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2019年11月 2日 (土)

今や下北沢は古着屋の街に!

ぼくが住んでいる下北沢の街。日本の敗戦の年、昭和20年の8月15日ごろは、世田谷学園の1年生だったから、戦前、戦後の下北沢の街をずっと見続けてきたことになる。

現在、下北沢の南口商店街が、一番にぎやかな通りだが、戦前は北口の商店街がにぎやかで、南口は大きな民家の植木で囲まれた堀が連なっていて、お店は何軒もなかった。

ぼくが住んでいた代沢小学校の正門前のじゃり道の三軒茶屋につながる、今は茶沢通りと言われる道に面しては、お店が何軒もあった。

代沢小学校の正門前には、お米屋さん、ブリキ屋さん、文房具屋さん、酒屋さん、ぼくが住んでいた家の角には、のんき屋という餅菓子屋があり、その並びには魚屋、下駄屋、炭屋、そば屋、ほうき屋、駄菓子屋もあったっけ。そんなこと知っている人は、もうぼくだけになってしまった。

令和元年「せたがや」10月25日号の広報誌が新聞の折り込みに入っていた。

「世田谷区長、保坂展人さんが「下北沢の線路跡地」で魅力発信へ!」と題して書かれている。

小田急線が地下深くに線路を引いてしまったので「線路跡地」をどう開発するかで、長いこと協議が続いていて、やっと全体構想がまとまってきて、2年後には完成するようだが、ぼくはそれを見ることができるかどうかわからない。

地方から出てきた若者たちが、もっとも住みたい街が、下北沢だった時代があった。だが、それは3、40年前のことで、今はそのランクから消えてしまっている。

一軒一軒のお店の土地が狭い、今や路地の民家だったところも、売ってしまいお店に変わっている。広い土地が少ないから、ゆったりとした建物を建てられない。ビルを作っても設計にお金をかけて、しゃれたビルを作る人もいない。なるべく安く作ることしか考えていないから、外観も平凡なビルばかりだ。

土地代も高いから家賃も高くなってしまう。だが南口商店街を歩いている人は多い。それは道路が狭いから多く見えるだけで、広い道だったら人はパラパラだ。

こんなに人が歩いているから商売になるだろうと、個人商店が店を出してもすぐつぶれてしまう。しかし、また誰かが店を出す。

続いているのは大手のチェーン店だけになってしまう。大手の店も採算が取れないと見ると、すぐ店をたたんでしまう。

3、40年は数軒しかなかった古着屋が、いまは何十軒にも増えている。ぼくが経営していたカフエ「イカール館」(メガネ屋の2階)も古着屋で、今でも続いている。

数えたことはないが、南口、北口の商店街で古着屋は数十軒もあり、今でも増えているから不思議な現象だ。これでは新品の高級な洋服を売る店は成り立たない。

他人が来た服を着るのは嫌だと思う人は「ユニクロ」の大きな店があるから、そこで買っているのだろう。

先日、女房の古里、弥彦村にある別荘まで車で送ってくれた親切な人がいたので、山積みになっている衣類を段ボールを開けてブランド物だけを持ち帰ってきた。

早速、10点ばかりを古着屋に持って行ったら、査定するのに2時間かかるという。スーパーで買い物をして、カフエ「織部」でコーヒーをのんで、日経と朝日を読んで時間をつぶし、また古着屋に行ってみたら、10点のうち5点は返品。あとの5点で1350円くれた。

お茶屋の親父さんが言うのには、古着屋ほど利幅のある商売はない。家賃が高くてもなんということはないと。これで納得できた。洗濯代にもならないお金で仕入れて、何千円で売るのだから……。

 

Img_5771

下の店は古着屋ではありません

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