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2019年10月

2019年10月28日 (月)

これからの戦争は自然との戦いだ!

中国の軍事パレードの映像をテレビで見てあんな国と戦争になったら、日本はどうなるのだろう。
 
小学6年生の頃に見た、アメリカの爆撃機B29が編隊を組んで、1万メートルの上空を何百機と飛んできたような戦争はもう過去のものだ。これからの戦争はどんなことになるのか、考えるだけでも恐ろしい。もう2度と戦争はごめんだ。
 
2019年10月16日の東京新聞朝刊の「本音のコラム」、「防衛と防災」と題する文芸評論家・斎藤美奈子さんのコラムが目についた。ぼくが考えていたことと同じことを書かれている。
 
「大勢の人の命がいっぺんに奪われ、生活が破壊される事態といえば、戦争と自然災害だ。
 
戦後70数年、ひとまず日本は(国内での)戦争は経験しないできた。
 
その一方でこの国は、ほぼ毎年、なんらかの大災害に遭遇している。2011年の東日本大震災だけでも、激甚災害に指定された災害は30件近い。その大部分は梅雨前線や台風による暴風雨や豪雨である。
 
国の最大の責務が「国民の生命と財産を守ること」であるなら、国防以上に防災、他国からの攻撃よりも南の海から列島めがけてやってくる台風への備えが重要なはずである。しかるに予算配分はどうか。19年度の防衛予算は過去最高の5兆2千6百億円。防災、減災・国土強靭化対策を含む防災関係予算は1兆3千5百億円、前年度の補正予算をあわせても2兆4千億円だ。防衛予算のたった半分。これ、逆じゃありません?
 
9月の台風15号に続いて東日本一帯を直撃した台風19号は「想定外の」「今まで経験したことのない」といった形容がもう通用しないことを示した。戦争は外交努力で回避もできるが、自然災害は避けられない。災害大国であることを思えば、防衛省を防災省に、自衛隊を災害救助中心の隊に再編したっていいくらいである。国際貢献も災害支援に特化させれば、それが最大の安全保障になるのに。」
 
斎藤美奈子さんの書かれているとおりだ。これからの日本は国と国と戦争ではない。自然との戦争だ。
 
戦闘機を130機もアメリカから買っている時ではない。空中戦をやるような戦い方はもう過去の戦争だ。それよりも早く河川の決壊をなくす頑丈な堤防を作らなければ、また台風が襲ってくれば、水浸しになってしまう。
 
テレビや、新聞は連日、台風の被害を伝えているが、台風19号上陸から一週間の時点で依然として、9万5千戸以上で断水、3千9百人以上が避難を続けていて、生活再建の道のりは遠い。
 
自衛隊を中東へ派遣するという。そんなことにお金を使うよりも、被害に遭った人たちを助けるほうが先ではないか。ボランティアの人たちも片付けを手伝っているようだが、宿泊はどこで寝泊りしているのだろう。被害に合わなかった近所の人が手伝いに来るのならわかるが、遠くから手助けに来るのは大変なことだ。自衛隊の人たちも大変だろうが、こんなときに手助けをしてもらいたいものだ。
 
先日、東京新聞の読書投稿欄に、初めて日赤を批判する投稿が載った。それは赤い羽の募金に協力した街が、日赤に20万円寄付したら半分が戻ってきたのでおかしいという発言だ。学生たちが街角で募金をする光景を見るが、やはり集めたお金の半分は戻ってくるのだろう。そのお金は何に使われているのか。
 
東北大震災のとき、世界中から莫大な募金があったが、半分は返したのだろうか。そのお金は被災地にどのように届けられたのかはわからない。不思議な話だ。

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2019年10月26日 (土)

同じような人が大勢いる!

