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2019年9月

2019年9月30日 (月)

話は古いけれど、いい時代だった!

「新宿駅には東口、西口、そして南口と会って東京に長く住んでいる人でもまごつくところである。そのうち南口は場外馬券に興味のあるお方のみいずれにご案内するとして、まず西口からご案内する。よくこんな話を聞く。
 
「西口でできたよ」
 
それほど西口にはチャンスが多い。駅の周辺はどこでもそうだが、小田急、京王、西武、地下鉄と国鉄の他にこれだけの私鉄を持つ新宿。
 
それらの入り口からはき出されて行き違う男たち。数には不足はないというものの、全てが良いとはお世辞にも言えない。その辺はあなたの鑑別にお任せするとして、私などはぼんやりと立って若者を見つめているだけで、1時間や、2時間は瞬く間に経ってしまう。全く色とりどりの男たちが通る。ぼんやり立っていると言っても、別に詩集を売っているわけではないから、多少は気になる男の顔と下半身は見せていただくことにする。
 
顔にも色々あるものだ。かわいい顔、すごい顔、気になる顔。面白い顔。綺麗な顔。汚い顔。もうどうにもならない顔などが動いている。いずれも急ぎ足が多い。遊び過ぎて遅れた時間を気にしながら歩いている男の子。おそらく家では教育ママが待っているのだろう。そうした家庭というものが背景にしっかりとあるような子に、心惹かれるのはなぜだろう。そうした子は、「僕これで帰ります。あまり遅くなるとママが心配するから」
と、お茶でも誘うものなら、きっとそう答えるだろう。と勝手に想像したりする。さっきから私のそばに立っている男の子のなんとルックスの良いことか。それにこちらをキラキラした目で見つめている。学生風のあなたの好きな角刈りですよ。スポーツシャツにVネックセーター。足によく馴染んだGパン。片手に2冊ばかり本を持っている。なかなかの美少年だ。チラチラとみられると、こちらも何か変な気がして、チラチラと見たくなる。何れにしても、タイミングよく、こちらから声をかけるべきだ。
 
私の方が年上だから、リードする立場にならなくてはいけない。あるご年配の方だが、「向こうから声をかけてきて、寝てくれと言ったら付き合っても良いと思うの」
 
そんなことでは、いつまで経ってもひとりぼっちだ。またチラリと見る。ちょっと腰をひねると、内股から膨らみかけてGパンがピタリと吸い付くようで、それがたまらない魅力だ。
 
「よくこの辺りに来るの?」とか、猫なで声で、「誰か待っているの?」と言ってキッカケを作れば良いのだ。口の中で何度も、繰り返し練習してもなかなか言葉になって出てこない。カラカラと喉が渇くのがわかる。どうして私は気が小さいのだろうと、ただただ気持ちが焦るばかり。
 
急に男の子の表情がほぐれると、私の方に近づいてきた。私の背後から彼女が駆け足でやってきたからである。
 
いい男の子の待ち合わせには、必ず彼女がやってくることになっている。これは鉄則といえば言えるけど、そんな時の惨めな気持ちは経験者じゃないとわからない。
 
彼女側から言わせれば。いい男は必ずホモが連れて行ってしまうと、週刊誌に発言していた女の子もいたけれど。」
 
 
 
話が何もかも古いな。54年も前の話だから仕方がないさ。馬鹿らしくて読んでいられないかもしれないけど。
 
彼女が待ち合わせ場所に待っているのに、なかなか現れない。あのジリジリした気落ち今の若者にはわかるまい。遅れてやってきた彼女の姿を見た時の気持ち、嬉しかった。
 
間宮浩さん、藤田竜さんに追い出されてしまった。親分は二人いてはダメなのだ。

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2019年9月28日 (土)

次回「文ちゃんと語る会」のお知らせ

10月の「文ちゃんと語る会」は、10月26日(土)に開催いたします。
 
日時・10月26日(土) 11時~13時
場所・下北沢南口から4分、カフエ「織部」
住所・〒155−0031 世田谷区北沢2—2—3
電話・03—5432—9068
会費・コーヒー代のみ
 
初めての方、女性、おひとりさま、どなた様も歓迎です。
 
ぜひお気軽におでかけください。
 

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好みの若者がいたら連れ出して!

