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2019年8月24日 (土)

子供の頃のトンボとりの話

東京新聞の夕刊の下段に、「この道」という欄があって、次々と色々な方が登場する楽しい読み物だ。
 
今は西村京太郎さんが子供の頃のことを書いている。おそらくぼくと同じ年齢(87歳)の方だろう。
 
戦時中は「小学校」とはいわず「国民学校」と呼んでいた。西村さんは小学校と書いているが、そう書かなければ読者が理解できないからだ。
 
 
 
「当時、小学校には、高等小学校制度というものがあった。商人の子は、中学校へ行く必要はないという考えがあった。そのため中学校に進学しない生徒のために、小学6年の上に、二年間の教育を受けさせる。これが高等小学校である。」
 
  
 
その当時は義務教育の新制中学がなかったから、商人の子供で、すぐに親の仕事を継がせようと思う子とか、私立の中学校にとっても入学できないような子供が仕方なく入学していた。
 
前にも書いたが、ぼくは私立の日本学園に入れずコネで世田谷中学(現在の世田谷学園)に入れてもらったが、「この道」の6回目のタイトルは「ガキ大将」とある。
 
高等小学校の卒業生に「ガキ大将」が多かったと西村さんは書いている。
 
 
 
「私たちの町内でも、高等小学校卒業の子、踏切の向こうの下駄屋の息子がガキ大将だった。
 
彼はトンボとりが好きだったので、私たちのグループは遊びといえば、トンボとりだった。網で取るのではなくて、鳥もちを使うやり方だった。竹竿に鳥もちを塗って、取るのである」
 
 
 
「もち」は今時の若者は見たこともないものだろうが、辞書で「もち」を調べたら、とんでもない難しい漢字で、ハズキルーペをかけて見ても書けない。もちの木、やまぐるまなどの木の皮で作った、粘り気の強いもの。鳥や虫などをとらえるのに使う。とある。
 
もちは子供が買い物に行く駄菓子屋で売っていた。竹竿も売っていたが、細くて長いものだ。その先っぽのほうに、もちを塗ってトンボをとるのだ。
 
我が家のすぐそばに桜並木があって、昔は川だった。田舎にもあるような川で、両岸はコンクリートでかためてなくて、自然な形をしていた。
 
夏になると蚊が飛んでくるから、それを狙って、大きなトンボがたくさん飛んでくる。トンボには、メスとオスがいるが、その名称をどうしても思い出せない。
 
夕方近くになると、多くの子供たちが両岸に竹竿を持って集まってきて、トンボとりに夢中になる。暗くなっても家に帰らないものだから、どこの家でも夕飯の時間、子供がやっと帰ってくると、母親に叱られたものだ。
 
西村さんの文章の終わりに、こんなことが書いてある。
 
「当時、鳥もちを使わずに捕まえるのが、流行っていた。難しいが、カッコよかったのだ」と。
 
明日の夕刊を読めば、カッコ良いトンボのとり方はわかるだろうが、これは誰に教わるというものでなく、子供たちの知恵で考え出したものだ。
 
当時は広いネギ畠などがあった。そこに飛んでくる大きなトンボを捕まえるのだが、昔の話で忘れかけているが、オスのトンボの胴体に、ネギの青いところをはめ込む。それは前の日にもちで捕まえたトンボだ。
 
それを糸で結んで飛ばすと、メスのトンボが交合しにやってくる。交合したところを網で捕まえる。何十年も前の話だから、あやふやだ。明日の夕刊が楽しみだ。

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