『薔薇族』が創刊されたのは、1971年、そのころは隔月刊の頃の8月合、No.19(1974年・今から45年前)まだ「少年の部屋」はなかった。
 
高校生、大学生からの投稿も、少しずつ増えてきていたので、「若い発言」と題して、4人の高校生の投稿を載せている。その中の東京都・M・19歳、大学2年生「だれにも言えないこと」と題する投稿を紹介したい。
 
「僕が初めて『薔薇族』を知ったのは、高校3年生の春でした。確かNo.10(3月号)だったと思います。
 
学校の帰りいつも寄る本屋に、その日もちょうど寄ったのです。そうすると男性の顔が表紙になっている見慣れぬ本があったので、なんだろうと思い手にとってみました。はじめにパッと男性のヌード写真が目に入り、僕は正直に言って大変な驚きでした。それまでは僕もそこらへんにいる高校生と同じように、普通に女の子と付き合っていました。映画を見に行ったり、茶店に行ったり、肩を抱いて街を歩くぐらいの付き合いでした。でも何か一つ物足りなさを感じていて、『薔薇族』を初めて見たとき、僕は反射的にその本を元の場所へ戻してしまいました。
 
大変なものを見てしまった。そうゆう気持ちだったのです。それから毎日、僕は『薔薇族』のことがなぜか気になり、本屋へ寄って見る勇気がなかったので、表紙だけを眺めていました。そのうち、一冊しかなかったその本がなくなってしまったのです。
 
その時、はっきりと、ああ、僕は男が好きなんだなあと思ったのです。そして僕は普通の結婚ができない体なんだ。だから当然、子供もできない。適齢期に達した時、果たして親になんと言えばいいのだろう。なんて、色々と悩んだものです。今でもこういう幼稚な悩みが全く消えたわけではありません。
 
それから一年経って、僕は大学になんとか合格して、今は東京に来ています。去年の11月ごろまで、友達と二人で住んでいました。ダブルベッドで二人で寝ていたこともありました。もちろん友達はホモではありません。
 
一度、彼は僕らの知り合いのバーテンをしている人の友達という人がホモらしくて、寝ているときに脚や服などを触られて、「気味が悪くて朝まで寝られなかった」なんて言っていました。それくらいホモを毛嫌いしているのです。僕も彼と寝ていても、不思議に何も感じなかったんです。
 
高校に入った時からの友達で、よくお互いの家へ遊びに行って泊まっていたからかもしれません。それからお互いに東京に慣れたからと言って別々になったんです。
 
それから一人暮らしになって、初めて勇気を出して『薔薇族』を買ったんです。写真を見て、小説を読んでひどく感動し興奮しました。なんとなく男性に興味を持つということに、後ろめたさを感じていたのですが、同じような人が大勢いるということが、一つの心の支えになったことは確かです。
 
僕が興味を感じる男性は、大体学生服を着て、スポーツ刈りにしてて、どちらかというと、アイビー風の格好をしたスポーツをやっている、みたいな人なんです。学校でも、街でもよく見かけます。そんな時、やさしく抱かれてみたい、そう思うんです。
 
この世に生まれてきて、短い一生だもの、自分の好きなように生きていければ最高ですよね。でも、人間生きていく上には、やっぱり厄介な制約がたくさんあるんです。
 
これだけ心の中を描いて、すっきりしました。こんなこと誰にも言えませんからね。」
 
同じような人が大勢いる。それが心の支えになった。『薔薇族』を創刊して良かった。

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2019年10月21日 (月)

三條新聞だけがポストに!

新潟県三条市にある日刊紙三條新聞、ぼくが平成5年に女房の古里、弥彦村(人口8千人)にロマンの泉美術館をオープンさせたとき、展示品を変えたり、東京から芸能人を招いて催し物を開くと、大きな記事にしてくれた。
  
最近はポストに入っている郵便物は少ないというより、ない日の方が多い。三條新聞だけは、今でも無料で送ってくれるありがたい新聞で、ポストに三條新聞だけが入っている日が……。
  
「無題録」というコーナーは「杉」というベテランの記者が書いているので、そこだけは必ず読んでいる。
  
令和元年10月11日に、新潮社を批判する記事が。
  
「新潮社がおかしい。大手出版社らしくないトラブルが続いている。昨年は『新潮45』8月号に「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり生産性がないのです。」と主張する杉田水脈代議士の論文を掲載した。
  
人権侵害だと批判されると、同誌10月号で「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」という反論特集を組んだ。
  
LGBTと痴漢症候群の男性を比較し、「後者の困苦こそきわめて根深ろう」と主張する文芸評論家、小川栄太郎氏の論文を載せた。「真っ当な議論をしよう」と組んだ特集だったが、より強い批判を浴びることになり、社長が「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」があったと認めて謝罪、同誌を休刊にした。
  