昭和40年(1974年)の『薔薇族』3月号に「間宮浩の新宿コレクション」と題する45年も前の新宿での出来事が書かれている。16ページも使っての長い文章で、とっても全部を紹介できないが、古い新宿を知る上での貴重な読み物だ。
 
「映画館めぐり」と題する小見出し。今、映画館も少なくなっているが、映画が多くの人の娯楽の対象だった時代の話だ。
 
「新宿コマ劇場を背にして、右側に見えるオデオン座、左のポルノ映画専門の地下の新宿座、西口のパレス座、南口の国際名画座あたりが有名だ。そのうちでも西口のパレス座が料金が安いのと、駅に近いことのためか一番多くお仲間がいる。映画を見ない観客が、いつも後方のドアのところに立っているからすぐわかる。
 
ここで申し上げておきたいのは、お仲間が好きとは限らないから、ホモのホモ嫌いという方にはお勧めできない。そうした方なら以上の映画館以外のところに行けばお仲間がいないから自由行動できる。ポルノ映画の前方の席には、自家発電をしている若者を見ることがある。そうした若者と話しかけるには、ベテランも免許皆伝の方でないと危険も多い。「おれがいい気持ちになっているのを見て、どうしようというのだ」と、すごむニイさんだっている。(中略)
 
まだ4、5年前のことだろう。ここにウリセンのバアがあった。ウリセンと言ってもわからない人のためにまた説明がいるが、カウンターの中に、ピチピチした若者がズラリと並んでいる。好きな男の子がいたらマスターに話をして連れ出せるシステムの店をウリセンというのだ。
 
確か若者はみんなピチッとネクタイを締めていた。それが何よりも凛々しく感じられた。
 
このようなウリセンという名の店はもうないと言ってもいいだろう。新宿にゲイバアが200軒はあると言われているのに、こうしたズバリの店はない。そのウリセンのマスターが死んだ。それは意外と短い期間の病気であった。気苦労やら無理に無理の重なるこの商売は病気になるとたまらない。
 
「牛乳が飲みたい」
 
病院のベッドでマスターが言った。それまで看病していた子の名前は知らないが、北海道から来た子が牛乳を飲ませたのが最後であった。
 
死期の迫るような病気の看病は、肉親でも大変だが、若い子がよくやったと感動している。そして最後まで大変であったろうと思うのである。
 
今でも私はその北海道の子に会ってみたい。こんな悲しいことを書くのはたまらないが、実は私の小説『野郎花』(第二書房刊)の舞台はここにあったと言ってもいい。主人公のマモルは、この最後まで看病しいた子かもしれないのだ。
 
男の子たちが一緒に寝泊まりしている。アパートの一室などは、寮と言っている店が多い。昼を過ぎた頃、アパートの部屋に行くと、ブリーフ一枚で花札をしたり、側でグウグウ寝ている子もいる。またこれからデートの子が何か探し物をしていたりして、店で見る子と違った雰囲気である。
 
襖を開けると中から履き捨てたブリーフが、ぞろぞろと落ちてくる。下着マニアなら大変に喜びそうな、色とりどりの柄や型のブリーフが一抱えも出てきて、そこのマスターが紙袋に入れて捨てていることもあった。」
 
新宿の街に長くマンションの一室を借りていて、新宿の街を愛していた間宮浩さん。
 
最後は痴呆症になって、誰にも看取られずに亡くなってしまった。

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2019年9月23日 (月)

駒大健児、自信を取り戻せ!

