伊藤文学はあの世に行ってしまったと!
3年ぐらい前のことだったろうか。左目になにか異物感を感じることがあったので、近所の眼医者に診てもらったことがあった。
年をとってくると、誰もが悪くなってくる目の病気のようだ。「白内障」(辞書にはこう記されている。眼球の水晶体が白く濁って、視力が低下する病気)
左膝に人工膝を入れる手術をしてもらって、半年に一回、手術をしてくれた医師がレントゲンを撮って診察してくれている新宿のすぐ近くの東京医大の眼科に紹介してもらって診てもらった。
手術をしても今以上によくはなりませんよ。と言われて目薬を処方してくれた。その薬をずっと使っていたら、その後、異物感もなく目の調子も良かった。それが最近になってまたおかしくなってきたので、近所の眼医者に行って診てもらったら、左老眼鏡の度が合わなくなったので、メガネを変えなさいと言われて、眼鏡屋に持っていく資料を書いてくれた。
老眼鏡のせいではないと不信感を持ったので、カフエで知り合った友人(?)年中、医者通いをしていて、いろんな医院を知っている人に相談したら、渋谷から山手線でひとつめの駅、恵比寿のすぐ近くの角屋眼科医院を紹介してくれた。
会社に行くときに車で医院の前まで送ってくれる親切な人だ。女医さんでお母さんと娘さんが交代で診てくれる。看護婦さんもみんな女性だ。
待合室も小さな熱帯魚がたくさん泳いでいる。部屋全体が女性の繊細な美意識で、壁にかかっている油絵もいい。
検査の器具も何台もあって、詳しく調べてくれた。やはり白内障が悪化しているとのことで、表参道にある専門医を紹介してくれそうだ。
片方ずつ手術するようで、日帰りでいいようだ。11月にはどうしてもすましておかなければならないことがあるので、11月の20日すぎに手術をしてもらうことにして、それまでの目薬を処方してもらった。
「文ちゃんと語る会」をいつから始めたのか忘れてしまっているが、10年は続けているから多くの人に出会うことができた。
最初は和物の骨董品がずらりと飾られているカフエ「邪宗門」、それから下北沢の北口の「占茶」(いまはない)、そして作家のよしもとばななさんが常連の「つゆ艸」そして今の器とコーヒーの「織部」のお世話になって続いている。
どれだけ多くの人に出会ったことか。みんなに支えられて、ボケずに87歳まで元気に生きてこられた。
しかし、残念ながら11月は「文ちゃんと語る会」はお休みということにした。
一回も休まずに続けてきたのに残念だけど仕方がない。12月にはみんなの顔もはっきりと見えるようになって「文ちゃんと語る会」を続けるつもりだ。
それともうひとつ無念なことは年賀状だ。毎年、工夫をして19世紀の古い絵はがきを使ったりして、「織部」の店長にデザインしてもらい、工夫を凝らした年賀状を作り、手書きで住所を書き、ひとりひとり、顔を思い浮かべながら、添え書きもしてきた。
来年は「米寿」のおめでたい年でもあるので、いいものを作りたいと思っていたのに、これもあきらめることにした。
新潟の「ロマンの泉美術館」で出会った常連のお客さん(女性が多い)だけでも50名は越す年賀状を送ってきた。
ぼくの年賀状が届かなければ、伊藤文学は、あの世に行ってしまったのかと思うに違いない。ああ、年はとりたくないものだ。
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コメント
私はクリスマスカードと年賀状兼用で年内に出してます。米国等の習慣では、クリスマスカードと年賀状は一枚で済ませます。日本では、会社関係の場合には女性社員を中心にウケが良くなります。会社が休みの元旦に他社の年賀状と一緒にゴムで綴じられて会社に届くことも無いので、目立ちます。
伊藤さんは、旧正月に年賀状を出したらウケるし記憶に残ることうけあいです。目立ってなんぼです。中国の春節としてもよいでしょう。
年賀状原稿は、襖の大きさに作ってデジカメで縮小すれば楽に作れると思います。電子部品のICはそうやって作りました。
投稿: 旧正月に年賀状出してください | 2019年11月 9日 (土) 13時37分