今月4日には新潮社が出版した作家、百田直樹氏の新作小説『夏の騎士』のキャンペーンで、この作品を「ほめちぎる読書感想文」を募集した。百田氏を気持ちよくさせた20人に、1万円分の図書カードをプレゼントするという。同社ツイッターには、金箔を塗った上半身裸の百田氏の写真を載せ、「読書がすんだらヨイショせよ」「ヨイショ感想文求む」。さらに「『国語の教科書に載せるべきだ』読了後、最初に浮かんだ気持ちだ。この作品は人生に必要なすべてをおしみなく読者に与えてくれる。知らぬ間に涙が頬を伝っていた。『そうか。この本と出会うために、僕は生まれてきたんだ」という、ヨイショの見本まで載せた。
  
インターネット販売の口コミ欄などに、販売者が消費者になりすまして宣伝文句を書き込んだり、消費者に金銭を支払って好意的な評価を書いてらうのがステルスマーケティング。いわゆるサクラ行為だ。
  
普通は他の消費者にバレないように隠れて行うが、新潮社は図書券を餌に堂々と募集した。「あまりに品がない」「作者や作品をバカにしている」といった批判を浴び、わずか二日でキャンペーンは中止した。「新潮文庫の百冊」を選定してきた知性やセンスはどこに行ってしまったのだろう。」
  
全文を引用してしまった。三條新聞の紙代を払わなければ申し訳ないか。三條新聞は梨がとれる季節になると毎年大きな梨を一箱送ってくれるありがたい新聞社だ。
  
とにかく本が売れない時代、新潮社のような大きな出版社だって、変わった宣伝をしなければならないのだろう。
  
ぼくのブログもコメントを寄せてくれる人は少ない。何かプレゼントして、サクラでコメントを寄せてもらうか。とも思ったがブログを書き続けているのは、ボケ防止で書いているのだから、何人ぐらいの人が読んでくれているのかわからないが、ネットで見れるようにしてくれるS君がいる限り描き続けたい。
  
もう昭和の芸の人たちの悩みや、苦しみを知っている人は、ぼくしかいなくなってしまったのだから……。

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2019年10月19日 (土)

読者の教師から『薔薇族』は有害と!

『薔薇族』は読者からの雑誌への批判の投稿でも載せていた。そんな批判の投稿などボツにしてしまえばいいのだろうが、ぼくは投稿欄の「人生薔薇模様」の欄に載せ、それに答えている。名古屋市のKさんからのものだ。
 
「有害な雑誌『薔薇族』」と題して。昭和49年3月号(1974年・今から45年前)に。
 
「読者の一人として、また一人の田舎教師として、特に不快で苦々しく思っていることを述べさせていただきます。
 
どうしてこんなにまでして、学校やスポーツクラブを男色と結びつけなければならないのか。私は約18年間、公立の中・高校に奉職し、また各スポーツクラブの直接の指導者として、若人と共に生活をともにしてきた者です。
 
生徒ともに時には喜び、時には涙を流してきました。御誌の小説(大変失礼かもしれませんが、内容は極めて愚劣である)に書かれていることは一度だって起きたことはないと断言できます。
 
スポーツに熱中している生徒は高校生になってもマスターベーションのことを知らないほどに純粋です。発表された小説は、「これでもか、これでもか」というように内容、表現が決まっている。あるのは動物的変態情欲のみである。事情を知らないヤングたちが読んだら、学校のスポーツクラブは本当の男色的発生場所であると思うでしょう。
 
夏になると学校の垣根ごしにカメラを向けている若者を時に見かけることもあるが、はっきりと少年たちの裸体を追いかけています。
 
私は読者として、教師として、学園と関連したものは、たとえどんなフィクションであるにせよ、載せないでもらいたい。最新号には「高校生のつどい」などあったと発表されたが、反吐を吐く思いがする。
 
御誌ははっきりと成人向けのものであって欲しい。表紙にうたって欲しいと思います。現在の私の気持ちとしては、変態性欲を助長するきわめて有害な雑誌として、警視庁風紀係に訴えたい気持ちでいっぱいです。今後の編集を特に考えていただきたいと思います。」
 