2019年9月15日、来年の東京オリンピックマラソンランナーを決めるレースが開催された。
 
明治神宮外苑をスタートした選手たち。東洋大学出身の選手がトップを走って独走し、他の選手たちを2千米ぐらい引き離し、そのままゴールするかと思われた。
 
今、大学の中で活気があるのは、東洋大学、青山学院大学、国士舘大学だ。わが母校駒澤大学は数年前に多額のお金を変なものに投資し、それがパアになってその責任を取って理事長以下、総長、学長、理事たちが解任され新しい人たちがそれぞれの役についた。
 
曹洞宗の宗門の中で、そんなに優れた人材がいるわけがない。それから駒大はなんとなく活気を失っている。箱根駅伝も野球もふるわない。長く続いた国文科の同窓会も、通信費の援助がなくなり、続けられなくなってしまった。
 
東京5輪のマラソンランナーを決める大会、30人が出場した。東洋大学出身、ホンダの設楽選手、スタートから飛び出し、ぐんぐん後続を引き離し、中間点で2分1秒差まで拡げ、そのままゴールインと思ったら、37キロ付近で追い上げてきた9人の集団に飲み込まれてしまった。
 
「一発勝負 駆け抜け五輪へ」の東京新聞の大見出し。優勝した中村匠吾選手と駒澤大陸上部の大八木弘明監督と抱き合っている写真は泣かせた。森合正範記者の記事もいい。「駒大の師と二人三脚」の見出し。
 
「師と二人三脚でつかんだ五輪の切符だった。男子の中村選手はトップでゴールを駆け抜け、出迎えた駒澤大陸上部の大八木弘明監督と抱き合った。
 
「よくやった。おめでとう」。師匠の言葉に「ありがとうございます」と、くしゃくしゃの笑顔で応えた。
 
2013年、大学3年の時に東京五輪の開催が決まり、箱根駅伝6度優勝の名将、大八木監督から「マラソンで五輪を目指さないか」と声をかけられた。「監督となら(五輪に)たどり着くかもしれない」本気でマラソン代表を目指した瞬間だった。
 
駒澤大卒業を控え、実業団の富士通から勧誘された。こだわったのが練習拠点を大学に置き、指導を仰ぎ続けること。「自分を知っているのは監督だけ。今後も大学で練習させてください。」師に思いを告げると「本気で見るから、本気でやってくれ。」厳しく、愛情のある返事だった。以降は大学の近くに部屋を借り、一人暮らし。食事は学生寮を訪れ、大八木監督の妻で寮母の京子さんの手料理を食べる。
 
9年の師弟関係。大八木監督は、「無口で芯が強い子。来年はもっと重圧がかかる。潰されないように支えたい」中村選手は「監督に一つ恩返しができた。五輪へしっかり準備する」と師弟で新たな目標を見据えた。」
 
どこかの監督はテレビに出て、タレントみたいになっている。地味だけど大八木監督は素晴らしい。しばらくぶりに駒大健児は活気を取り戻せ。来年の箱根駅伝も優勝だ。
 
駒澤大学の同窓会事務局から「駒澤大学同窓会だより」が送られてきた。「同窓生紹介」のページがあって、初めて知ってびっくりしたのは、「NHKのど自慢」の名司会者、小田切千アナウンサーが(H6・3・法律学科卒)の駒澤大学の卒業生とは。
 
国士舘大学では毎月、広報の立派な雑誌を出している。有能な人材を集めて雑誌作り、雑誌がダメならネットで。もっと、もっと駒澤大学を宣伝しなければ。
 
駒大からNHKに入った人などいないと思っていたが、小田切さんが駒大卒とは。なんで小田切さんをうまく宣伝に使わないのか。欽ちゃんだってやめてしまったではないか。

 

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2019年9月21日 (土)

妻と離婚してからが私の本当の人生だった!

1971年に『薔薇族』を創刊して2年後の5月号(今から46年前)は、隔月刊で針金とじ、122ページという薄さ。

巻頭に神山保というペンネームで書いた(当時は一部の人しか知らなかった三島由紀夫作)『愛の処刑』の全文が掲載されている。『仮名美の恋』武田肇、『結婚幻の城』志賀淳、『きみを求めて』須藤孝など小説ばかり。イラストを描く人がいなかったのか、小説の挿絵は写真を使用している。

『愛の処刑』だけは、『アドニス』の別冊『APOLLO』に載った三島剛さんの挿絵を真似て藤田竜さんが描いている。

読者の投稿ページ「人生薔薇模様」に投稿している人は、わずか5人だけ。その中に『結婚 このまぼろしの城』志賀淳のことを書いた「志賀淳を弾劾する」は、(東京・ポレミーク)さんが怒りを込めて書いている。

