« 昔からの女性は、男よりも強かった! | トップページ | イベントのお知らせ »

2019年7月29日 (月)

ふるさとを捨てた人びとにやっと!

ぼくの父、祷一は「合同歌集・ふるさとを捨てて・伊藤柳涯子編・高原川柳会刊」のあとがきに、こんなことを書いている。
  
A_20190730001901
 
「中学時代から俳句を高浜虚子に、日華事変ごろから短歌を斎藤茂吉に、川柳は斯界の巨匠、岸本水府に選んでもらい、師事できたので選者運は最高だと言ってよいと思う。ところがご本人が一筋の道を踏み通せなかったからしかたがなく、正岡子規よろしく短歌、俳句ぐらいにしておけばまだしも、川柳にまで手を染めたのだから、ついに収拾がつかなくなってしまった」と。
 
短歌もいい作品を残しているが、一番川柳が良かったのでは。
 
 人生は旅その旅で逢った人
 
ぼくも87歳まで生きてきて多くの人との出逢いがあったことを思い出させる。しみじみとしたいい句だ。
 
 
 
父はハンセン氏病の人たちのことを世に訴えたいと何冊も本を出版しているが、自らも草津にある「栗生楽泉園」(ハンセン氏病の人たちを収容する施設、一生ここから出られない)に通い詰めて、川柳を指導し、合同句集を出版している。昭和47年・11月刊。
 
ハンセン氏病は感染率が非常に低いにも関わらず、強制的に施設に入れられ、女性は妊娠ができないようにされ、一生を過ごすことになる。その家族も周囲の人たちから冷たい目で見られ、差別された。
 
それが最近になってやっと国が謝罪し、家族にまで生活を保障されるようになった。父もあの世で喜んでいるだろう。
 
施設から外に出ることができないのだから、短歌、俳句を学ぶ人も多く、川柳も父の指導で句集まで出すようになってきている。
 
歌集を探し出せないが、熊本のハンセン氏病の施設に入って作歌している伊藤保という歌壇では有名な方で、第二書房から「歌集・仰日」を出版し話題になったことがある。
 
伊藤保さんにも66年前に出した豆歌集「渦」を送ったようだ。そのお礼状の葉書が残っていた。
 
B_20190730001901
 
「私はいつも簡単に美しい、こんな歌集で早く出版して世の人々に読んでもらえるようにしたら、かえってよいであろうと思っていました。ご内容については、ゆっくりと読ませていただきます」と、豆本のアイデアを褒めてくれている。
 
 一つ顔を想い描きて歩みゆく舗道に軟き部分を感ず
 
 日を受けて透きとおる靴下が垂れている窓を見てより君の扉に立つ
 
「感覚の新鮮、感情のやさしさ、こまやか、青春歌集としての意義を大きく見たい」
 
今は亡きハンセン氏病の短歌の第一人者からのお目の言葉は嬉しい。長い年月、差別と偏見から解き放された、今の時代だから余計に感じる。
 
 
 里恋し流れる雲にことよせて
 
 ふるさとは捨てたはずだが目に浮かぶ
 
 隠れ病む故郷はポストだけが知り
 
 夢でよし捨てた故郷が見たいもの
 
 生きのびていればいつかは逢える顔
 
 ふるさとを語るしあわせ持って病む
 
 母のもと離れて母のありがたみ
 
 
 
 ふたたび帰ることができない古里をしのびつつの川柳。つらい句ばかりだ。

 

|

« 昔からの女性は、男よりも強かった! | トップページ | イベントのお知らせ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 昔からの女性は、男よりも強かった! | トップページ | イベントのお知らせ »