「編集部より批判にこたえて」と題して2ページも使ってぼくは答えている。とても長くて全文は載せられないが、要点だけを書いておく。
 
「Kさんは最初に自分は読者であると言われています。読者でない女好きの先生がたまたま『薔薇族』を読まれて、これはけしからんとお考えになってのお手紙なら、一応はご意見として伺うことはできます。しかし、読者のひとりとしての先生のご意見なら黙っているわけにはいきません。(中略)
 
この頃の学生たちが一番、勢力の強い時でもあり、セックスを抜きに考えることはできないでしょう。
 
文通欄での呼びかけを読んでお分かりと思いますが、相手への希望をほとんどの人が「スポーツ刈りで筋肉質で、運動部の学生のような」と呼びかけています。大部分の読者は、そういう若者を友人にしたいと願っているのです。
 
運動部の学生がしばしば小説に登場します。それは読者の理想像なのだから、登場するのは当然のことです。
 
ぼくは男と女のセックスを描いたエロ雑誌と違って、青少年が『薔薇族』を読んで女好きの少年が男好きになってしまうことがないだけに、ある意味でぼくは安心しています。男好きの人しか読まない雑誌だからです。『薔薇族』の読者が理想とする逞しいスポーツマンに憧れる、そしてスポーツマンが登場する小説を載せるのは当然でしょう。」
 
この先生はご自分もゲイであるから『薔薇族』を読んでいるわけで、ご自分の欲望はどう処理されているのか、どんな男性が理想なのかわからないが、中・高生が理想でなく年配の男性が好みであって欲しいものだ。

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2019年10月12日 (土)

ぼくはノンケとゲイの人との「こうもり」だった!

三島由紀夫さんを「兄」と呼び、「弟」出会った堂本正樹さんが、9月23日肺炎のため死去、85歳。横浜市出身。葬儀・告別式は家族で行った。喪主は長男彩樹さん。と、2019年10月4日の東京新聞に報じられた。
 
奥さんが喪主ではないので、先に亡くなられたのか。
 
2006年2月発行の『彷書月刊』(古書愛好家のための雑誌)3月号は「特集・アドニスの杯」で、ぼくも「アドニスは薔薇族の原点だ!」の一文を寄せている。
 

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巻頭に「アドニスの杯インタビュー・三人のあいだに・堂本正樹さんに聞く」と題して本多正一さん(写真家・文筆家)が聞き手に。
 
三人というのは、三島由紀夫さん、堂本正樹さん、中井英夫さんのことだ。
 
病床の堂本さんの写真が載っている。年齢は85歳。1933年(昭和8ねん)劇作家、演出家。慶應大学中退。歌舞伎、能演劇への関心から三島由紀夫と交遊を深め、「浪漫劇場」創立にも参加。著作も多いが『回想 回転扉の三島由紀夫』(文春新書)は、三島由紀夫の知られざる素顔を描いて話題になった。
 

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ぼくは堂本さんとは何度もお会いしている。ぼくが経営していた下北沢の「イカール館」に来てくれたし、確かペンネームで、三島由紀夫さんのアソコが大きかったという話を書いてくれた。藤田竜さんは逆のことを書いて論争になった。
 
当時は誰しもだが、自分がゲイであることを極端に隠していた。しかし、女性と結婚しないわけにいかなかった。
 
病気で入院したら奥さんに面倒を見てもらわないわけにはいかない。
 
「毎日、女房が来てくれて、本当にありがたいと思いますが、夜、眠れないので、テレビをつけっぱなしにして、昔は馬鹿にしていたサスペンスドラマも、最近は結構面白く(笑)。家に帰れば、それこそ新しい三島全集が月一回、届いているはずなんですけれど。
 
え? これ孫の写真です。三つ、四つかな。ときどき来てくれるんですけどね。かわいいですよ。「おじいちゃん、ガンバレ」なんて手紙に書いてあると、嬉しいものですよ。ホント、ジジ馬鹿で(笑)。」
 
ゲイであっても女性と結婚して、何とか努力して子供を作る。そばに女性が来るだけでも嫌で鳥肌だってしまうような人もいるし、いろいろなゲイの人がいるけれど、堂本さんは病気になって、奥さんのありがたみを知ったのだろう。
 