この話は当時、話題になったが、志賀淳さんが、三島由紀夫さんとの交流を書いて週刊誌に売り込んだのだろうが、その時の週刊誌を保存していたが、今はないので詳しいことは書けない。

「激しく怒りを込めて志賀淳を弾劾する。君は一人の偉大な仲間を売った。しかも、もっともいやしい汚いやり方で。

真実を書くならまだいい。全てがでっちあげの嘘で固めたやり方だ。故人と寝た男など、いくらでもいるが、きみ以外にマスコミに対して、あんな卑しい売り込みをした男は誰もいなかった。それが死者に対するいたわりであり、思いやりというものだ。きみのようなホモ男が軽蔑するゲイボーイだって、彼の死に対しては、悼みの言葉を表白していた。

何という心ないやり方で、きみは佛を汚したことだろう。きみはホモ社会の仁義に背いた男なのだ。何という心ないことをしたことか。

『週刊ポスト』によって、きみの嘘と経歴は全て暴露され、美輪明宏さんとの対決においても、何一つまともに答えられなかったではないか。

美輪さんの真摯な態度に比べて、きみの無残だったこと。性的病人であると同時に、心の病人でもあるきみ。

盲の垣のぞきなどと、傲慢なことを言っているが、決してそうではない。知ってはいても、死者への思いやりといたわりから誰も言わなかっただけなんだぜ。それが仁義というものなんだ。それを風俗雑誌以下の手垢に薄汚れた文章で、きみは嘘八百の売文をでっち上げたのだ。そしてその嘘は全て破産した。

またぞろ、いけしゃあしゃあと『薔薇族』などに手前勝手なことを書いているようだが、素朴な読者をこれ以上、馬鹿にするのはやめ給え。こんなものを特撰ノンフィクションなどと持ち上げている『薔薇族』編集部の安手な態度も告発されてしかるべきものではないか。もっときちんとした価値判断を持つべきだ。全ホモのためにも。」

志賀淳さんが何を書いたのかを載せないと、この人の怒りを理解できない。三島由紀夫さんの好みは、志賀淳さんのような方だとは思えない。三島さんと志賀さんがベッドを共にすることなどなかっただろう。

5月号に載っている志賀淳さんの『結婚 このまぼろしの城』を読んでみると、結婚に対して、しっかりとした考えの持ち主で、軽薄な方ではないことは確かだ。

「妻と離婚して晴れて元の一人に戻った時の水に放たれた魚のようなピチピチした躍動する解放感のありがたさは生涯忘れられないものだろう。あれ以来の13年が私の本当の人生だったような気がする。」と。

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2019年9月16日 (月)

54年も前の新宿の街は!

『薔薇族』3月号(No.16・昭和49年刊)は、間宮浩の」特集号になっている。グラビアの写真も間宮浩が撮影した男たち。ルポ・新宿コレクション・間宮浩の電話相談室・間宮浩さんという人・間宮浩さんの小説・夢の時間
 
こんなに間宮浩さんに活躍されては、藤田竜さんにとっては面白くない。親分はひとりでいい。間もなく間宮浩さんを竜さんは追い出してしまった。しかし、当時の新宿の話は、今となっては貴重だ。長い文章だが一部を紹介したい。当時の新宿の街の匂いが漂ってくるようだ。
 
 
 
「もう新宿に住み着いて10年になろうか、窓を開ければ、東京タワーとホテルプラザが見えて、ときどき空気の澄んでいるときには富士山が見える。そして見下ろせばゲイ・バアの看板も見える。富士山にはゲイ・バアの看板がよく似合うだろうか。
 
新宿とはどんなところか、まだ新宿を知らない方々のためのガイドを承る次第である。
 
新宿とはの質問には東京の第二の副都心で、人口何万と答えるより、眠らない盛り場、と答えればいい。盛り場とは金を持っている人間が、金を落としに来るところと思いがちだが、新宿は若者の街だから金のない人間の方が多く集まるようだ。
 
