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2019年10月 7日 (月)

スポーツ嫌いのぼくと世田谷学園柔道部!

駒大時代一度も体育の授業に出ないのに単位をくれた阿部先生(のちに日体大の教授に)小説を書かれていたので、文芸部の部長のぼくを目にかけてくれたからか。
 
スポーツとまったく縁のないぼくが世田谷学園の柔道部OB会の会長の目黒和幸さんや、監督を長く務めている持田さんと親しくなったなんて、不思議なご縁だ。
 
昨年の世田谷学園の同窓会総会、形式的な会なので出席者も少ないが、ぼくはNHKの番組に初めて二度も出演したり、週刊文春の「家の履歴書」に登場したので、会長にお願いして、少ししゃべらせてもらった。ブログを10数年も書いているので、読んでくださいと言ったのを目黒さんが聞いていて、エッセイを書いてくれと頼まれてしまった。
 
『世田谷学園柔道部=100年の栄光と未来』

Img_5757  

 
目黒さん、大変な仕事だったと思うが、長い時間をかけて資料を集め、立派な記念誌を作り上げた。
 
「ころんでも、けがをしなかった!」と題して、ぼくのエッセイが写真入りで載っている。
 
「子供のころ、ころんだことは何度もあったと思うが、70数年も前のことなど覚えているわけがない。
 
年をとってから、ころんだことが2度ある。年寄りが転ぶと骨折して、それから寝込んだりで足がおとろえていく。
 
なんとぼくは2度、コンクリートの上に、ばったりところんだことがあったが、けがひとつしなかった。それは世田谷中学1年生の時に、教えを受けた柔道の受け身のおかげだと思っている。
 
ぼくが世田谷中学に入学した時代は、敗戦1年前の4月のことだ。サイパン島から飛来するB29爆撃機の攻撃により、東京は焦土と化していた。
 
学校に残っているのは、1年生だけで2年生から上は、軍需工場に働きに行かされ、たまにしか学校に来なかった。
 
柔道、7段か8段のでっかい先生、剣道はキ○タマ親父と渾名されていた先生が指導していた。柔道着は学校から支給されたのか、母親がどこかで見つけてきたのか覚えていないが、柔道着をきていたことは確かだ。熱心に何度も何度も受け身の練習をさせられていたことが役に立ったのだ。
 
古賀選手、吉田選手などの活躍で、世田谷学園の存在は、日本中に知れ渡っていた。学内で祝勝会が催されたとき、ぼくも出席して古賀選手とツウショットで撮った写真は宝物だ。
 
その会場でぼくに抱きついてきた男がいた。学園の近くで理髪店を営む男で独身。柔道部の学生たちを家に招いて、料理を振る舞うのを楽しみにしていた人だ。柔道部の全盛時代の影の立役者だったのかもしれない。」
 
令和元年・9月28日(土)三軒茶屋キャロットタワーの最上階、ホテルオークラレストラン スカイキャロットで、世田谷学園柔道部100周年記念式典・懇親会が盛大に開かれた。
 
「式沢第」を開いてみたら、「懇親会次第」のところに開会の辞の次、来賓祝辞のトップにぼくの名前が書かれているではないか。
 
その次が自民党の衆議院議員、昭和42年卒業の松本文明様とある。かなり古い話だが、世田谷学園、駒澤大学卒の自民党幹事長、確か農林大臣もやられたと思うが、広川弘禅さんしかいないと思っていたが、松本文明さんが隣の席に座られたので話をすることができた。
 
同性婚の話をしたら、いろんな法律が絡み合っているので、すぐに実現は難しいということだ。ホテルオークラのシェフが作る料理は美味しかった。ぜひ、昼間はランチもあるので食べにいくのをおすすめだ。
 

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来賓のトップに祝辞を

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