など全く読んでいない。
 
『編集会議』という雑誌が愛読書を何冊か選べと、いろんな雑誌の編集長にアンケートしたことがあったが、ぼくは仕方がないので、篠山紀信さんの『巴里』という写真集?を愛読書にしてしまった。
 
 
 
「文学とは「人間」のことである。」もう、その辺から理解できない。粂川さんの「「人間」は定義できない。「文学」で描くしかないのである。」いよいよわからない。
 
最後の「高位の人々の言葉の貧困を見るにつけ、近い将来「文学」は立ち上がらなければならないと感じる。」
 
「高位の人々」ってどんな人のことか、政治家、宗教家、校長、みんな言葉の貧困さを確かに感じる。
 
国文科を卒業したって、学んだことを活用できる職場がない。大学が企業の予備校化しているのだから文学部など必要がないのだろう。
 
 
 
「文学」いい名前だ。父親にはこれだけは感謝している。ぼくなりに「文学」の名前に、恥じないように生きていきたい。

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