新宿駅の改札口で、切符と一緒に財布の中身を見せてもらえたら面白いのだけど。初めからお金の絡む話で申し訳ないが、どうか財布は毛糸の胴巻きにでも入れて新宿に来てほしい。
 
とりわけサウナに入りたい人は、必ず受付に財布は預けることだ。どこのサウナでも大きく張り紙がしてあって、貴重品は必ず受付へと書いてある。紛失は責任を持たないことになっている。もっと詳しく説明すれば、ロッカーの中は危ういですよということになる。
 
実をあかせば昨日、ロッカーの中に財布を入れておいて、私が盗まれたから、その体験談をお知らせしているわけである。金のない人間から金を奪う非情な街。新宿をまずお知らせしておきたいのである。
 
非情といえば、トルコ嬢(今のソープランド)が表に引きずり出されて、怖いお兄さんに髪を掴まれて、泣き叫ぶのを踏んだり、蹴ったりされている。
 
そばでトルコ嬢の父親が放心したように立ちすくんでいるところを見たが、誰も見て見ぬふりである。
 
また別の話。黒メガネのお兄さんが交番に助けを求めて、逃げ込んでくる。それを追いかけて、もっと怖いお兄さんが、ドスを持って交番に入ってきても、丁度、電話中のおまわりさんの周りを逃げ回って、二人とも雑踏の中へ走っていった。当のおまわりさんはといえば、長電話の続きである。いったいどうなっているのやら。
 
さあ、毛糸の胴巻きをして、しっかり財布を身につけた人だけをご案内しましょう。つまり何ですよ、角刈、筋肉質、スポーツマンタイプの男たちのいるところを。そしてホモをやっているホモでない男のいるところですよ。青い鳥のチルチル。私はミチルということで……」
 
 
 
この話は今から54年も前の話。新宿も様変わりして今では誰もが安心して歩ける街、明るい街になっている。怖いお兄さんもいない平和な街だから、安心して地方の方もお出かけを。
 
新宿二丁目も15年ぶりにいってみたけど、建物もビルが増えて、今ではゲイの人たちの街とは思えない。女性もひとりで来ても安心な街に変わっていた。
 
あの薄汚いハッテン場だった小さな公園もすっかり整備されて美しい公園になっていた。

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2019年9月14日 (土)

LGBTが持つ旺盛な消費力に目を向けたのは!

毎月、「文ちゃんと語る会」の会場に使わせてもらっている「織部下北沢店」には、日経新聞と朝日新聞が、オープン以来ずっと置いてある。

日経新聞の半5段広告に『国際商業』10月号、今まで全く知らない雑誌だが、「特集・LGBT(性的マイノリティ)が持つ旺盛な消費力」の文字にぼくの目は釘付けになった。
 

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早速、渋谷の東横百貨店7階のジュンク堂書店で購入した。派手な表紙で艶やかな花に囲まれて、9月16日に発売されるという、アルビオンが発売する「フローラドリップ」(160ml=1万3千円、80ml=7千円)のぼくには縁のない化粧液が載っている。

どうもこの雑誌、化粧品の業界誌のようだ。掲載されている広告も化粧品のものばかりだから間違いない。ぼくはひげを剃った後に「資生堂ブラバス スキンコンディショナー・乳液男性用」を塗り、頭を洗った後には「柳家ヘアクリーム」を使っているだけだ。

中国の女性たちも日本の化粧品を使ってるそうだし、化粧品の業界誌『国際商業』が、出版不況の時代に長く続いているのは、スポンサーが付いているからだろう。

見出しには、こんなことが書かれている。



「LGBTは、とても身近な存在だ。日本のLGBT層の割合は、人口の8・9%。11人に1人の計算で、左利きの人の割合とほぼ同じである。

カミングアウトの有罪は別にして、家族や友人、同僚の中にLGBTは存在する。我々は、そういう時代を生きている。

日本企業はLGBT対応に取り組んでいるが、その範囲は国内にとどまらない。

欧米が先行していたLGBTの社会的地位向上の動きは、台湾が同性婚を認めるなど、いよいよアジアに波及し始めたからである。」(電通ダイバアシティ・ラボ調べ)