奥さんの悪口ばかり書いてくる小学校の校長先生だった読者もいたけれど、脳梗塞で倒れてから、堂本さんと同じように奥さんに看病してもらわなければ、どうにもならなくなってしまった。女性と結婚してよかったのか、悪かったのか、それぞれ違うだろうが、独身で一人で過ごして孤独死してしまう人もいる。ぼくにはどっちがいいとも何とも言えない。ゲイ雑誌の編集長は辛い立場だ。
 
三島由紀夫さん、堂本正樹さん、中井英夫さんの3人は、『アドニス』の会員で親交を深めていたようだ。
 
この本多正一さんのインタビュー記事は、興味深いが長いので紹介できないのが残念だ。
 
中井英夫さんは途中から『アドニス』を引き継いだ方で、「短歌研究」の編集長時代には、寺山修司くんや、春日井健君を世に出した方だ。
 
ぼくはノンケ(女性好きの男)なので、ゲイ雑誌を30数年も出し続けて、ゲイの人と交流はあったが、親友と言える人はいない。
 
イソップ物語か、こうもりが動物でも鳥でもないという話。今、考えてみると、ゲイの人と親友付き合いできなかったのは、こうもりだったからかと。これは仕方がないことか。

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2019年10月 7日 (月)

スポーツ嫌いのぼくと世田谷学園柔道部!

駒大時代一度も体育の授業に出ないのに単位をくれた阿部先生(のちに日体大の教授に)小説を書かれていたので、文芸部の部長のぼくを目にかけてくれたからか。
 
スポーツとまったく縁のないぼくが世田谷学園の柔道部OB会の会長の目黒和幸さんや、監督を長く務めている持田さんと親しくなったなんて、不思議なご縁だ。
 
昨年の世田谷学園の同窓会総会、形式的な会なので出席者も少ないが、ぼくはNHKの番組に初めて二度も出演したり、週刊文春の「家の履歴書」に登場したので、会長にお願いして、少ししゃべらせてもらった。ブログを10数年も書いているので、読んでくださいと言ったのを目黒さんが聞いていて、エッセイを書いてくれと頼まれてしまった。
 
『世田谷学園柔道部=100年の栄光と未来』

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目黒さん、大変な仕事だったと思うが、長い時間をかけて資料を集め、立派な記念誌を作り上げた。
 
「ころんでも、けがをしなかった!」と題して、ぼくのエッセイが写真入りで載っている。
 
「子供のころ、ころんだことは何度もあったと思うが、70数年も前のことなど覚えているわけがない。
 
年をとってから、ころんだことが2度ある。年寄りが転ぶと骨折して、それから寝込んだりで足がおとろえていく。
 
なんとぼくは2度、コンクリートの上に、ばったりところんだことがあったが、けがひとつしなかった。それは世田谷中学1年生の時に、教えを受けた柔道の受け身のおかげだと思っている。
 
ぼくが世田谷中学に入学した時代は、敗戦1年前の4月のことだ。サイパン島から飛来するB29爆撃機の攻撃により、東京は焦土と化していた。
 
学校に残っているのは、1年生だけで2年生から上は、軍需工場に働きに行かされ、たまにしか学校に来なかった。
 
柔道、7段か8段のでっかい先生、剣道はキ○タマ親父と渾名されていた先生が指導していた。柔道着は学校から支給されたのか、母親がどこかで見つけてきたのか覚えていないが、柔道着をきていたことは確かだ。熱心に何度も何度も受け身の練習をさせられていたことが役に立ったのだ。
 
古賀選手、吉田選手などの活躍で、世田谷学園の存在は、日本中に知れ渡っていた。学内で祝勝会が催されたとき、ぼくも出席して古賀選手とツウショットで撮った写真は宝物だ。
 
その会場でぼくに抱きついてきた男がいた。学園の近くで理髪店を営む男で独身。柔道部の学生たちを家に招いて、料理を振る舞うのを楽しみにしていた人だ。柔道部の全盛時代の影の立役者だったのかもしれない。」
 
