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2019年7月 8日 (月)

世田谷学園、柔道部栄光の影に!

去年の6月ごろのことだったろうか。母校世田谷学園の同窓会総会が開かれた。卒業生は10万人以上いるのだろうが、その全員に総会開催の日時が郵送される。この費用だけでも莫大な費用がかかると思うが、広い階段教室に集まる出席者は3、40人に過ぎない。
 
若い卒業生は誰一人来ない。集まるのは年配の卒業生だけだ。校長の挨拶があり、事業報告など数字が並べるだけ。質問は? といっても質問する人は誰一人いない。「異議なし」と拍手して、2、30分で終わり。
 
これじゃ馬鹿らしくて出席する人が少ないのは当然のことだ。柔道部が創部されて100年になるというので、記念の本を出版するというので、柔道部卒業生の人に声をかけられた。
 
ぼくが文章を書く人だということを知っていたらしい。柔道に関する学生時代の思い出を描いて欲しいと頼まれてしまった。
 
ぼくが世田谷学園(当時の世田谷中学、ヨタ中と呼ばれていた)に入学したのは、太平洋戦争末期の終戦1年前のことだ。
 
学校に通っているのは1年生だけ。2年生から上は全部軍需工場に働きに行かされてたまにしか学校には来なかった。
 
そんな時代に講道館の7段か8段のでかい花桐先生が柔道を教えてくれた。柔道着は学校で用意したものか、母親がどこかで見つけてきてくれたものか覚えていないが、柔道着は着ていたと思う。
 
その頃の思い出をエッセイに書いて、柔道部の人に送った。「ころんでもけがをしなかった」と題して。
 
先日、1年も経った世田谷学園の同窓会総会に出席したら、やっと出来上がった柔道部創部100年記念の印刷物を渡された。
 
ぼくの顔写真と略歴も添えられて、1ページを使って載っている。カラー写真も多く入れられた豪華な記念号になっていた。
 
世田谷学園柔道部の全盛時代、オリンピックで金メダルを授賞した、古賀選手、吉田選手の写真や、記事も載っている。
 
今、ぼくは下北沢南口の「下北沢整形外科リウマチ科クリニック」という長ったらしい診療所で、植田先生に診てもらっているが、息子さんが世田谷学園の柔道部の出身で、医科大学の学生なので、本をプレゼントしてしまった。
 
いいエッセイなので、そのまま紹介したかったが、今手元にないので、詳しくはかけないが、こんなことを書いたと思う。
 
B29の空襲が激しくなってきた時代で、学校に登校しても連日のように空襲警報が発令されると、下校しなければならなかったから勉強どころではなかった。
 
柔道を花桐先生に教わったとは言っても、わずかな時間だったろう。子供のころ、ころんで膝をすりむいたことなどは何度もあったろうが、年をとってからころんだことが2回あり、その時のことはよく覚えている。
 
もう7、8年になるだろうか、今住んでいるマンションに越してきたばかりの時、週に1度掃除にくる業者がいて、水浸しになっていたタイルの上で、すり減ったサンダルを履いて外に出た。途端に、滑ってころんでしまったが、けが一つしなかった。
 
もう一度は階段を降りるとき転んだが、その時も骨折などしない。それは中学時代に受け身の練習をしたからと。
 
学園のすぐそばにゲイのご主人の理髪店があり、一人で住んでいたので、柔道部の学生たちに食事を提供するのを楽しみにしていた。
 
世田谷学園柔道部の栄光を陰で支えていたのは理髪店の親父さんではないかと。

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コメント

こんにちは。
私の妻は、ブログにお名前が出ている”講道館の7段か8段のでかい花桐先生”の孫です。

花桐さんは明治大学卒業生(1922年度)で、講道館にて
柔道を学んだ人物です。

もし差支えなければ、世田谷学園での
花桐先生のお人柄やエピソード、
武道者としての雰囲気など、ご記憶にあることを
教えていただけませんでしょうか。

どうぞよろしくお願いいたします。

投稿: 星 誠一 | 2019年9月 4日 (水) 18時41分


学園のすぐそばにゲイのご主人の理髪店があったとは、いいですね。
詳しいお話を聞きたいです。

投稿: | 2019年7月 9日 (火) 00時52分

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