マスコミでLGBTが持つ旺盛な消費力に目を向けたのは『国際商業』が初めてのことで、敬意を表したい。ただ化粧品の業界からの視点での記事なので、LGBT全体の業界の「旺盛な消費力」ではないのは仕方がない。

何年か前に女性の著者が、イギリスの経済はゲイの人によって支えられているという新書本を読んだ記憶があるが、日本でも世間の人には全く知られていないが、その消費力は莫大だと言っていいだろう。

ゲイ雑誌は『サムソン』だけを残して滅亡してしまったが、全国のゲイホテル、ゲイバア、ポルノショップなど、『薔薇族』に広告を出してくれていたスポンサーで潰れたところはなく、今でも繁盛している。

「LGBTに関する主な出来事」が年代順に書かれていて参考になるが、1971年に東郷健さんがゲイであることを公表して、参議院選挙に立候補したことは書かれているが、日本初の同性愛誌『薔薇族』創刊が抜けているのは、寂しいが仕方ないか。

『LGBTを知る』(日本経済新聞出版社)によれば、世界のLGBT人口規模は4億5千万人で、その消費規模は約4千兆円にのぼると推定されている。

日本に限っても、消費規模の推計は約22兆円。これは「店頭でレインボーフラッグを掲げセクシャルマイノリティを安心させる」という現状からさらに深化し、より深い理解で、LGBTをターゲットに捉えた時の市場規模を示している。」

LGBT総合研究所の存在はこの雑誌で初めて知ったが、若い社長さんは森永貴彦さん。「少数派の感性をマーケティングに落とし込む」のページは貴社の質問に森永さんが答えているがご本人もゲイの方で的確に答えていて参考になる。54ページも使っての特集、ぜひ購入して読んでいただきたい。

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2019年9月 9日 (月)

昨日の敵は今日の友!

昭和38年(1958年・今から61年前)の4月1日、売春防止法施行され、廓の娼妓たちは解放されて、今では「ソープランド」と改名されて営業されている。
 
「吉原金瓶大黒楼訓」を江戸時代からの16当主のMさんからいただいたが、これは従業員に読ませるものだろうが、難しい。
 
 
 
一、お客様は神である。「神と仰ぐは米櫃だから。」
  
一、お客様は上(かみ)である。「上と仰ぐはお客様が立場上位だから。」
 
一、お客様は紙(かみ)である。「紙と仰ぐお客様の満足度は紙フィルターに通して煤けて見えるから。ただし、紙は一寸油断してしまえば、燃え散り木っ端微塵に引き裂かれることを戒めとせよ」
 
吉原金瓶大黒楼十六代当主
 
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十六代投手のMさん、まだ二、三回しかお会いしていないし、吉原の金瓶梅にお伺いして話をしたのが初めてで、一方的にしゃべりまくる方で、残念ながら耳が遠くなってきたぼくには半分は聞き取れない。
 
Mさんは頭のいい方であることは理解できるが、どんな学歴の方かはまだわからない。
 
神経は繊細な方で、よく気がつき、手先が器用なのか、ご自分で造形物を作られる。
 
目白のホテルの一室に招かれた時に同席していた後藤五郎さんに出会い、初めて漆喰を使った、鏝絵なるものを知った。
 
Mさんは後藤五郎さんの教えを受けて、作られているのだろう。
 
ソープランドのオーナーとは想像もつかない人だ。
 
金瓶梅の玄関先には、後藤五郎さん作の大きな龍の彫刻が建物にはめ込まれている。
 
壁の鏝絵は魔よけとともに、商売繁盛と家内安全、幸せをもたらすという、現世利益の願いが込められているそうだ。
 

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江戸時代、天保12年に伊豆の長八という人が、日本橋茅場町の薬師堂の建立にあたって柱に漆喰で龍を彫刻したところ、左官の鏝で製作されたものとは考えられない見事なもので、その後、長八が様々な技法を編み出し広がっていったそうだ。
 