令和元年・9月28日(土)三軒茶屋キャロットタワーの最上階、ホテルオークラレストラン スカイキャロットで、世田谷学園柔道部100周年記念式典・懇親会が盛大に開かれた。
 
「式沢第」を開いてみたら、「懇親会次第」のところに開会の辞の次、来賓祝辞のトップにぼくの名前が書かれているではないか。
 
その次が自民党の衆議院議員、昭和42年卒業の松本文明様とある。かなり古い話だが、世田谷学園、駒澤大学卒の自民党幹事長、確か農林大臣もやられたと思うが、広川弘禅さんしかいないと思っていたが、松本文明さんが隣の席に座られたので話をすることができた。
 
同性婚の話をしたら、いろんな法律が絡み合っているので、すぐに実現は難しいということだ。ホテルオークラのシェフが作る料理は美味しかった。ぜひ、昼間はランチもあるので食べにいくのをおすすめだ。
 

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来賓のトップに祝辞を

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2019年10月 5日 (土)

同性愛は趣味ではない!

出版界の業界紙『新文化』は、『薔薇族』を発行し続けていた頃、よく記事として取り上げてくれた。

「風信」というエッセイのコーナーにもよく書かせてくれたが、1999年9月16日号「風信」に、「同性愛は趣味ではない!」というタイトルで、ぼくはこんなことを書いている。

最近はさすがに同性愛の人のことを「趣味」という人は少なくなっている。世の中の人たちに理解されてきたからだろう。

20年前は週刊誌の記者たちも、ましてや世間の人たちも「あの人は同性愛の趣味がある」と、言っていた。

「はっきり言っておきたいことだが、「趣味」で男が男を好きになったり、女が女を好きになる人間は、この世に一人もいないということだ。

岩波書店の『国語辞典』によると、「趣味」とは「専門としてでなく、楽しみとして愛好する事柄」とある。

本当は女が好きなのに、楽しみとして男が好きになる男などいるわけがない。「同性愛」は「趣味」ではなく、「本能」であり、「異常」でも、「変態」でもなく、男が女を好きにということとまったく同じで、持って生まれたものだ。

それなのに日本を代表する出版社である新潮社が発行する『FOCUS』(8月11・18日号)の「新宿2丁目で「トルシエ監督」に「男色」の噂」の記事と、同じく8月25日号の「ミッチーのおぞましい話で逆襲するサッチー」の記事はなんだ。

「サッカーの日本代表のトルシエ監督のことを「男色の趣味があるのでは?」という噂です。ホントかどうかわかりませんけど、よく知られた噂話ですよ(サッカー担当記者)」

と書いている。

浅香光代さんのことも同じように「本誌も独自に浅草で聞き込みをかけた。ミッチーの「趣味」について、「そういう噂を聞いた」との証言が多数」などと書いている。これらの記事は「同性愛を悪いこと」「おぞましいこと」という前提で書いている。

それならば、このお二人が本当に「同性愛者」だとしたらどうだというのだろう。

今や医学界でも「同性愛」は、「異常」でも「変態」でもないことが定説になっているのをこの記者は知らないのか。

岩波書店発行の『広辞苑』の「同性愛」のくだりを見て欲しい。「異常」という文字はすでに亡くなっている。

日本のサッカーのために努力をしているトルシエ監督に無礼な話とは思わないのか! 女剣劇の浅香光代さんが男っぽいのは当たり前ではないか。

なよなよした女だったら、女剣劇の座長が務まるはずがない。

残念ながら、このお二人が開き直って「なんで同性愛が悪いのよ」と、日本ではまだ言えないところが悔しいが、もう少し「同性愛」について勉強して欲しいものだ。

こんな記事を書く記者君こそ、「悪趣味」だと、ぼくは言いたい」

「LGBT」という言葉も、一時マスコミの間で、必ず下に(少数派)という文字がつけられて、話題になったが、最近、次から次へと不可解な殺人事件が起こるので話題にならなくなっている。

家族で山の中でバーベキューを楽しんでいたのに7歳の少女が行方不明になってしまったという事件。多くの人が山の中を探し回っても見つからない。自衛隊にまで応援を頼んでいるようだ。

ぼくの推理では、少女愛の男に車で連れ去られたのでは? 当たらなければいいが。

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