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2019年9月 7日 (土)

吉原の金瓶梅を訪ねるなんて!

ぼくの祖父、伊藤冨士雄は、大正12年の関東大震災の直前に53歳で病死している。
 
祖父は救世軍という軍隊組織で、全国に小隊を置き、キリスト教の布教活動をし、吉原などの遊郭のお女郎さんを自由廃業させる仕事をしていた。
 
祖父は救世軍士官として、娼妓の自由廃業に一身を捧げた闘士だった。1200名の娼妓から相談を受け、その中の987名を完全に廃業させた。廓の経営者はお金で買っているお女郎さんを救い出されては大損なので暴漢を雇っている。祖父は暴漢に襲われてなんども半死半生の大怪我を負って病院に担ぎ込まれた。
 
祖父から話を聞いて書かれた『娼妓解放哀話』に「吉原掟」が書かれている。
 
 
 
①遊女勤めの儀は、第一にいつわりをもっぱらとして、誠の心あるまじきこと
 
②美男、大過(遊びの道に詳しく通じている人のこと)心意義の面白き客たりとも、ほれることは停止致し置き候段、この儀はきっと相つつしみ申すべきこと。
 
③醜男、かげ武者、老人、または梅毒かきのお客なりとも、金たくさんの方はほれる体に見せかけること
 
④朝夕の食事は控え目にして、客のものをたんと食べ候よう心がけること
 
⑤召抱えのみぎり、代金相渡せる上は、年明けの日まで、主人より一銭の合力もこれなきあいだ、さよう心得、せいぜい主人方へ金を過分に取り入れるよう心がけること。
 
⑥衣類、夜具、頭のもの、その他の諸道具残らずこしらえ方致し候については、万事客人にねだりかけ、朋輩に負けぬよう気をつけ借金出来候ことは毛頭考え出すまじきこと
 
⑦定め通りの仕着せは地合あしく、値段の安い品をあたえる故なるだけ、自分の力で上等の衣類をこしらえ申すべく、仕着せは安物故使用致すを恥と心得、早速のけ候こと、勝手たるべきこと
 
 
 
このほか数箇条で、これがいつ頃書かれたものか、その時代は明確ではないが、この吉原掟の内容は、日本全国の遊郭を通じて長く実行されていた。
 
誰が考えたのかはわからないが、廓の経営者の都合のいいように書かれていて、今の時代の水商売にも通用する掟もいくつかある。
 
ぼくは祖父が命がけで娼妓を救い出したことを長生きした祖母からも話を聞いているので、お金で女性を買ったことは一度もない。しかし、父は女道楽で母を泣かせたものだ。
 
 
 
人との出会いって不思議なもので、長く生きていると考えられないような人との出会いもある。
 
江戸時代から続いている廓(今はソープランド)の16代目のオーナーとなんと親しくなっている。
 
祖父が活躍した吉原というところを一度は行ってみたいと長いこと考えていた。ぼくのブログの中で一番多くの人に読まれているのが、作家の吉屋信子さんが、昭和39年11月6日から40年4月29日まで読売新聞に連載された『ときのこえ』(救世軍の機関紙から命名)の中から紹介した淨閑寺(かけこみ寺)の話だ。
 
「生まれては苦海、死んでは淨閑寺」多くの娼妓たちの霊が祀られている。
 
2019年8月30日。なんと吉原で一番大きいソープランドのオーナーのMさんが「金瓶梅」を案内してくれるという夢のような話が舞い込んできた。
 
かつて『薔薇族』でヌード写真を撮ってくれていた津田君と渋谷で待ち合わせて、山手線の鶯谷からタクシーに乗って金瓶梅を訪れた。
 
考えてみればソープランドのオーナーは、祖父の目から見れば敵のようなものだ。Mさんってどんな人なのだろうか?
 
(つづく)

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