ソープランドのオーナーに招かれてこのような人に出会い、話ができたことは幸いだった。
 
Mさん、ソープランドの中を案内してくれた。お客さんが待っている部屋は、中国の豪華な家具が置かれていて、廊下もトイレも清潔だ。女性がお客に奉仕する部屋も見せてくれたが、浴槽があって6畳ぐらいだろうか。もっと広い部屋もあるそうだが、若い女性もいたが暗い感じはしない。感じのいい女性ばかりだった。ぼくも若ければ一度は来てみたかったが、もうこの歳ではどうにもならない。
 
Mさん、上野にもお店を持っていて、そこではカラオケも歌える。ぼくがシャンソンが好きだと言ったら、越路吹雪さんの歌を何曲も熱唱してくれた。
 
「昨日の敵は今日の友」なんとも不思議な出会い。今風の扉がスイッチで開け閉めができる立派な仏壇に、ぼくもお線香をともして手を合わせた。深夜、自宅まで運転手さんが送ってくれた。

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2019年9月 7日 (土)

吉原の金瓶梅を訪ねるなんて!

ぼくの祖父、伊藤冨士雄は、大正12年の関東大震災の直前に53歳で病死している。
 
祖父は救世軍という軍隊組織で、全国に小隊を置き、キリスト教の布教活動をし、吉原などの遊郭のお女郎さんを自由廃業させる仕事をしていた。
 
祖父は救世軍士官として、娼妓の自由廃業に一身を捧げた闘士だった。1200名の娼妓から相談を受け、その中の987名を完全に廃業させた。廓の経営者はお金で買っているお女郎さんを救い出されては大損なので暴漢を雇っている。祖父は暴漢に襲われてなんども半死半生の大怪我を負って病院に担ぎ込まれた。
 
祖父から話を聞いて書かれた『娼妓解放哀話』に「吉原掟」が書かれている。
 
 
 
①遊女勤めの儀は、第一にいつわりをもっぱらとして、誠の心あるまじきこと
 
②美男、大過(遊びの道に詳しく通じている人のこと)心意義の面白き客たりとも、ほれることは停止致し置き候段、この儀はきっと相つつしみ申すべきこと。
 
③醜男、かげ武者、老人、または梅毒かきのお客なりとも、金たくさんの方はほれる体に見せかけること
 
④朝夕の食事は控え目にして、客のものをたんと食べ候よう心がけること
 
⑤召抱えのみぎり、代金相渡せる上は、年明けの日まで、主人より一銭の合力もこれなきあいだ、さよう心得、せいぜい主人方へ金を過分に取り入れるよう心がけること。
 
⑥衣類、夜具、頭のもの、その他の諸道具残らずこしらえ方致し候については、万事客人にねだりかけ、朋輩に負けぬよう気をつけ借金出来候ことは毛頭考え出すまじきこと
 
⑦定め通りの仕着せは地合あしく、値段の安い品をあたえる故なるだけ、自分の力で上等の衣類をこしらえ申すべく、仕着せは安物故使用致すを恥と心得、早速のけ候こと、勝手たるべきこと
 
 
 
このほか数箇条で、これがいつ頃書かれたものか、その時代は明確ではないが、この吉原掟の内容は、日本全国の遊郭を通じて長く実行されていた。
 
誰が考えたのかはわからないが、廓の経営者の都合のいいように書かれていて、今の時代の水商売にも通用する掟もいくつかある。
 
ぼくは祖父が命がけで娼妓を救い出したことを長生きした祖母からも話を聞いているので、お金で女性を買ったことは一度もない。しかし、父は女道楽で母を泣かせたものだ。
 
 
 
人との出会いって不思議なもので、長く生きていると考えられないような人との出会いもある。
 
江戸時代から続いている廓(今はソープランド)の16代目のオーナーとなんと親しくなっている。
 
祖父が活躍した吉原というところを一度は行ってみたいと長いこと考えていた。ぼくのブログの中で一番多くの人に読まれているのが、作家の吉屋信子さんが、昭和39年11月6日から40年4月29日まで読売新聞に連載された『ときのこえ』(救世軍の機関紙から命名)の中から紹介した淨閑寺(かけこみ寺)の話だ。
 
「生まれては苦海、死んでは淨閑寺」多くの娼妓たちの霊が祀られている。
 
2019年8月30日。なんと吉原で一番大きいソープランドのオーナーのMさんが「金瓶梅」を案内してくれるという夢のような話が舞い込んできた。
 
かつて『薔薇族』でヌード写真を撮ってくれていた津田君と渋谷で待ち合わせて、山手線の鶯谷からタクシーに乗って金瓶梅を訪れた。
 
考えてみればソープランドのオーナーは、祖父の目から見れば敵のようなものだ。Mさんってどんな人なのだろうか?
 
