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2019年11月11日 (月)

「令和」の考案者、中西進さんがぼくのことを!

ぼくはふところ具合の関係で、講読料が一番安い東京新聞をずっと購読している。

購読料が安いからといって、他紙に比べて内容が悪いわけではない。父が戦後独立して、昭和23年に第二書房を設立した頃から、東京新聞には広告を出していた。

帝国ホテルで東京新聞がスポンサーを招待してのパーティに出席したことがあったが、双子の歌手「ザ・ピーナッツ」が歌っていた。現在は名古屋の中日新聞の子会社になっているようだ。

「令和」の年号の考案者の中西進さん、90歳になられているのにお元気で、若い3人目の奥様を迎えて、京都で暮らしている。

読売新聞を購読している、ぼくより2歳年下の妹から電話がかかってきて、「文ちゃんのこと新聞に出ているよ」というので、コンビニで買い求めて読んでみた。

「時代の証言者」という連載の記事で、「令和の心 万葉の旅 中西進」というタイトルで、中西さんがしゃべったことを読売新聞の編集委員がまとめている。

10月26日の「文ちゃんと語る会」の常連のひとりが1回目から切り抜いて持ってきてくれていたので、中西進さんの話が連載されていることは知っていた。

10月31日の読売新聞朝刊に「令和の心 万葉の心」の12回目のタイトルは「短歌人熱中 東大でも」とある。

中西さんが早稲田大学の学生だったとは知らなかった。中西さんはこんなことをしゃべっている。

「早稲田時代は短歌に熱中しました。たまたま読んでいた「早稲田文学」に都筑省吾という先生の短歌が出ていたので、教室で「読みました」と伝えたら、先生は大喜びでねえ。

「君、うちへ遊びにこないか?」

それが縁となり、先生が主宰していた窪田空穂系の短歌結社「槻の木」に入り、歌を作り始めたのです。厳しい先生で、最初の日、「今度来るときに100首もってらっしゃい」という。ほかにも何人か同じことを言われましたが、持って行ったのは僕だけです。(中略)

5月がスタートだった国立の東京大学文化2類を受験したいと思っていたからです。短歌熱は東大時代も続き、東大短歌会をつくり、東大俳句会にも所属しました。3年になってからの文学部時代には、本郷キャンパスの三四郎池近くにあった建物を会場に、大学連合の歌会もやりました。(このとき、ぼくは駒沢大学から一人参加し、ぼくの作品を中西さんが絶賛してくれたので、ぼくは自信を持つことができ、のちのぼくの人生が変わり、いい仕事を残すことができた)

当時の雑誌をみると、慶應大からは医学部の岡井隆さん、駒沢大では日本初のゲイ雑誌『薔薇族』創刊で有名になった伊藤文学さん、早稲田からは篠弘さん(現在、宮内庁のお歌所の選者、毎日歌壇の選者。短歌だけで高収入を得ている数少ない人のひとり)が参加しています。

後には歌人、宮柊二さんの門をたたき、東京日比谷の松本楼で開かれた宮さん主催の「コスモス」(ぼくの父が立ち上げた)短歌会の結成大会に出席しています。その後、読売文学賞をとる「万葉集の比較文学研究」の執筆で忙しくなった頃でしょうか、研究と創作の両立は難しいと感じ、創作からは離れました。でも、短歌を実作していたことは万葉研究にも役立ったと思います」

ぼくも短歌を作ることをやめてよかった。でも、本の誌名を考えたり、小説の題名を考えたり、見出しを考えたり、広告の宣伝文句もと、大いに役に立った。

なによりも『薔薇族』という歴史に残る誌名を思いついたのだから……。

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