(つづく)

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2019年9月 2日 (月)

戦後のエロ雑誌の歴史を追いかけて!

ぼくの仕事部屋、3階建ての建物に住んでいた時は、長男が京都大学に入学して、いなくなった部屋を使っていた。
 
廊下には『薔薇族』の創刊号から、廃刊するまでの382号をきちっと並べてあった。それから2度住居が変わり、今のマンションに住むようなってからは、6畳の部屋がぼくの仕事部屋であり、中古品で買ったシングルベッドが置いてある。
 
このマンション、古い建物で収納する洋服ダンスなどが付いていないから、本箱、洋服ダンスも安物のものを買って置いてあるから狭いのなんのって、その上、『薔薇族』も並べてあるのだから息が詰まりそうだ。
 

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ただ机だけはイギリス製のアンティーク。40年ほど前の景気のいい時に買い求めたもので、引き出しがいっぱい付いている。

フランス映画で美少年に一目惚れした大学教授を描いた映画、題名がふっと思い出せないのだから歳はとりたくないものだ。

人の名前など、忘れてしまっていることが多い。それがしばらくして思い出すから不思議だ。ぼくのブログを読んでくれている人たちだって、87歳になった時、文ちゃんはあんなことを書いていたっけと思うかもしれない。

しかし、友人、知人はみんなこの世にいないのだから、元気でブログを忘れた文字は辞書を見て書き続けているだけでも幸せというものだ。

ぼくの大きな机は、映画の中で美少年に一目惚れした大学教授の部屋に置かれていたのを見た記憶がある。蓋を閉めることもできるが、今はいろんなものを置いてあるので、蓋は閉められない。

 

 

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NHKの名古屋支局の制作で、初めてNHKが『薔薇族』のこと、ぼくが仕事部屋でブログの原稿を書いているところを撮影してくれた。

安田理央著の『日本エロ本全史』紹介しきれなかったので、付け加えたい。



「雑誌というものは、あまりにも量が多い。全部を買い集める訳にはいかない。全て保存しておくわけにもいかない。そのうちにとりあえず創刊号を集めるというテーマが見えてきた。

そうなると、あの創刊号も欲しい、この創刊号も欲しい、というように意識して集めるようになる。気がつけばエロ雑誌の創刊号だけは数百冊を超えるコレクションになっていた(もちろんエロ雑誌以外を含めれば、もっと数は増える)。(中略)

こうして集めてきたエロ雑誌創刊号コレクションから、エポックメイキングな存在となった100冊をまとめて紹介させてもらうことになった。

それは当然、70年以上にわたる戦後エロ雑誌の歴史を追いかける旅となる。2010年代に入って、エロ雑誌は壊滅的な状況を迎えた。今はその命は風前の灯。というよりも、もう寿命を迎えてしまったという気がする」



かつて四谷にある出版クラブで、エロ本ばかり出版している30数社の社長達が集まり「出版問題懇話会」という会を毎月開いていた。もう40年も前のことだろうか。

その時代、警視庁の風紀係から発禁処分を受けたり、始末書を書かされることが多かったので、各社が情報を交換しあっていた。

『薔薇族』も発禁4回、始末書を呼びつけられて書かされたことが20数回。係官に桜田門までの定期を買えと、嫌味を言われたこともある。

エロ本の出版社の社長さんって、みんな真面目な人たちばかりだ。忘年会を開いたり、旅行をしたりしたが、もうほとんどの社長さんはこの世にいない。

『薔薇族』を100冊の創刊号に入れてくれた安田さんに感謝している。ありがたいことだ。

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